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私達の毎日の生活は、三次元があるからこそ存在し、そこで営まれています。
今私達に与えられたこの三次元は、全ての次元の中で最も美しく、また、高エネルギーの世界であり、物質化された社会は、現実を表現するには、非常に便利に出来ています。
私達が今、この三次元に生きている為に、本当の三次元の素晴らしさとか、三次元があるからこそ存在する色々な出来事に対して、丁度、ぬるま湯に浸かっているような状態で、その素晴らしさを見失ってしまっているのではないでしょうか。
その上、この三次元を超える、もっと素晴らしい世界へと、大いなる欲を膨らませ、特にスピリチュアル系といわれる人達は、この三次元を超えた高次元の社会を望み、また、意識で作り上げていく新しい世界を望んでいるのではないでしょうか。
アセンションとか、高次元化とか、勝手なことを言う人は、この三次元をどう理解し、この三次元の在り方を、どのように認識しているのでしょうか。

前宇宙が作られる以前、創造主達は、全ての科学を結集しながら、この大宇宙と次元を作り上げました。
わずかな音と光の中から物質化社会を築くには、究極的な科学が必要だったに違いありません。
意識の世界は非常に自由であり、どうにでもなる世界のように感じられます。
しかし三次元はそうはいきません。
そこに物があり、また重さがあり、この物質的な世界の中で緻密に計算された科学は、この三次元を作り出しているのです。
次元図でも表すように、正次元、負次元、また縦4次元とありますが、正次元の中のたった一つ、この中に三次元が存在しているのです。
たった一つのこの次元の中に私達は今、生きているわけです。
この三次元が、破壊と崩壊と、また意識の狂いにより、危機的な状況を迎えたとき、弥勒菩薩が現れ、私達を正しい世界へと導いてくれると言われていますが、果たしてその正しい世界とは、どこにあるのか、そんなことを考えたならば、いい加減に物事を考えていたなら、高い次元が三次元より素晴らしいのかもしれませんが、実際三次元より高エネルギー的な次元は存在しないのです。
神々達は、意を決しながら、この三次元の中に、私達人間の住む、また命の存在する、そのプログラムを作り上げていったのです。
どの次元よりも、遥かに優れたこの物質的な、また命的なプログラムは、彼らの力を持っても、容易に出来るものではありませんでした。
 なぜなら、一つのものを作り、そこに私達人間が感じる感触というプログラムを与えたならば、誰もが共通した形でそれを認識するように、また、そこに付随する、光の世界、要するに見える世界、触れる世界、聞こえる世界、感じる世界、そんなように、意識や思いや、そこに観念と共に存在する物質の情報を、その全てをプログラム化しながら、共有させなければならないからです。
その共有した情報により、私達は今、この地球で生きているのです。
この三次元は、本当に偶然の結集であり、このような科学がプログラムされたことは、全ての次元の中で、極めて突出した存在となっているのです。

私達は三次元があることに甘え過ぎ、この三次元を作り上げた神々達の苦労を全く理解していないのかもしれません。
音が聞こえるだけでも、触れるだけでも、見られるだけでも、このプログラムは私達現在の科学をどんなに推し進めていっても、到達出来るようなものではありません。
遺伝子における情報の記憶や、その設計図の中に、しかもあれだけ小さな世界に、私達には想像もつかない程の、プログラムと記憶が存在しているのです。
それも、三次元の中にしか存在しない、大いなる出来事なのです。
この三次元の中にいるからこそ、肉体を持っているからこそ、エネルギーの根源があるからこそ、思うことも考えることも出来るのです。
三次元に存在していなかったら、アセンションや高次元化も、そういった意識すら、実は存在しないのです。
 なぜなら全ての次元は、三次元のエネルギーに依存しているからです。
私達が求める、本当の世界は、この三次元という、極めて突出的な、この現象の中から起こり得ることなのです。
要するに、三次元がなければ、この大宇宙全てが、何もない存在となってしまうのです。
今回起こるこのような現象の中で、一番望まれているのが、レベルの低い人間達の意識ではなく、それを乗り越えてきた、植物や動物達の意識の中にあるこの素晴らしい三次元の存在を、私達も認めながら、私達人間が、そして人間の意識が、新しい次元の中に、要するに、三次元のエネルギーに依存しながら私達の意識が変わろうとしている、私達に存在する、無くしてしまったそのプログラムを思い出すことなのです。
あくまで三次元の中で起こり得る、私達人間の中に存在する、もう一つの次元空間を明らかにしながらの、内なる次元のアセンションであり、高次元化なのです。
三次元の中に肉体が存在しているからこそ、それは可能となるのです。
三次元の素晴らしさ、ありがたさを、忘れてはいけません。

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天保の飢饉のとき、野山に入り、もちろん道端の草達も、特に東北地方は大変だったようですが、その草を食べて生き抜いたという、とても素晴らしい記述が残っています。
今、世界から穀物の輸入が止まったり、中国大陸から野菜が入ってこなくなったりしたならば、その当時と同じような危機的な現象が、この日本で起こる可能性は非常に大きいのです。
そんな時、あの天保の飢饉の時に生き抜いた彼らの知恵や、そして考え方は、これからの日本人にとって、とても大切なことに思えてきます。
放射能レベルの基準も、新たに厳しく変わろうとしています。
ひょっとすると、食べ物そのものが、なくなってしまうかもしれないのです。
ましてや世界中に大きな問題が起こった時、どこの国が日本の為に、農作物を作ってくれるでしょうか。
今の日本は、農業はことごとく駄目になり、農家は大変な苦労を、今感じているのです。
政府の方針だから仕方ないとはいえ、やはり日本人は農耕民族ですから、米を作ったり、畑を耕したりすることが、私達の大きな役割の一つには違いないのです。

