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 今、動物愛護団体が鯨を獲ってはいけないと騒いでいます。
 確かに命の尊さは、当たり前の考えの中に存在します。しかしそんな風に鯨を取ってはいけないという動物愛護団体の方が、牛肉を食べているという矛盾も存在しています。
 命というものは、大きいとか小さいで価値が変わるものなのでしょうか。鯨の大きな命は、牛の命から比べたら大変大きな存在かもしれませんが、牛一頭の命だって、同じ尊さを持っているのではないでしょうか。なぜ鯨を獲ってはいけないのでしょうか。どうして動物愛護団体は、そんなに日本を責めてくるのでしょうか。なんだか、大きな裏がありそうです。あの方々があんな立派な船をどうして、持っているのでしょうか。誰があの様な素晴らしい船を買ってくれたのでしょうか。
 鯨の缶詰を食べた事があるのですが、牛肉の缶詰と味がそっくりでした。鯨の肉は赤肉で牛肉と変わらないそんな感じもしました。確かに鯨一頭で牛肉に換算したら、どれだけの頭数になるのでしょうか。単純に考えても,牛20頭や30頭分は簡単に網羅しているのではないでしょうか。海の生態系を考えると鯨は、その大きなあごで大変多くのオキアミをすくい食べております。鯨が増えすぎたらその小さな小エビのオキアミ達が居なくなり、それを餌としている鰯が激減してきます。そしてその鰯を餌とする海の生態系が、どんどん変化していきます。 鯨を全く取らなかったら海は大変な事になっていく、その事を分かっていながらなぜ、鯨を取る事を反対するのかやはりその裏には、牛肉を食べて欲しいという経済的な観念が絡んでいる事は言うまでもありません。動物愛護団体が、そういった酪農業者の援助を受けながらあの様な活動をしているとするならば、大変大きな問題があるのではないでしょうか。
 この日本人にとって捕鯨という問題は、大変古くから関わり合ってきた習慣的な儀式でもあります。何百年もの間日本人は、この鯨を食べながら生き続けてきた事は間違いないのです。少し前までは鯨の肉は大変安く、庶民の台所を満たすには、大変良い材料ではなかったのでしょうか。そしてこの鯨を食べながら生活してきた日本人にとってこの日本人が、生きる為の全ての物質、要するに日本人が、この日本で生きようとするその環境の中でお米や野菜や果物はもちろんの事、そこに大きく関与してきたのが鯨の存在なのです。
 よく犬が病気になったら生肉を食べさせたら良いという、そんな教えがあります。元々肉食の彼らは、ドッグフードではなく生肉を食べる事により、その彼らが持つ免疫力が高まったり、自然治癒力が高まったりするのではないでしょうか。そういった考え方からこの鯨の事を一つ考え直してみたら、日本人にとって、そして免疫力や自然治癒力の考え方から言ったならば、肉体においてどの様な関与をもたらしてくるのか、やはり日本人にとって自然に食卓に並んできたこの鯨の肉は、私達の免疫力を高める為に、絶対欠かす事の出来ない存在だったのではないでしょうか。
 もの凄く長い間、食べ続けてきたここに私達が生きる為の法則が、存在しているとするならばそれは当たり前の現象に過ぎないのかもしれません。捕鯨する事がこの日本にとって当たり前の儀式であり、鯨を食べる事により私達の生き方が決まってくるとするならば、当然これからも食べ続ける必要があるのではないでしょうか。海に囲まれた日本は、海の恵みに助けられそして生きてこられたに違いありません。海の生態系を守る為にも日本人は、鯨を食べるべきです。食べる為に捕鯨するならそれは、決して罪な事ではありません。
 日本人は、ヨーロッパにおける様な狩人といった様な考え方は、存在しません。漁をする事はスポーツではないのです。生きる為の絶対的な条件でありそれは、神聖なる儀式の様にも思います。そういった考え方からしても食べるという行為は、その動物に対する尊敬の意識でもあり、全てを食べる事によりその命は報われていくのではないでしょうか。この地球における食物連鎖という大きなテーマの中では、これは当たり前の儀式でありそれを否定する考え方は、どこにも存在してこないのです。
