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日本の歴史の中には、まだまだ多くの謎が存在しています。
未だに、邪馬台国がどこにあったのか、そんなことすら分からず、議論されているのが現状です。
一説には、東の文化が西に運ばれたとか、古代神達は大陸からやってきたとか、神代文字は後から作られたとか、いろんな事が言われています。
何故こんな風に分からなくなってしまったのか、それは、日本の歴史の中で、必ずといっていいほど書き換えられてしまっていた、古文書の中にあるのかもしれません。
特に、野尻湖人については、その記述はどこにも載っていないのです。

ナウマン博士が、フォッサマグナの研究で日本に訪れ、象の化石を発見しました。
皆さんがよく知っている、ナウマン象のことです。
その象が発見されたのが、野尻湖という湖のほとりでした。
何回も発掘調査が行われ、未だにそれは続いていますが、今から約4万年前のその時代が目の前に現れてくるような、とても不可思議であり、なおかつロマンに満ち溢れた研究でもあります。
そしてそんなナウマン象の発掘の中で、一つだけ不可思議なことがあります。
それは、ある発掘現場では、象の右側の骨だけが発見され、またある場所では、象の左側だけが発見された、というような出来事です。
この日本に人が住み着いたのは、今から4万年前と考えられています。
しかしながら、やはりそれより以前に、この日本列島に人がいたことは間違いないのです。
そして、この不可思議なことから、象が機械的に二つに切り裂かれたと考えないと、全く辻褄が合ってきません。
そのような高度な技術を持った人々が、4万年前にすでに野尻湖で生活していたことは、明らかといえるでしょう。
しかしながら、仮説ばかりを書くわけにもいかず、未だに謎とされているのが現状です。
一昨年前、出雲で、9万年前の石器が発見されています。
そんなことから推測しても、この日本に10万年前にはすでに、優れた能力を持った民族が暮らしていたことは間違いないのです。

大陸から、対馬海流を利用し、日本海側で一番大きな川が、信濃川です。
その信濃川をさかのぼり、彼らとの貿易が、紀元前には盛んにされていたように思われます。
中国の文献の中に、東の国より学ぶという記述が残っているそうです。
そしてその山岳民族に、極めて知識の高い民族が存在したとも書かれています。
そんなところから、邪馬台国の歴史は、まだまだ選択の余地が、いくつかに分かれるのではないでしょうか。
確かに、野尻湖人の歴史は、どこの文献にも残っていません。
しかしながら、この象の発掘から得られる、不可思議な現象だけは、事実なのです。
もし仮に、邪馬台国がこの野尻湖を中心としたその周辺だと考えると、いわゆる、戸隠連山や飯綱山、そして妙高・黒姫といった、周辺の山々だけを見ても、たくさんの霊山が存在します。
東側には志賀高原が存在し、高天原という有名な地名がそこにあり、行ってみると、葦(あし)が生い茂った、まったく葦原といっていいほどの、霊的にも非常に高い存在であるのかもしれません。
あの有名な天岩戸の話も、その岩戸を守る戸隠山は、紀元前から九頭竜神が守り続けた、大変不可思議なところでもあります。
野尻湖人と高天原、戸隠山と飯綱権現、しかも南側には、皆神山ピラミッドが存在し、その頂上には、皆神神社が鎮座し、そこにはUFOの基地だったと書かれています。
確かにこの数年、大変多くの目撃者がいることも事実です。
これほどまでにも条件の整った邪馬台国は、かつてなかったと思われます。
一つ峰を越えると、そこには穂高連峰、奥穂高岳を望む眺望の中に、明神岳、そして明神池、いわゆる、上高地があります。
もちろん今は、上高地と称されますが、その昔は神の降りるところという意味の、神降地が使われていたのは言うまでもありません。
こんな条件の中で歴史を捉えたならば、野尻湖人の研究がされてこなかったことが、かえって不思議なことといえるでしょう。
日本の歴史に隠された、大いなる謎の中で、その野尻湖人は、目を覚ますことでしょう。
そして必ず、人類に大いなる警鐘を鳴らしながら、新しい方向を示すこととなるでしょう。

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