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 誰もが皆自由だったらなんて言う事を一度位は考えたと思います。
 束縛された社会の中で、生まれたその日から管理され、何をするのにも名前や住所が聞かれ、義務教育の中で日々の生活があり、お金という道具の中で生活の基盤は作られ、複数の人間が秩序の中で法律や規則に縛られ、その理念の中で明日を迎えようとしています。そこに時間的な観念が加わり自由は著しく奪われていきます。
 しかしそのお陰でこの日本では安全に生活が出来るのかもしれません。新幹線や列車は時刻通りに動き、テレビ番組も新聞の発表通りに始まり、労働基準法に守られ土日を有意義に過ごせる、交番に行けば道は親切に教えてもらえるし急病人がでれば救急車はすぐ来てくれるしお金を払えば欲しい物は何でも手に入る、これらの事全ては自由の束縛と秩序の中で存在しているのです。
 もし誰もが本当に自由だったらこの世の中はどんな風に変わるでしょう。逆に怖くて町を歩く事すら出来なくなってしまうかもしれません。両親に束縛されてきた様に思ったとしても、それは結果的には守られてきたのかもしれません。本当に全てが自由になりこの社会に放り出されたとしたならば、しばらくの間は楽しく過ごせるかもしれません。
 しかしその為には、自分以外の人間が社会性の中で束縛され続けるから起こる行為であり、もし仮に全の人々が自由であったならばこの社会はどんな運命をたどる事になるでしょう。正しい事、間違った事、善や悪も存在する事はなく、自由と言う悪魔は人々を飲み込み見境のない社会がそこに作られるでしょう。
 人間達が一番怖がる物は人間であり、お互いを犬猿しながら距離を保つしかないのです。力を合わせて何かするとか皆で集い楽しみ事をするなど絶対にないのです。それどころか自己防衛の日々が続きそんな中で誰かが言い出すのです。自分の考えを伝え、二人以上の人が同じ枠の中で決まりを作りそこに共感した人達が村を作っていくのです。
 その始まりは家族であり信頼から初まります。そして秩序が生まれ、尊敬し合う人達がお互いの立場を尊重し安全を確保していくのです。自由な束縛をされる事はなくてもお互いの責任の元で自分の立場を確立するのです。
 やはり自由と言う言葉の裏には必ず責任と言う言葉がまとわりついているのです。全てが自由だったらなんていう考え方はあまり意味の無い事なのかもしれません。
 今私達が安心して暮らせるのは、自由が束縛されているからこそ存在しているのかもしれません。束縛をおおいに楽しんでみてはいかがでしょうか。

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