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 人間がいかにいい加減に生きているかという、そんな考え方の中の代表的な言葉につもりがあります。
 そうなるはずという様な形で、そういうつもりだったとか、結果的に不確定な事をつもりで判断し、そうなるつもりだったという事は、あくまで未決定なのにつもりという言葉で、決定と似た様な感覚に陥ってしまいます。
 もう一つ、見込みという言葉もあります。見込んでいるだけで、それも決定ではありません。あくまで可能性があるだけで、そう成るとは言えないのです。
 もっとおかしな形では、はずだったなんていう言葉もありますが、そんな事もあくまで未来を予測した、自分の思い込みであり、結果がはずという言葉で補われたのに過ぎないのです。
 要するに不確定な事に対して決定的に思う、そしてそういう言葉の中には、自分をがっかりさせたり、人をがっかりさせたり、そこに成立しない出来事の中に、意識の動揺が現れたりします。要するにいい加減に過ぎる発想の中で、その時のその場しのぎの言葉の使い方に過ぎないのです。そうなるつもりであったって、あくまでつもりの考えだから、成らない事の方が多い場合もあるし、そうなるはずだったと考えても、そう成らない事の方が多いし、見込み的な発想もあくまで見込みであり、それは現実に起こる現象とは言えないのです。
 私達は社会生活を営む中で、自分の考え方が甘かった時に、そこに生まれてくるのが、そういった言葉ではないでしょうか。例えば何かの講演会があり、その会場に沢山の人が集まる様にと、主催者が頑張っています。周りの知り合いに声をかけた時、相手の人は心の中では、断っているのにその場しのぎで断る事をしません。ある種の優しさなのですが、結果的にその主催者を、非常に傷つける事になるのです。行けないと初めから言ってくれたならば、それは残念ですねと言う事で解決するのですが、何とか都合をつけて行けるようにしてみますと、相手に期待を持たせる様な言葉で、その主催者はその人を来てくれる可能性が大きいという、見込み客で捉えてしまいます。
 しかしそれは、体裁をつくろった、決定的でない、どちらでもない意見なのです。何とか都合をつける事は、不可能を意味します。なぜならばその日は、空いていない事を意味します。
 要するに断る為の条件を、その言葉の中にすでに挟み込んでいるのです。必ず行きますと言わない限り、それは決定ではない事を、知っておかなければいけません。
 甘く見てしまった事により、その結果はその甘さを露呈する方向へと導かれます。満員になるはずだったとか、満員に出来るつもりだったとか、そんな様な安易な考え方が、もしそこに命すらかかる様な、これから天変地異や大事件が、起こってくる可能性すらあるのです。
 津波がここまでくるはずがなかったとか、この塀なら乗り越えられないと思ったとか、私にそんな火の粉がかかってくるとは思わなかったとか、人々を傷つける言葉の中でも、そんなつもりで言ったんじゃないとか、そんな風に思うはずがないとか、あくまで勝手な意見に過ぎないのです。
 つもりのない言葉の中で人がどう判断するのか、そしてその事によって人がどんなに傷つくのか、傷つけるつもりがなかったでは済まない話になってくるのです。
 面白おかしくその場を過ごそうとしても、中々人生は甘くはありません。そんな馬鹿な、そんなはずじゃなかった、こういう言葉の中に真実の関係を見出したならば、やはりそこを確実に捉え、もう一度その部分を計算し直し確実な答えを求める方向に、要するに安易な考え方や思いつきで行動をとると、そういった結果をもたらす事があるのです。
 慎重性に欠けると、そこには大きな落とし穴が存在してきます。
 これから危機的な時代を迎え、本当に慎重に物事を考えないと、この位なら大丈夫といった甘い考え方が、命取りになる事もあるのです。

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