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人間にとって何が一番怖いのか、それは、死なのかもしれません。
しかし、肉体が消滅するよりも、現実を生き抜く方が、大変きついこともよくあるのです。
現実から逃れようとして、優しく未来を考えたときに、よく、スピリチュアル系のセミナーなどで、癒されたいという思いから、そこで何かを見つけようとし、最終的には、「アセンション出来たら良いね」と、そんな言葉に置き換えられてしまいます。
未来は、死すら存在しない、素晴らしいものかもしれません。
そんな世界に行き、新しい命を手に入れ、楽しく暮らせるならば、確かにそれは素晴らしいと思います。
ある種、わけの解らない指導者は、「私についてきなさい」と、心を先導し、安らぎと安心感を与えてくれます。
何の根拠も無い、そういった出来事の中に、言葉巧みに隠される、何らかの思惑があるのかもしれません。
変なものを、高く売りつけられるなんて話も良く聞きます。
誰もが不安の中で生きていて、その不安から逃れるために、心地よさとぬくもりと、包まれる愛の優しさを欲しいと、そういった環境にのめりこんでいくのです。
確かに、心地よく、不安のない、抱かれるような安心感の中で過ごす時間は、その人にとってとても素晴らしい時間になることは間違いないでしょう。
そして、新しい未来は、死のない光の身体になるのよと言われ、それを本当に望んでいる人が、大勢いらっしゃることも、確かなように思われます。

過去に経験した出来事を少し話します。
自分と同じ人間を、そして死のない自分を、そして永遠の命を手にした自分を、第三次文明の科学は、そういった自分のコピーを作ろうとしました。
同じ考えを持ち、同じ思いで、同じ発想の中で、考え方や気持ちがまったく同じ、そういった完璧につくられた自分のコピーを、今で言う、メモリーディスク、もっと分かりやすく言うと、球体の光ディスクの中に、あらゆる自分の情報をインストールし、まったく同じと思われる、情報プログラムのコピーを作り上げたのです。
それをある特殊な機械の中にはめ込むと、そこから光の映像が飛び出し、今いる自分と同じ映像が現れてくるのです。
その映像が、まったく自分と同じ考えを持ち、同じ音域で、話し始めるのです。
もう一人の自分と話すのと、まったく同じ現象なのです。
地球に危機的なことが起こったとき、もう一人の自分のコピーを残し、死のない世界で、光の身体を持ち、そこで自分の永遠の命が永久に続くように考えられてきましたが、その時の自分の記憶を今思い出すことがあります。
肉体を持ち、朽ちていった自分もいるのですが、光の身体になり、情報とプログラムがわずかなエネルギーの中で、うまく融合しながら存在しているのです。
そこに大勢の人が存在し、そして同じような日常生活が、プログラムと光という関係の中で繰り広げられるのです。
あくまでプログラムに過ぎない、自分のコピーですから、自分でありながら自分ではない現実が、そのコピーの自分の中にも感じることが出来るのです。
そしてそのコピーは、もう一人の自分がいたことをプログラムされていたため、その記憶を持っているのです。
そして、そういった彼ら達の集団は、やはり最終的に望むものは、肉体を持った完璧なコピーをされる前の自分でした。
アセンション、光の身体になり、完璧なコピーは、確かに永遠の命が与えられますが、まったく同じコピーをされたために、心という領域の中で、むなしさを感じることがあるのです。
何かに向かって、そして長い時間、長い歳月を過ごしたとき、何の意味を持って、ここに情報とプログラムが存在し、自分の意識もここにあるのか、この期間が、長ければ長いほど、それが楽しい出来事なのかどうか、確かに、そこで失われたプログラムの中には、今地球が抱える、食糧危機を完全に解決する、そういった問題に繋がることでしょう。
要するに、食べる物質も、目の前に存在するのですが、実はそれもプログラムなのです。
家族のある方は、家族団らんの食事や、もちろん入浴や、トイレすら行ったりもするのですが、それもすべてプログラムなのです。
町も村も山も、小さな宇宙船の中に、そのプログラムは現実を持ち存在し、何の不自由もなく繰り広げられ、努力することなく、完璧な楽な道を選び、その完璧といわれるプログラムは、とても豊かな心と時間を与えてくれますが、それでも、なにか目に見えない、意識の困惑が存在するのです。
そこに慣れ過ぎた人々は、肉体を持つことを非常に嫌います。
肉体があるがゆえに苦しみ、そしてもがいてきた、そのプログラムも入力されているからです。
ただ一つ、感性とか、特殊な意識とか、感覚とか、触れるという、ここの部分のプログラムが少しだけ違っていて、その部分だけに、欠陥があったのかもしれません。

