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 私達がこの世に生を持った時この日本では、餓鬼として始まると言われています。生まれたばかりの赤ちゃんはこの世の中には、自分と母親しか居ない様な、そういった感覚で日々を過ごします。目が見えるようになると、辺り一面に興味を持ち出し、自分達以外にも多くの人達が居ることに気付き始めます。よく三才子の魂百までとことわざにある様に、いくつに成っても子どもの頃の癖が抜けないのかもしれません。
 小さな子どもが、新幹線の中で大声で騒いでいます。自分のわがままが通らず泣き叫ぶ子も居ます。他の乗客から見たらとても迷惑な行為です。その子どもから見たら周りの乗客など全く関係なく、自分の思いを通そうとしているのです。もしここで他人に気を使うような子が居たとしたら、その親はかなり上手に子育てをしていることでしょう。
 しかしたいがいな親は、子どもの意思の強さに負け、上手く育てられないのが当たり前なのかもしれません。では一体人間の人格形成は、いつどこで作られるのでしようか。大人に成って小学校の同級生に会った時、もの凄く変わった人とあまり変化のない人と、またまるっきり別人の様に見た目も性格も変わってしまった、そんな人とも出会うことも出来ます。生きていく上で色んな人と出会い、色んな経験の中から自分を都合良く導く為には、自分を変えていくことが社会の法則でもあります。また自分の欲を満たそうとした時、自分を変えていかなければなりません。
 なぜならば二人以上の人が思惑を持ってこの世の中に存在する以上、相手の意識に合わせていくといった、その現象の中で人格は形成されていくのです。社会から意識がはずれればはずれる程、人格は社会性とは別の所に存在し、自己主張が強ければ尚一層人格は強調され、いつの間にか社会から離れて行ってしまうのです。
 要するに最初はわがままな自分から始まり、社会の荒波にもまれながら自分にとって、一番有効的な人格が形成されて行くのです。しかしそれが社会にとって、合理性が有るかどうかは別問題なのです。
 性格ともう一つ厄介な問題に癖と言うものが有ります。一度身に付いてしまうと、なかなか変える事は難しいのです。だからこそ一番大切な事は、最初にどう思うのか、その一番最初が意識の始まりであり、その癖や性格によりその後大きな損得の世界で苦労していくのです。初めのスタートの過ちが一生を左右するならば、慎重に初めを考えた方が良いのですが、たいがいの人が、やり始めて間違いに気付いたら直せば良いと考えています。 しかしその間違いに気付くならば良いのですが、気付かず生きてしまうこともあるのです。誰かが教えてくれれば良いのですが、世の中はそんなに甘くなくその結果、自分を苦しめることになります。人格を形成するのは基本的に自分であり自分の意識が全ての権利を持っている以上、自分で自分の性格や癖はコントロールは出来るはずなのです。
 だからこそ自分の人格は自分でどうにでもなる、その事を自覚して下さい。自分を変える事が出来るのは自分しかいないのです。一度勇気を持って挑戦してみてはいかがでしょうか。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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