 是非、日本人の免疫力を正常化する為には、今こそ鯨を食べなければいけません。どこかに隠れた大いなる陰謀がある、そんな気がします。

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 しらふでの生活の中で心の行き詰まりがあった時、お酒というものが有効的にそこに関与してきたならばとても素敵な人間関係を作る事も出来ます。神が作った最高の水といわれるお酒は、全世界で愛用されとても有効的な物質である事は言うまでもありません。
 酒の神バッカスがヨーロッパで容認される様に、日本では神の酒という事でご神酒とか言われ、お祭り等ではなくてはならない存在となっています。
 人間が心というその存在によって動かされている以上、心が楽になる方法はいくらでもあるのですが、お酒というある種の麻痺剤が脳に有効的に働き不安を取り除いてくれるならそれは決して悪い事ではありません。しかしながらここは脳と酒の関係の中で何故お酒を飲むとリラックスできたり時には人が変わってしまったり、世間で俗に言う怒り上戸とか泣き上戸とか言われるのもよく分かる様な気がします。
 酒という素晴らしい物質の存在は、人類を非常に明るいものとし人間関係を築く上でも有効的に使われてきた事は間違いないでしょう。
 しかしながら何故この様な形で脳が反映されていくのか、この事を深く考えてみると確かに血液中にアルコールが入り込むと脳がある種の酸欠状態となり集積回路が上手く機能しなくなってきます。しかしそこが上手く作用しなくなる事により圧迫されていたもう一つの意識がよみがえり、メイン的なルートに流れ込んでいきます。
 要するに小心者で縮こまっていた意識が、そうさせようとしていたメインプログラムが機能しなくなる事により、一番表のデスクトップに表れてくるのです。そして人が変わった様に話し出したり、心が和んだりいろんな症状が表れてくるのでしょう。
 ここを上手く利用したならば非常に有効的な働きがあるのですが、かといってその機能が悪い方向へと傾いたならば反って自分を駄目にしてしまう事もあるのです。正常的な意識が破壊されそうでないもう一人の自分が表れ、楽しい時間を過ごすならばそれはとてもいい事の様に思います。度が過ぎない状態で上手く付き合っていくのが現在の私達に一番有効的な手段ではないでしょうか。
 しかしその昔は全てこれは神の領域であり、毎日の様に酒を飲む事は許されていなく、祀り事(まつりごと)や神事事(しんじごと)の時に極めて聖式的な意識の中で育まれた伝統的な行事である事も考えなければなりません。神様にあげた酒をおろし、人間達がその酒を飲む事により、神との交流を図ろうとする大変大きな役割を持った儀式の一つなのです。
 人間達が酒によりトランス状態になり神の領域まで自分を高め、神との交信を図りながら未来予知を行ったりまた希望の思いを天に伝えたり大地を鎮めたり、全てにおける感謝と清めの儀式として、古くから特にこの日本人には関わりの大きな事柄の一つでした。シャーマン的な意識の中では、こういった形で神との交信を行う事ではとても自然な事であり当たり前に行われる儀式なのかもしれませんが、このアルコールという存在は非常に神秘的であり神の声を聞くにはとても有効的だったのでしょう。
 私達はそれを今違う形で関わりながら、楽しい毎日を過ごしている様にも思われます。何か一つが終わった時その締めとして一杯やるのもとても良いものではないでしょうか。この酒を上手く有効利用する事により、自分の中の第二の意識と触れ合う事も可能な一つの方法といえるでしょう。
 新しい時代を迎えようとして過去の観念から脱出する為には、こういった方法も有効的なのです。しかしこれはあくまでお酒の飲める人に言える事であり、これが全てではありません。
 神は常に私達にこの様な素晴らしい商品を与え、神の存在を分かって欲しいと願っているに違いありません。
 時には楽しんでみてはいかがでしょうか。

沖縄の海
沖縄の海

湧き水 ウッカガー(金武大川)
ウッカガー(金武大川)

 この地球で生きる生命体はどんな小さな物であっても、大きな役割を持って生きています。
