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悪党という言葉があります。
政治も自民党とか民主党とかある様に、必ず集団意識の中で物事を図ろうとしています。良い方へ向かっていくのならばそれは素晴らしい事なのですが、悪い方に向かう時も数の定義は強い力を持っています。政党を作って政策にあたる事は当たり前の事ですが、これが政治や社会現象の中で少し変わった形で起こる事も良くあります。
意見の食い違いで主流から離れていくのならともかく、エゴを通そうとして離れていった人達が、同じ様な経験の持ち主達と仲間を作る事がよくあります。一人よりも二人。二人よりも三人といった具合に俗にいう党を作り出します。悪党もれっきとした政党なのです。この様に裏で何か悪い事をしようとした人達は仲間を集います。
要するに悪が政党を作るという事になります。悪い事をしょうとした人達が、一人の心細さを埋める為に党を作るのです。本来なら堂々と正面から意見を述べたら良いのに、コソコソしようとしてロクでもないものまで呼び寄せてしまう、そういった失態を繰り返す事になるのです。冷静判断を常に要求されているのに焦りが先に立ち少しでも先に解決を急ごうとして、逆に間違った方向へ進んでしまうんです。周りの人はそれが良く見えていて、本人達だけが分からないでいるのです。そして間違った仲間同士が集まり、新しい結果をもたらし、それが正しいかどうか判断できなくなってしまうのです。
能力の有る仲間が集まり物事を図るのならともかく、意外とどうでも良い人を集めてしまうのです。又自分を正当化するには多くの人の賛同が必要とされます。だからこそ都合の良い人達だけがそこに居て、何も意味のない結果となるのです。少しだけ冷静に自分を見つめ直してみてみたら、色々な事が分かってきます。一番の間違いは焦りと言う事に成ります。自分が正しいと思うならば正々堂々としていれば良いのです。賛同を求めれば求める程、周りの人からは滑稽に見えるのです。しかし本人は気付く事はありません。なぜなら始めからエゴを通そうとしているからです。
悪が悪と呼ばれる所以(ゆえん)がそこにあり、いくら党を作ってもそこから抜け出す事は出来ないのです。これからの社会において通用するものとしないものがあります。いくら巧妙に仕組んだとしても、騙され続けた人達はもう騙される事はないのです。景気が良かった少し前までは安易な発想でも良かったのですが、物事を慎重に考え出した今、誰もが疑って考える癖がついてしまったのです。ましてや同じ物事で同じ人を二度騙す事は、大変難しく成りました。それでも騙そうとしている人達が居る事がとても残念に思います。
人間関係の難しい点は、知り合いだからといって良い人とは限らないのです。しかしそこでその人との関係がある為に、安易に拒否する事も出来ず損をしてしまう事もよくあるのです。ましてやそんな中で自分と上手くいかなくなった人との関係をその人にまで波及させるなどという行為は、本来ならば絶対にしてはならない事ではないでしょうか。
いつかそれは必ず自分に返ってきます。世の中はそんなに甘いものではありません。
その事に早く気づき、もう一度考え直す事が良いのではないでしょうか。
これからの日本の未来を考える上で、どの様な方向性を持っていったら良いのか、この時代だからこそ逆に出来る事があるのです。大企業は諸外国に拠点を移し、空洞化した様にも見えますが、そこを逆手に取り、工場で農業をしている企業も沢山あるのです。こういった試みは大変素晴らしい事ではないでしょうか。今日本が置かれている立場は、非常に厳しいものがありますが、こんな時でも希望を持ち頑張っている人は沢山おられます。
日本の技術はまだまだ世界に誇れる物もあり、中小企業といえどもプライドを持って活躍されている方も沢山おられます。一部の人達の中で、日本は行き詰まり破綻するかもしれないといった噂も流れていますが、けっしてその様な事はありません。ましてや日本の農業は素晴らしく、フルーツの品質においては、常に世界のトップを走り、見事としか言い様のない程の技術を持っています。又日本の気候は、それと上手く絡み合いながら相乗効果をもたらしているのです。
そういった上からも希望に満ちた日本の未来は、永遠に続く事は間違いないでしょう。そして私達に求められているものは、具体的に何をするかであり、自分にとって未来にかける思いが確定したならば、希望はそこに必ず存在します。望まなければ何も始まらない、何を望むかは自由であり、足元にそれはいくらでもあり、見ようとすれば沢山見えてきます。水も豊富に有り、本当に豊かだった日本だからこそ見失っていたのかもしれません。
今この時を向かえ、逆に大きなチャンスが目の前にあるのです。世界はまだまだ厳しく、日本程の豊かな島で暮らせるだけでも、大変幸せな事なのです。大自然に恵まれたこの日本で、これからの世界を変える程の現実も待っています。日本だからこそ出来る技術と環境は、私達を豊かな方向へと導いてくれる事でしょう。
パンドラの箱が開かれた時、足の遅い希望だけが箱の中に残されたと言われますが、そんな事はけしてなく世界は希望に満ちた日々を送ってきました。しかし科学の行き詰まりと共に大変な変化を迎え、新しい時代へと進もうとしています。人口も地球の限界を超え、この激動的な時代をどう乗り越えるかは、それぞれ違っていても未来は必ず開かれるはずです。特にこの日本は役割が大きく、私達はその役割を理解し、前に進んで行かなければなりません。
