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小さな女の子が、来年小学校に上がります。
あちこちで運動会が開かれていて、彼女がそこに参加してきました。
そう、旗拾いをしてきたのです。
ほとんどの小学校では、来年の新入生を運動会に招き、旗拾いをさせます。
その時、彼女達は、1等でも2等でも3等でも、旗が拾えた、というその満足感の中で、喜びをかみ締めていることでしょう。
何故ならば、旗の大きさがみな同じだからです。
もしこれが、1等賞が大好きなピンク色の旗、2等賞は大きなグリーンの旗、そんな風に分けられ、ビリの人がもし何も貰えなかったら、きっと泣きながら、お母さんの所へと飛んでいくでしょう。
その涙は、悔しさと情けなさが入り乱れ、きっと強くなろうと決意することでしょう。

私達が生まれてから、もうすでに競争が始まり、競い合い、やがて争い合い、そして戦いとなるでしょう。
競うことと、争うことが、いつの間にか同じような感覚に陥り、負けたくないという思いから自分を強くすればいいのに、人を蹴落として上に上がろうとする人が出てきます。
反則して勝っても、本来ならば何の意味もないのです。
しかし、現代社会は、争いの中に優位性と誇りが存在する以上、どんなことをしてでも勝たなければいけないという思いが強くなります。
学力も、社会生活も、争いながら私達は生きてきました。
よりいい大学に入り、より有名な会社に入り、それは単純に、豊かな生活をする為の法則で、また優越感に浸る為の出来事に過ぎないのです。
この日本で生きる限り、常に争いながら、私達は生きています。
この中に、調和や温もり、優しさや穏やかさが存在するには、あまり好ましい状態とは言えないでしょう。

ある偉いお坊さんが言いました。
「人は何故争うのですか?」
偉くなったお坊さんには、それが解らなかったのです。
下の方で、右往左往しながら苦しんでいる人達が、見えなかったのかもしれません。
いや、そんなことはないでしょう。
彼は、全てを知っていたのです。
この社会は、争わなければ、競わなければ、戦わなければ生きていけないことを。
現在の社会生活や環境、全てを変えることが出来たならば、変わることが出来るかもしれません。
いつになったら、穏やかな心は取り戻せるのでしょうか?
スポーツ観戦をしても、負けた時は、がっかりします。
やはり、満足を得る為には、勝ち続けなければいけないのでしょうか?
こんな社会に、何故なってしまったのでしょうか?
「争う」「競う」「戦う」
私達の遺伝子に、組み込まれた、最悪であり、最善のプログラムなのかもしれません。

毛虫が沢山ついた胡桃(くるみ)の木を見ました。
毛虫は争いながら、我先にと胡桃の葉を食べていました。
胡桃の木は何も出来ず、ただただその姿を見ていたことでしょう。
しかし、やがて毛虫は蛾となり、胡桃の木から旅立ちました。
胡桃は知っていたのです。
やがて、毛虫は蛾になることを。
その後、胡桃の木は葉を5枚出し、その5枚の葉は冬になっても紅葉することなく、茶色く染まっていきました。
春にまた、その胡桃の木は、何事もなかったかのように緑の葉を沢山つけました。
人間も、このように生きられたならいいのに。
そんな穏やかさも、時には必要な日もありますよね。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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