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新しい日を迎える朝が来ても、昨日までの記憶の作用により、繰り返される毎日が、何の変哲も無くやって来た様な気にさせる。
 自分を変えようとしても、同じ様に過去の記憶に邪魔され、漂う意識は経験の有る現実を、選択してしまうのです。
 もし過去の記憶を終い込む事が出来たなら、新しい経験に心時めかせ、変わり行く自分を見る事が出来、何にでも興味を持つ事から、時間が充実して行くのです。
 同じ日など繰り返される事など初めから無く、経験が観念と現実を、安心出来る方向へ導いてしまうのです。
 無の聖なる意識から自然を見たら、今まで気付かなっかった命の息吹が聞こえ、当たり前の現実が、偉大なる神の力だと言う事が分かるのです。
 風に舞う枯葉の様に、時には自然に身を任せ、流されてみたら、見えなかった物が見えて来るはずです。
 分かった振り等していても、何の意味も無いのです。
全てを捨てる。名前も経験も、時間も未来も、欲望も現実も、過去の記憶が意味を無くし、自分の居場所も無い。
 目の前から消えて行く、愛情も温もりも、安らぎも和みも、勇気も怒りも、そして希望も。全てを無くし、神は何を言いたいのだと問いかける。
 残された僅かな灯は命。そして心だけ。それでも彷徨う意識は、生きる意味を探していた。
 そして気付いた事は、自然は自分を必要としているのか、自分の事をどう見ているのか、不安を感じるのではなく、存在を疑うそんな気の迷いがそこに有った。
 記憶を辿るとそこには、大人に成れない自分が居て、甘えと交差する善がりが、虚栄心ばかり強調し、突っ張って生きていた。
 変わり行く自分は、社会性を無視し独創性の中、自然との調波を求め、人間以外の生命体に声をかける。
 神の声は善悪を強調し、良いか悪いかしか教えてくれない。質問を変えてみても、それで良い、いやそうではない、としか言ってくれない。
 1つ気付いた事が有る。神は何時も自分の内側に居て、起こる事全てが、神の意図で有る事を。



アセンション、高次元界への移動、未知との遭遇、霊的能力、超意識との出会い、魅了される世界の入口は至る所に存在します。
 しかしながら、その入り口を通り抜け、その世界に入り込んだ人は、どれくらい居るのでしょうか。
 UFOが家の前に降りて来て、乗りませんかと声をかける。本当に乗りたいと思う人が、どれくらい居るのでしょうか。
 まずは降りられる保証を求めます。しかしそんな保証は存在しません。地球に戻れないでも良い、とにかく乗って見たいなんて人が居るのでしょうか。
 光のボデー、死の無い世界。肉体は、超越され存在する事さえない。そこで何を求め、今を否定するのでしょうか。
 神はたった三つの物質で、全てを作られたその意図に意味を感じるなら、触れ合う喜びに現実を見ても、良いのではないでしょうか。
 折角の肉体を否定する根拠は何処にもなく、有効に利用して初めて、神の意図に気付くのです。
経験の無い現実を想像で補い、意識を研ぎ澄まし、自己意識の清算を図り、未来図が現実の物へと表現を変えて行く様に図る。
 現実で有るか無いかは、そんなに問題では無い、記憶と経験は、情報的な処理でどちらにも変化し役立てる事が可能に成る。
 想像から始まる現実は、時間の観念を破壊し、物質的な移動も意味の無い物と変え、記憶の有り方が今を作るのです。
 記憶された経験は全てが過去であり、自分以外の物であっても実感的に処理されれば、自分の経験として記憶されるのです。
 社会性の中で、最も合理的な現実は、いかに情報を共有するかであって、具体性を求める物では無いのです。
 コピーされたCDデスクは、どちらが本物なのかでは無く、情報がいかに正確に分離したかなのです。
 未知的に想像される世界が、意味を持つかどうかが問題であり、触れられるかどうかでは無いのです。


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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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