私達の今いる社会は、そのバーチャル的な感覚を、完璧に現実化へと向け、神々達が作り上げた、最高の世界なのかもしれません。
それをもう一度、プログラムの中に返す事により、未来をより正しい方向へ導くことは、たやすい出来事に過ぎませんが、今それを望む人達は、今の社会で言う、そこらへんにおかれたCDがあなただとして、ハードディスクに乗せられたとき、その存在がエネルギーを持ち、要するにテレビの中で歌を歌っているあなたは、それを見ているあなたと、同じと思いますか?
これを解決することが、やはり出来ないのです。
どんなに完璧に作られたプログラムでも、そのとき起こる現象だけは避けて通ることが出来ません。
しかしこの素晴らしい科学は、神の力をもって、現実が存在してきました。
この世界にプログラムとして送り込まれ、ある種選ばれた肉体の中に自分が存在し、その宇宙船においてきた、完璧なコピープログラムを復元しようとしましたが、そのプログラムであったときの記憶を、いかに消し去るかが大きな問題となっていたのです。
今の自分を見ると、その両方の記憶を持ち、時々意識が朦朧としますが、今起こっているこの現象で、そういったことを望んでいる人達が、本当にプログラム化された自分を見たとき、あなたはそれを容認できますか?
ものすごい苦しみと、そしてもう一人の自分への懐かしさが、どんどんこみ上げてきて、そこから逃れるために、意識を変えようとするのですが、どんなに完璧に作られたプログラムでも、やはりいくつかの欠陥は存在してしまうのです。
だからこそ、私達は生まれ変わるときに、過去の記憶を消され、新しいスタートが切れるのです。
そうしなければ、生きられない現実が存在するからです。
そういった点では、その部分におけるフォーマットは、不可欠な現象といえるでしょう。
記憶を持って生まれることが、どんなにつらいことなのかを知っている、そういった人々達が、神に願い、そのフォーマットプログラムを、作り上げてもらったのです。
忘れることの出来る、このプログラムは、とても素晴らしく、肉体を持ってからも、悲しみや苦しみを、忘れることにより癒され、忘れることの素晴らしさを、今に教えてくれます。
この最終的なプログラムの中に、この現実が存在し、ある種、緻密に計算されたサイクルの中で、一生を生きるという現実が待っているのです。
私達は、今肉体を与えられ、そして、そのことにより生まれる、新しいプログラムを作り上げているのです。
つまり、肉体を持つということは、コピー化されたもうひとつの自分に対し、新しい感性と、あたらしい感覚との、そして、生きるというその存在から生まれる、そういったプログラムをインストールするために、要するに、もうひとつのコピーの存在と、今ある自分の存在が、情報を共有し合いながら、そのために肉体を持ち、この世に生きる、意味を持った時間が存在してくるのです。
そして、時代は繰り返され、その宇宙における、情報プログラムコピーの自分が、新しい成長をとげ、そこからまた、新しい存在が構築されてきたならば、それは決して悪いことではないのです。
要するに、肉体を持つことに、生まれてきたことに、大変大きな意味があるといえるでしょう。

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