デルファンドラのメッセージ メッセージ 忍者ブログ

 根性にも色々ありますが、僻み(ひがみ)根性だけはあまり良いものではありませんね。しかしそれを利用した商売も沢山あります。例えば高級なバックや車など優越感を利用して高い物を売りつける、こういった心理の中にも第三者に対する心の動揺が関係してくるのです。
 要するに妬ませる事により自分が優位に立つ、相手の僻み根性を利用した結果起こる現象なのです。人より良い物を持って町を歩いた時、それがいくら高級な物であっても高校生が持っていたり、沢山の人が持つ様になったら満足感が得られず勿論、優越感も無くその商品対する価値が薄れていくのです。やはり人に僻んでもらい初めて成立する出来事なのです。
 僻み根性というとあまり良い事ではないのですが、人の心の中にはその心があるからこそ、努力が生まれたり向上心が目覚めたりするのです。人に嫌がらせをするのではなく、自分が立場を変え有利な方向へ導けばすむ事なのです。他人の良い所を僻むのではなく自分の努力から自分もその様に成れば済むのですが、この世の中はそう上手くはいかないのです。
 生まれたすぐに差別は発生します。綺麗な服を着せてもらったりお下がりで我慢させられたり、有名な幼稚園に入る子とそうでない子。小学校に入れば成績により差別され、有名中学に入るよう塾に通わされたり家庭教師をつけてもらったり、もう差別は大きな形へと変わっていき、生きる方向すら人それぞれの環境の中で変化してしまうのです。
 劣等感に陥った人は、努力する事を忘れ自由に遊びまわりそれで良いのだと勘違いをします。やがて社会に出て、同じ人間なのにどうしてこんなに違うのか、その現実を思い知らされるのです。まだ気付いた人は良いのですが、気付かない人達は、僻み根性という根性を身に付けるのです。心が大らかであればそこには優しさが生まれ、いたわりの精神の中で穏やかに暮らせます。
 例え豊かでなくても、その精一杯の中でいくらでも満足感は得る事が出来ます。妬みや僻みが決していけない訳ではないのですが、それがもし良い方向へ向いたらとても素晴らしい結果を出す事があります。あの人より早く泳ぎたいとか、あの人より早く走りたいとか、あの人よりお金持ちに成りたいとか、目標となるものを明解にする事により現実が見えてくるのです。
 要するにどんなにマイナス的な事であっても、いつでもプラスに変えれる事が分かれば、根性は身に付けておいた方が良いのではないのでしょうか。自分の欠点を欠点と思わず、そこから生まれる豊かな未来を想像してはいかがでしょうか。

