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なにげなく生きている毎日であっても、それなりに計画を立て一日を上手く過ごそうと誰もが思っています。二人以上の人々が上手くその場を過ごすには、慣れに伴った記憶と習慣が絡み合いながらそれが思惑通りに進めば良いのですが、時にはそれがつまずき、思いもしない出来事が起こる事があります。
ある程度は未来を予測しながら順調にそれを進めているのですが、突発的な出来事に対応しきれず困惑の世界へと自分を追い込んでしまいます。迷いの発生はそこから生まれ未来予測がつかなくなった時、想定外と感じる事がありますが、それは少し考え方が甘かっただけの事であり、一定の方向からもの事を考えた為、思惑がはずれる事になったのです。人々は色んな形で夢や希望を叶えようとします。
しかしそれが必ず上手くいくとは限りません。自分の心の中ではその計画は落ち度がなく完璧に思えたとしても、そこに他人が絡む以上、自分の考えプラス相手の考えも考慮した上で、尚一層の計画を立て、相手の考えに便乗するかの様に思惑というものが発生してきます。そしてそれが上手くいった時、少しばかりの優越感に浸りながら自分を楽しむのです。ほとんどの人間社会は人それぞれの思惑の中に存在し、その思惑が飛び交う中で毎日過ごしているのです。
しかしいつも上手くいくとは限らず、思惑はどんどんはずれていきます。そのはずれた思惑を立て直すには、初めからもう一度計画を立て直せば良いのですが、走り出してしまった思惑という列車は、なかなか止める事は難しい事です。世の中の仕組みはほとんどが、この世の列車が走る事により構成されているのです。
だから必ず矛盾という世界が生まれ、納得出来ないまま毎日を過ごしているのです。わがままな人間達は、そこを上手く繕うとして嘘を重ね、いつの間にか訳の分からない社会が作られていったのです。今私達はこの様な矛盾の中で、それなりに自分を納得させ解決を見出さないまま未来へと進もうとしています。
どこかでそれを打ち切り、新しい未来を創造したいと考える人は多いのですが、その糸口はやはり見つかりにくく、逆に迷いの中に落ちてしまうのです。しかしそんな中で確実に未来を構築しょうとしたならば、社会から離れ独創的に現実を発展させていかなければなりません。一部の人達はそれに気付きもう始めています。
より良い社会を夢見た多くの人々は、過去においては沢山居たはずです。情報化社会になり思惑の範囲が世界的となり、逆に誰もが手に届かない所に行ってしまったのかもしれません。
世界中のトップが集まったとしても、解決する事は完璧に不可能でしょう。この社会で未来を創る事は非常に難しく、やはり残された道は滅亡という事になるのかもしれません。
心ある人は、聖地に集まり新しい自然との調和を始めてみませんか。