[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
親から子へと遺伝子は引き継がれていきます。
全ての命は、過去から未来へと受け継がれた情報と経験を元に現在を上手く生き抜こうとしています。よく親が二十歳までに食べた物は子どもにとって有意義だと言われていますが、それはまさしく親の経験が、遺伝子を通して子へと受け継がれたからでしよう。遺伝子というものを上手く利用しながら命は生き続いているのです。
その過去における全ての経験は遺伝子に書き込まれ、私達は本能的にこの地球で生きる全ての能力を身に付けるのです。やはり一番大きな遺伝子の役割は、過去の経験を情報に変え常に保存し後世へと引き継がれる事ではないでしょうか。私達が今こうして生きていられるのは何万年にも及んだその経験が有効利用されているからです。
この事を踏まえた上で現実の生活と照らし合わせてみたら、大いなる矛盾に気が付く事でしょう。その矛盾とは、経験の無い出来事に対してさも理論的に成り立つかの様に、物理学や数学の様に経験が伴わなく計算上の上で成り立つ現象を、さも当たり前の様に生命科学に応用しようとしている事です。
分かり易く言うと水素水の様に経験の無い物質で体の中をコントロールしょうとしても、空気中には水素は全くなく、それを吸って何かをした経験は過去において全くないのです。経験の無い出来事に対して有効利用する事など出来るはずもなく、試験管の中で行われる行為は肉体とは全く無関係であり意味の無い事なのです。
これは一例にすぎずこの様な行為は沢山あるのです。要するに遺伝子も知っている、両親も食べたそんな物が健康には役立つのではないでしょうか。日常生活の中でも経験程役立つ行為はなく、一度誰かに飛行機の乗り方や時刻表の見方を教わる事により、二回目はさほど不安にならず出来るのです。
経験の積み重ねにより上手く生きようとしているならば、より多くの経験は役に立つのです。そしてこの経験は遺伝子に書き込まれて未来へと受け継がれていくのです。男性が何歳か年上で女性が若い程、遺伝子における経験の量は多くなります。
また女性の若さは、丈夫な子を産むのに良いのかもしれません。それが全てだとは思いませんが、男性の豊かな経験が生まれてくる子どもにとって、有効的な事だったのかもしれません。あくまで経験というその中で言える事であり、能力や学力には関係のない事柄かもしれません。
他にも経験から発する出来事は多い様に思います。出来るだけ多くの経験をし、これからの人生に役立ててみてはいかがでしょうか。
世界には大変優れた文明が幾つもありますよね。
インカ文明、マヤ文明なども有名ですし、エジプト文明が最もポピュラーですよね。でもこのエジプト文明、五千年もの間、王様が何度も入れ替わっているんですね。逆に言い換えたなら五千年間、常に戦いの日々だったのかもしれませんね。
戦いと裏切り。それもみな名誉や権力を手にする為、そして最も最大の理由は食べ物でしょう。砂漠の中の文明、ナイル川が氾濫する事で農地が潤って農業出来たけど。でもそれだけではとても足りなかった様ですね。だって人も沢山居たし、戦う為の戦士は農業しないでしょ。
強奪と戦い。そしてその為、武器を作ったんですね。
それと比べて、日本の縄文時代の五千年間。この五千年間、さほど変化はなかったんですね。この時代、生活向上する訳でもなく、五千年以上も同じ暮らしをしてきたんです。余りにも能力の無さにがっかりする人もいるかもしれませんが。
でも実は、エジプトの様になる必要が全く無かったんです。なぜなら山や野に泉があり、森や林には野山の動物達、兎や狸、熊や狐が沢山居たし、山野草、山菜も沢山あったし。
マタタビ、ゼンマイ、栗、ブドウ、クルミ。野生の物が沢山あって、海や川には魚、海老、蟹、そして米作り、稲作。イナゴやザザ虫、蜂の子。こんなに食べ物が豊富だったんです。
「大和」大きな和。大きな和み(なごみ)。和とは、木に実がなると禾偏(のぎへん)になり、穀物を表します。それが口に入る「大和」満たされた心、満たされた生活、満たされた環境。人間同士争う必要もなく、名誉や地位も必要なかった、平和そのものだったんです。
だから日本人は、あえて文明を進めなかったんです。その方が良かったんでしょうね。平和だった縄文時代、一万年以上も続いたこの時代、もう一度そんな日本になれたらと思います。
今日まで生きてきた過去の中で記憶に残る存在、また消してしまいたい出来事が数ある中で、思い出として残る楽しい出来事が沢山あったならば良い人生と言えるかもしれません。しかし世の中はそんなに甘くなく、苦い思い出に縛られながら現実の厳しさを間の当たりにして、その教訓の中で日々を過ごす事の方が多いのです。
辛かった記憶が小さな出来事を幸せへと感じさせてくれます。対比する存在の中で確認し合いながら、感情はより有利な方向へと人々を導いてくれます。嫌な記憶は出来るだけ早い時間に記憶の奥へとしまわれ、やがてそれは忘れられていくのです。失敗という記憶は成功へとの鍵となりチヤンスを与えてくれます。
思い出となる出来事はたとえそれが嫌な出来事であったとしても、思い出となる以上、有利性を持って存在しているのでしょう。思い出となる条件は思い出せるという事で、思い出せない過去の記憶は思い出とはなりません。人間の脳はとてもずるく出来ていて、不合理な記憶は思い出という枠からはずしてしまうのです。
しかし私達の脳は、生まれたその瞬間から今日までの全ての記憶を消さずに残しています。しかしその全てを思い出す事は不可能です。記憶されている事は間違いないのですが、繰り返される時間の観念と共有化された出来事には強く反応しなくなり、刺激的な意識の世界で残そうとするものと、そうでないものと分けて保存するのです。
そしてその中でもっとも厄介なものが強いマイナス的な刺激であり、恐怖感と挫折感が入り混じる中で脳理の中でトラウマ化していくのです。一旦そうなると思い出す事は難しく、強制的にそれは消されようとしたのですが、強い刺激は未来に対する考え方の中で悪影響を与え続けるのです。その恐怖から打ち勝つ為には、その消し去った記憶を是が非でも思い出す必要があるのです。
しかしそれは恐怖との戦いになるのかもしれません。またそれはあまりにも単純で今の自分から見たら滑稽な出来事であったとしても、その日の自分に戻りそれを素直に受け入れ、そして打開しなければいけないのです。やがて美しい思い出となり今の自分を変える事が出来たとしたならば、結果的にトラウマをはずす事が出来るのです。
トラウマ以外で自分をダメにするもっと怖い思い出があります。しかしそれはトラウマではない為、本人は何の抵抗もなく多くを語っていくのですが、やがてそれは世間からはずれていくもっとも自分をダメにする存在、それが過去の栄光、過去の自慢話、今それはそこになく過去の自分に酔いしれているだけなのです。
現実が伴わない以上意味のない話なのですが、その思い出に浸りながら現実を見失う、トラウマ以上に怖い出来事なのです。ただ思い出と言ってもそこを分析していくと色んな事が見えてきます。
一度自分の思い出を整理しながら、記憶の底に閉まった方が良いものがあったら、勇気を持って整理してみてはいかがでしょうか。