そして今日本も変わろうとしています。今までの延長線で物事を考えず、全く新しい発想が必要となります。もっと言うならば今までの考え方を捨て、発想の転換に挑戦してみてはいかがでしょうか。いかに観念から脱出するのかそこが問われるのです。教育という社会の仕組みから自由発想が失われ、社会のパーツとして生きてきたのは、もう終わりにした方が良いのではないでしょうか。希望という言葉はそうある事を望むという意味です。
だからこそ具体的にそれを望まなければなりません。一つここで提案させてもらうとしたならば、素晴らしい大地に基づいた農業ではないでしょうか。これからの日本の未来は、工業から農業へと変更していく事が、一番望ましいのです。しかもそれは一般的な物ではなく、農業における高級ブランド化が、日本を豊かな国へと導いてくれる事でしょう。
北海道でもうすでにアップルマンゴーが作られ、長野ではパッションフルーツが栽培されています。農業技術は著しく進化し、世界中のフルーツが、日本で作られる様に成るかもしれません。
日本に残された道は厳しいのかもしれませんが、希望を持って行えば必ず未来は開かれるはずです。
資源のない日本にとってこの大地と環境は、豊かさへと導いてくれる事でしよう。
地球が太陽の周りを1周すると1年であり、月が地球の周りを1周すると1ヶ月であり、そして365日と28日の関係とその割り算からして、そこに一定の方向性がない事を皆さんは感じてはいませんか。
要するに、365日を28日で割る事は出来ません。1年を季節で割ると日本には春夏秋冬4つの季節があります。1年を方向性で割るとそこには東西南北4つの方向性があります。365日を4で割ると、やはりこれも割り切る事が出来ません。必ず余り1が出てきます。地球が太陽の周りを1周してくる間に、どんどん時間はずれていき4年に1度のうるう年が現れてきます。月がどんなに上手に地球を回っていても、地球と月と太陽の関係の中では何一つ安定した計算式は生まれてこないのです。
しかし私達のバイオリズムは、この一番の月のサイクルに反応し、太陽のサイクルよりも月のサイクルを重要視した理由は、月という物は必ず28日で1周し新月、満月、この関係は崩れる事はないのです。要するに7の倍数の中に月のサイクルが存在し地球と月の関係は大変上手くいっているのですが、しかしそこに太陽を絡ませるとそれは複雑に絡み、訳の分からない現象をもたらしてきます。地球の地軸が太陽に対して傾いている事により、地球にも季節が発生してきます。こういった関係の中で、月と太陽を上手く絡ませながら地球が存在し、私達生命体はその両方のエネルギーに惑わされながら一生を終えていくのです。しかし月の方が太陽より確実にサイクルが安定しているからこそ、私達は月の周期にあわせ自分のバイオリズムを出来ているのです。
それなのに太陽暦を大切にし1月1日元日という、そういった観念が表れてきてそこに人間達の意識が集中したならば、月との関係の中で必ず1月1日が新月ならば良いのですがそんなわけにはいきません。太陽暦で1年を計算しながら生きようとすると、全てのバイオリズムが狂い始めてくるのです。1年という歳月が365日でも、それが364日でも、さほど大きな問題ではないのです。
しかしこの日本の今のカレンダーは、1ヶ月を月のサイクルとは関係の無い日付で覆い、1年を12ヶ月で割り、ただ単純に数字を合わせているに過ぎません。しかし旧暦のカレンダーはその月と太陽の不可思議な関係を見事にクリアし合わせる事に成功している、大変素晴らしいカレンダーなのです。1日は必ず新月であり十五夜お月様がとても輝いて見えて、全ての月に名前を付けこの1年と1ヶ月を見事にリズム化したのが、旧暦のカレンダーではないでしょうか。何月何日がという問題ではなく月と地球と太陽がどんな関係にあるのか、ここを上手く組み合わせていったのが見事としか言いようがありません。
しかしながら今のカレンダーは、その全ての法則を無視したとんでもないカレンダーではないでしょうか。人々の生態的なサイクルと植物やこの地球の関係が、たった1つの日付の中で破壊されていくのです。
太陽暦はある種の目安としては大変素晴らしいのかもしれません。太陽を観察する太陽神殿が、逆に月を無視した破壊のエネルギーに変わっているのかもしれません。
割り切れない数字の中で空白の1日を作り、最後に一つ足す事によりそこを補おうとする、そこには何の意味も存在してきません。そんな事よりファジー的な感性でそこを乗り越えいい加減な様に見えても確実に月のサイクルに合わせていく、見事としか言いようのないその旧暦のカレンダーに今こそ私達は合わせていかなければなりません。過去を見る上でも未来を考える上でも生命科学を考える上でも、そこが一番重要なポイントではないでしょうか。
旧暦の中で捉えた統計学を今の新しいカレンダーに合わせて計算している、そんな馬鹿げた考えももう捨てた方が良いのではないでしょうか。やはり日本人に合う旧暦に合わせながら1年を考えていった方が、健康的にもよろしいのではないでしょうか。
吉備津彦神社の桃太郎