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人間の心の動きの中に、独占欲と束縛と、同じような意味を持った意識が存在することが、誰にもあることでしょう。
例えば、大好きな異性が出来たとしましょう。
誰にも取られたくない、そんな思いから、独占欲という欲が生まれてきます。
そしてその独占欲から、今度、自分の言うことを聞かせて自分の思い通りにさせたいという、束縛が発生してくるのです。
独占欲は、その思いを持つ本人から発生する自己欲望であり、本来ならば相手に全く障害を与えることのない、とても素晴らしいことなのかもしれませんが、そこに束縛という、相手の立場を犠牲にする可能性の大きな出来事を持ち込んだならば、それは極めて、お互いの意思の尊重外で起こる現象となってしまうことでしょう。
人を好きになることはとても素晴らしいことなのですが、独占したいと思った時、そこにセットされたように、束縛が生まれてきます。
人間の心は、常に不安の中に存在しているのです。
人を好きになるということは、自由な世界で、それを止めることは出来ません。
そして、独占したいと思ったならば、どのようにしてその独占を勝ち取るかは、いくつもの方法論があるはずなのです。
しかしながら、その努力を惜しまず、束縛という方向に自分の意識を置いてしまったならば、やがてそれはお互いの苦痛となることは間違いないのです。

現実の世界では、やはりこれだけ多くの人が身近に生活を営む以上、いろんな出会いがそこにはあります。
不安を抱えながら生きられる程、人々は強くはないのです。
そのエゴ的な不安をどう解消すべきか、ということは大きな問題となり、その結果、束縛へと思いは募っていってしまうのです。
もっと自分が強ければ、そして自分に自信があれば、そんな不安が存在しないのかもしれません。
愛することは非常に容易く、自分の心の中で大いに発生し存在することでしょうが、そこから始まる受ける側の意識は、逆に不安の塊となることでしょう。
愛される為の定義は、非常に複雑に絡み合う人間関係の中では、余りにも多く存在し過ぎて、選ぶには難し過ぎるのかもしれません。
愛されたいと思う気持ちは、その欲を反映させ、良い方向に向かえば、何の問題もないのです。
独占欲により、束縛がもし発生するとするならば、それは本人に課せられた義務のように思われます。
それをエゴ的に相手に要求することは、本来ならばとても矛盾が発生しているはずなのですが、往々にして男女の中では、そんな関係の中で窮屈な日々を送ることになってしまうのです。
それを解決する唯一の方法は、豊かな心で接することしかないのです。
しかし、その豊かな心を持つ為には、またいくつもの問題が発生することでしょう。
要するに、寂しさの中から得られるものは人恋しさであり、人恋しさの中から生まれるものは愛であり、またそして情に絆されながら現実を作り上げていきます。

人を好きになることは大変素晴らしい行為といえますが、その為に、自分の心を傷つけては何の意味もないのです。
しかしながら、私達は、上手な恋愛はなかなか出来ないものなのです。
人間というのは、本来、非常に我が儘な生命体なのです。
自分が好きなものを自由に選択し、そしてこの社会で生きているのです。
きれいな花を見た時に、その花を家に飾りたいと思った時、そこにはもうすでに、その花への思いよりも、自分のものにしたいという独占が生まれてきているのです。
しかしながら、花ならそれはさほど大きな問題とはならないことでしょうが、もしそれが花ではなく異性であるならば、お互いの意識の中で、上手く繕っていかなければならないはずなのです。
人間は、花ではないのです。
しかしながら、花にももし選ぶ権利があったら、花屋さんでなんてきれいな花なのだろうと思っても、花にあなたのことは嫌いと言われたら、どんなに悲しい出来事となることでしょうか。
そんなことを考えてみたら、自分を振り返る、いいチャンスとなるかもしれません。

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