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 大勢の人が、この地球には生きています。
 何の目的で生まれてきたのか、どこに向かって行くのか、生きる為の法則がどこに存在しているのか、あまり多くの事を考えずにありのまま生きて、繰り返される毎日に飽きもせず何気なく過ごす毎日、一週間が終わると、又新しい一週間が来て、予定された日程を過ごし、いつの間にか一ヶ月が過ぎていく、そんな平凡過ぎる生活の中で、人から見たら、何の悩みもなく楽しそうなそういった現実の中で、人々は苦しみ、悲しみ、恐れや怒り、そして不安の中で毎日を過ごす事もよくあるのです。
 はたから見たら平凡過ぎる一日の生活の中に、悩み苦しんでいる人達が沢山居る事も事実なのです。そして些細な事件に巻き込まれたり、偶然その場に居合わせてしまったり、沢山のそういった現象の中で命を失ったり、逆に幸運な出来事に遭遇したり、自ら命を絶ったり、生まれてきたばかりの命を軽々しく奪ってしまったり、多くの事件が存在してきます。そんな中で自分を守る為には、自分で守れる部分と、いくら自分が守ろうとしても叶わない部分も存在してきます。
 何故ならば、対比する関係がそこにある以上、要するに一人で生きていない以上、多くの考え方や事件に巻き込まれる可能性は、決して少なくはないのです。そういった社会生活の中で私達は、特にこの日本人は、神社やお寺にその救いを求めて手を合わせにいきます。これといった決まりがなく、神社でもお寺でもそれは良いのかもしれません。日本人独特の感性なのかもしれません。そして神に願う事は、自分の幸せであり、自分を守って下さる様に他力的にそこを求め、安心感の中で生き様とする一つの単純な法則でもあります。
 守り神が居るとするならば、確かに奇跡的に急死から一生を得たと言う様な話もありますが、確かに幸運な方もよくいらっしゃる事も事実です。何か、そう言う事があった時に、運気が強いとか、守り神がついているとかそんな風に思う事もよくあります。私達にそういった考え方がある以上、それはとても面白い考えではあるのですが、現実は大変厳しいものもあります。
 全ての人が守られているならば、それは大変素晴らしい事なのですが、神々達もそこまで手が回るとは思えません。しかし守り神の存在は、私達の心を豊かにしてくれるし、俗に言う、守護霊がどうのこうのと言った様な、そういった話は多くの人の興味を誘ってきます。
 確かに目に見えない、そういった世界がある事を、日本人ならほとんどの人が認識しています。守られながら生きるそれが私達が今、生きているそういった現実の中で、安心できる一つの素材ではないでしょうか。小さな子供の頃は、両親が守ってくれるそんな風に感じた人も要るでしょうが、両親も付きっきりで傍に居たわけではありません。小学生の登校の列に、車が突っ込むといった様な大変悲惨な事故も起こっていますが、彼らが守られていなかったから起こったわけではないのです。あくまでそこに、事故という現象をもたらした、その車を運転していたその人の不注意がそういった行為を招いてきます。
 いくら守られていても、守りきれない現実も存在しているのです。神々達も、絶対的な能力を持っているわけではないのです。全てを守れるわけではありません。だからそういった事故に巻き込まれた人が、守られていなかったわけでもないし、そこに導かれる様に、生まれたその日から決まっていたわけでもないのです。
 霊的現象を、そしてスピリチュアル的に必然理論を持ち出す人達は、その部分を変に結びつけ、暴利をむさぼっているに過ぎないのです。
 勘違いしない様にして下さい。神々達は常に平等です。
 誰もが守られているに違いありません。決して粗末に扱われているわけではないのです。
 変な理論や、捻じ曲げられた言葉に、惑わされないで下さい。
 誰もが守られているはずなのです。

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