 食物連鎖と言う法則の中ではチェーンで繋がっている以上、全てが何らかの関係を持っている事は否定できないのです。微生物が堆肥を作り植物が育つその植物を動物が食べる、動物が食べた排泄物で微生物達が生きる、そして又そこから植物が生まれてくる。食物連鎖の中にはこう言った地球上の全ての物質におけるリサイクル運動の関係が、そこには存在しているのです。
 無駄な物は何もなく全てが有効利用され、この自然界にゴミと言う物は絶対に存在しないのです。本来ならばそうなのですが、そこにいざ人間が関わるとこの食物連鎖の法則は事ごとく壊されていきます。何故ならば腐らない物を作ったりカビの生えない物を作ったり、防腐剤の存在だけでも微生物にとって大変脅威な出来事なのです。
 遺伝子組み換えやF1という形で植物達に子孫繁栄と言うプログラムを持たせない、非常にまずい現象がここには起こっているのです。組み換えられた遺伝子の中でそこにはもう植物達のこれまでの生き方は全否定された様な、そんな結果をもたらしているのです。
 そしてビニールやそういった石油製品の中に何年経っても腐らないとか、本当にゴミと言う関係の中でそのゴミを出し続けるのは、この地球上で人間だけなのかもしれません。
 環境を破壊し自分さえ良ければの関係の中で、この食物連鎖のプログラムを事ごとく破壊し人間だけが生きようとしている、そんなみっともない事をしているのが私達なのです。
 しかもそれに恥じる事もなく植物達から白い目で見られている事にも気付かず、微生物達がやがてこの人類を破壊する準備を着々としている事にも気付かず、もちろんこの自然を作った神々達の逆鱗に触れている事にも気付かず毎日を楽しく過ごしている様に思われるのですが、やがてその日に終止符が打たれるのもそう遠くない出来事の様に思われます。
 この地球では沢山の命が生活しています。その沢山の命の中の一部に過ぎない人間達は、この愚かな間違いを平気でやっているのです。今微生物達がこの環境の中で、新しい進化と目覚めをそう遠くない日に、私達の目の前に現象として現れてくる事でしょう。
 もう人間達は菌を殺す事は出来ません。人間の力では殺す事の出来ない菌が、多数増えてくる事は間違いないのです。そして彼らが人間を食べ始めるのです。そして土に還す神の命令を受けたその菌達は、世界中に広がっていく事でしょう。
 それも皆、人間達が犯した大いなる罪の中から起こった現象なのです。菌をいじめなければ、彼らはこの様に進化する事はなかったでしょう。そして植物達はそのわずかなライフスタイルの中で、ビタミンや蛋白質構造の中で新しい進化を迎えようとしています。
 要するにキノコが毒をもつ様にアミノ酸さえ上手くコントロール出来たならば、いとも簡単に人間を殺す毒がそこには生まれてくるのです。
 高々、蛋白質の構成の中から毒を創造する事は、さほど難しい出来事ではないのです。
キノコでさえも作れるしフグでさえ作れるし、トリカブトや水仙すら毒を作る事に成功しています。もちろん蜂もいたり蜘蛛もいたり蛇もいたり、貝類が毒を持つ事もそんなに難しい事ではありません。
 人類がこれからその恐怖に怯える日々が続く可能性は、非常に大きいと思われます。彼らが本気でその怒りを人間にぶつけたならば、簡単に出来る現象である事を私達は知っておく必要があります。
 そんなに遠くない日に、その日はやって来ます。きゅうりを食べるだけで、トマトをかじるだけで人間が死を迎える、そんな事があるかもしれません。今人間達は自分達の犯した罪の中に、植物における恐怖がもう始まっています。
 今起こっている現象は、彼らが刃を向けている訳ではありません。私達人間が自分の中から、彼らが何の現象ももたらさない中で自分自ら作り上げてしまう、これは神に背いたからこそ生まれた現象です。
 もっと分かりやすく言うと、食物におけるアレルギー反応です。そして人間達はそれを食べられなくなっていくのです。食べるだけで自分で自分を、死に追いやっていくのです。
これが全世界全てに起こるとしたならばこんなに怖い話は、ないと思いませんか。
 いつ自分がそうなるかそれは、誰にでも起こる現象であり予測不可能な出来事なのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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