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 人間は何の為にこの地球で生きているのでしょうか。意識の中で天国とか地獄とかいう言葉はなんとなく理解出来るのですが、実際そこはどこに在りどういう現象なのでしょうか。
 生きたままそこに行けるならそこで大きな経験が出来るはずなのに、死んでからの事を考えても仕方ないのかもしれませんが、生きている時に何をするかによって地獄に落とされるとか、天国に行けるとか、しかしそれは実際に経験した事のない言わば未知の世界の出来事です。
 輪廻転生は本当に起こるのでしょうか。これだけ沢山の人間が居てそして死んでいったとしたならば、向こうの世界の人口は今、何人に膨れ上がっている事でしょうか。亡くなった方が常にそこにたどり着くとするならば、今の地球の人口の何倍もの人達が居るのではないでしょうか。
 死んでからもう一度死ぬ事がない以上、その死の世界で行き場所を自由に選べるのかどうか分かりませんが、必ず仕分けされ霊体の辿り着く場所は幾つにも分かれていくのかもしれません。基本的に霊体もこの三次元や地球のエネルギーに依存している以上、そう遠くへは行けないと思います。でも余りにもの人数の為必ずそれは分けられ、最高の出来事は極楽浄土、極楽の世界で楽しむ事ではないでしょうか。
 しかし誰もがそこに行ける訳ではありません。その中で一番厳しい判断が下される、それが生き地獄行きです。私達が今ここに生活しているのは、大いなる地獄の世界で、そこに落とされた人々が肉体という命を貰い毎日の生活をしているのです。生まれ変わる事が最も罪の重い判決を受けた人達が、今この地球で暮らしているのです。
 肉体があるが故にご飯も食べなければいけない、着るものも買わなきゃいけない、眠る所も探さなきゃいけない、寂しさから逃れる為に多くの人と交わっていかなければいけない、生活の全てが複数の人々の間で行われ、そこには秩序が存在し、自由が束縛される中で都合よく生きていかなければなりません。そんな中で人間同士の争いや金銭トラブル、そして騙しや裏切り、この様に一番卑劣な世界で一番、厳しい生き方を私達は今させられているのです。なぜこの様な判決を受けるのか、やはりそれは前の段階において、その何らかの原因により判決が出されたのだと思います。
 今一番の望みは亡くなった後天国に言って楽々したいと、そう考える方は沢山居ると思います。しかしその為には今何をすべきなのか、この物を食べなければ生きていけないという重い肉体という足かせをはめられながら、私達は毎日生きていかなければならないのです。肉体という言わば牢屋に閉じ込められた霊体達は、そこで何をするかにより自由への扉が開かれるのだと思います。車ならば古くなったら買い換えれば良いのですが、肉体という車はどんなにオンボロになっても乗り換える事は出来ません。
 これが生き地獄の在り方ですが、地獄だからといって全てが悪い方向に進むわけではありません。私達はこの地獄の中で毎日を楽しく過ごそうとしています。肉体と上手く付き合いながら素晴らしい毎日を過ごす事も、さほど難しい事ではないのです。地獄が辛い事ばかりではなく、その地獄の中でも、楽しい生活が存在している事も事実なのです。しかしその楽しみや喜びの中で、もし他人に危害を加えたり、裏切り行為をしたり、騙しや心の傷を負わせる様な事があったならば、それは又必ず評価され、地獄よりも怖い世界に行かされる事すらあるのです。
 生き地獄は一番重い罪ではなく極楽の次の世界であり、まだまだ厳しい世界が存在しています。その事を考えたならば、やはり今生きているこの中で私達は、出来るだけ正しい方向へと自分を導き最大なる敵、自分と戦わなければいけないのです。

 何気ない毎日の生活の中で平凡な時を過ごし、何事もなかったかの様に新しい一日を迎えています。
 悩み事や辛い事なども眠ってしまうと、ある程度開き直って、何とかなるさと思う事もあります。眠る前に布団の前で、明日の計画を立てます。しかもより具体的に例えば、何時に起きて何時に誰々さんと会って、この商品の説明をして、買ってもらおうと計画を立てます。しかし翌朝、目が覚めると外は雨ふり、とりあえず起きてはみても気持ちが億劫になり、やがて友達に会う事すら面倒になります。
 そんな時、自分で自分に言い訳をします。あの子はお金がないから駄目よとか、家族が反対するかもしれないとか、自分を納得させる、行かなくてもいい理由を作り上げてしまうのです。こうして人々は、自分に嘘をつきながら生活している部分があるのです。なぜこんな事が起こるのか、太陽系には二万もの星の様なものが存在しています。しかしそれは物質化した確認出来るもので、情報の渦と言われる星達も沢山存在しています。
 記憶装置の中でその現実は行われていますが、私達にとっては確認の出来ない出来事なのです。そんな中で私達の住む地球と全く同じ地球が、太陽の真裏に同じ軌道を取りながら周り続けています。しかしその地球は今の科学では確認する事は出来ません。しかし現実に存在しているのです。
 私達が深い眠りについた時、その行為は起こります。記憶の無い世界でもう一つの地球と、そこに住む自分と出会っているのです。お互いの意識を共有し、癒し合いが行われるのです。そして意識を入れ替えながら、新しい目覚めを迎えるのです。要するに寝る前の自分と、朝、目が覚めた自分とは明らかに違っているのです。
 全く同じ生活をする二つの地球は、同じ過ちの中で未来を修復しょうとしています。自分の意識を高める為には、記憶の無い深い眠りの中で行われる行為をコントロールしなければいけません。その為にはまず、自分が二人居る事を認識し、眠る前にもう一人の自分にメッセージを発信するのです。お互いの理解の下でそれが上手く機能した場合に二人は交流し合い、お互いに持つ能力の中で透明化した現実で現れてきます。
 そこに感性を強め意識する事により、新しい現実が見えてくるのです。
 私達も進化の時期を迎えました。もう一人の自分との交流を楽しんで下さい。

 人間には誰もが皆、過去と言うものを持っています。それは恋人であっても夫婦であっても、別の出来事でありどこまで行っても歩み寄る事は出来ず、平行線のまま時間を過ごす事になります。
 お互いが持つ過ぎ去った過去の遍歴は変える事は出来ません。過去に付きあった人へのやきもちなど、回避する条件は存在しないのです。今の目の前の現実を信じる事によりそれは軽減されていくのです。普段は何もわだかまりが無い日常生活の中で、ある時ふとした寂しさの中に脳裏をよぎる不安と裏腹に過去の亡霊は、大きな悪魔として蘇ってくるのです。
 その大いなる不安の中で愛情がもつれ、破局へと導くきっかけとなるのです。なぜなら昨日までの全ては、過去であり今ではないのです。こういった関係は人間にだけに起こる現象と言えるでしょう。全ての物質、全ての意識には必ず過去は存在します。人類と言う意識が存在する以上それは、避けて通れないのかもしれません。人間がその事を深く理解出来れば、身勝手な性格は新しい世界へと導かれる事もさほど大きな問題ではないのです。
 確かに過去と言う過ぎ去った現実は消す事が出来ません。これが別れと上手く絡み合うと人間の意識は、トラウマへと繁栄させていくのです。現実には存在しない過去の亡霊に本来は、憤ったり脅かされる事はあまり良い事ではありません。消す事の出来ない過去をお互いの愛情で補う事が出来れば良いのですが、わがままな人間達はそこにおびえ未来を見失い、別れを迎えてしまう事があります。
 分かり合える事はなぜそんなに難しいのでしょうか。どんなにお互いをかばい合ってもまだ足りないのが、言葉なのかもしれません。この過去の亡霊を打ち消す理論が有るならば、今の在り方の中に何を変えれば良いのか分かってきます。過ぎ去った過去は今ではありません。例え昨日の事でも過去は過去です。
 そこにエネルギーを持たせる必要はありません。それが不合理な情報ならば、尚更な事です。理解をする事も本来は必要ないのです。その事を深く理解し、現実を確かめ合いながら未来へ向かってはいかがでしょうか。過去はいつも優しいものとは限りません。大切な物を失う事すら過去の出来事の中に存在するのです。
 人間は感情の動物です。だからこそ、いずれ過去になる今を正しく生きなければならないのです。

 人類はこの地球に誕生し、長い歳月の中で、最も過ごし易く多くの人達とコミュニケーションをとる為に、様々な工夫がされてきました。
 そして今、私達はその経験の中から、最も都合の良い状態で社会生活を営んでおります。人類が誕生して間もない頃、まだその頃は言葉は、存在していませんでした。どうしたら、自分の考えが相手に伝わるのか。その時、大いなる表現方法として、全ての体を使う事を覚えたのです。中でも人間にとって、最も有効的に使われたものが、顔です。そして、身振り、手振りなのです。
 現在の日常生活の中で、その経験は今も息づいています。言葉の無い時にした顔の表情が、言葉より多くの感情を伝える事が出来るのです。これは人間だけに与えられた優れた、表現方法なのです。良い方に使えば、人を和ませ、とてもそれは素晴らしい事なのですが、乱れた心が心に反映してしまった時、いくら隠そうとしたとしても、それは隠しきれるものではありません。
 言葉の無い時代に育まれた、その経験は侮る事が出来ません。そしてそこを読み取る力、そう相手方がその顔から何を読み取るのか。自分の顔が表現する以上に、相手のその顔から沢山の事柄を、読み取る事が出来るのです。隠しおおせるものではありません。要するに私達は、顔で物事を表現し、感情で表し想いを伝えますが、それと同時に、それを読み取る力が備わっているのです。
 当たり前の事ですが、これは人間だからこそ読み取れる一環なのです。注意すべき点は、その辺にあるのではないでしょうか。いくら言葉できれいにまとめても、顔はその人のウソを的確に表現しています。私達人間は、自分の顔にはウソを付けないのです。なんて顔は正直なのでしょうか。
 心に「嫌だな」って浮かんでしまうと、言葉でどんなに繕っても顔は「嫌だな」と言い続けてしまうのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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