工業化社会になり、農業も、科学的な方法で行われるようになってしまいました。
遺伝子組み換えや、化学肥料、そして農薬、加工食品、添加物、酸化防止剤、この食という文化の中に、どれ程の科学が入り込んでいるのでしょうか。
本来、地球上に生まれた生命体は、地球という自然科学の中で生き続け、食物連鎖という形で命を繋いできました。
そこに今、科学が入り込み、自然界の情報はことごとく破壊され、それについていけない本能と遺伝子達は、この危機を乗り越える為に、逆に大暴走を始め、そのため精神的な病気が蔓延することとなりました。
食という文化の中に、取り返しのつかないところまで科学が入り込み、触れてはいけない神々が作り上げたプログラムをも破壊し、人間の本能を誤魔化す、その味覚から始まる誤魔化しの世界は、確実に本能を苦しめ、遺伝子を傷つけ、記憶を破壊しています。

未来を作り上げていく為には、安定した意識の発達が必要なのですが、子ども達において、本能の不安は究極に達しています。
 なぜなら、自然界にない、かつて遺伝子が経験したことのない、そういった科学が、食べ物の中に入り込んでいるからなのです。
もう本能という脳は、そういった食べ物に、ついていくことは出来ません。
理解出来ないまま、観念でそれをまとめようとし、そういった科学的に作られた、その食材は、脳の刺激を強める為、かなりの勢いで、味を濃くし、味覚への反応を強めているのです。
その強い刺激の中で、脳の反応を見ながら、食という文化が進んでいることは、非常に危険な世界に陥ることになってしまいます。
そのごまかしと強い刺激は、ある程度までは、脳の中で計算されたことですが、今起こっている現象は、そうとは言い切れないのです。

本能は確実に求めています。
自然の中における、この何億年もの間、生き続けてきた遺伝子が、経験の中から見出された、安全と安心を。
その為には、まだこの地球に残された、手付かずの自然の中にしか、その安全と安心は存在していないのです。
今私達が、この脳の不安を取り除く為には、本能と一体化しながら、自然との共有の中で、食に対する人間の科学を、完全否定しなければいけない時期を迎えています。
 なぜならば、もう私達の脳は、限界を遥かに超え、脳そのものの破壊が始まっているからなのです。
本能を安心させる為には、一番手っ取り早く、身近な方法が、野草を食べることなのです。
そういった、人間が全く手をつけていない、完璧な自然の中で、本能と融合できる情報が存在し、私達に本当の安らぎをもたらしてくれるのです。
今その脳を安心させなければ、脳そのものが破壊の方向に進むことは、止めることが出来ません。
出来るだけ早く自然と触れ合い、野草を食べ、脳と、もちろん本能、そして遺伝子の記憶に伴い、安全な生活をすることなのです。
遺伝子を持つ全ての生命体は、この地球の自然の中で、多くの記憶を持っているのです。
その記憶に適合するかどうかが、一番大きな問題なのです。
腸内細菌の持つ、遺伝子の記憶に適合する食材の使用であるならば、ほとんどの病気は解決出来るものと思われます。
私達の本能を休ませてあげることが、どれほど大切なことなのか、是非わかって欲しいのです。

私達は、何気なく生活している毎日の生活の中で、見過ごしてしまっている自然が余りにも多いことに、まだ気付いていません。
物事は、見ようとしなければ、何も見えないのです。
ここでもう一度、自然界のほんの小さな現象であっても、そこに目を向けてみたならば、新しい発見や驚きが生まれてきます。
一度とことん、自然界の在り方を、覗いてみてはいかがでしょうか。
例えば花一つとってみても、沢山の形や色が存在してきます。
季節を彩る華やかさの中に、昆虫達と共存している、厳しくもあり、また優しくもある生き様が存在しています。
きれいな色で誘い、蜜を与え、花粉をつけてもらい、お互いが共存しているのです。
昆虫が先なのか花が先なのか、そんなことはどうでもいいのです。
大地に根ざす生き物達の中に、微生物が居たり、また昆虫が居たり、そこから進化してきた全ての生命体は、自然界の法則の中で、逆にこの自然界を作り上げているのです。
余りにも見事に作り上げられた自然界は、人間達の想像を遥かに超え、鉱物の一つ、水晶も、あらゆる色があり、また見事に結晶したあの六角形の中にも、整然とした法則が存在し、たかだか酸素とケイ素のなす技の中にいろんな形があり、このランダム性は、計算では作り得ることの出来ない、見事としか言いようがありません。
非常に貴重な宝石類達も、原石を見ただけではそれが何か分からなくても、ほんのちょっと磨いただけで、見事な輝きを作り出してくれます。

こんな自然界の中で、人間達は、その自然を利用して、毎日生活しているのです。
太陽があって、地球があって、月があって、そこに全ての生命達が営みを持ちながら、私達人間と、友好関係の中で、生活しているのです。
秋の紅葉も、新緑の緑も、自然の中にあるからこそ、こんなに見事に、私達を楽しませてくれるのです。
今ある自然界を、人間が科学で作ろうとしたならば、世界中のあらゆる科学を利用しても、絶対に作ることは出来ません。
もちろん、意識や思いでも作ることは出来ないのです。
この見事としか言いようのない自然界を、誰が創造し、今の形にしていったのでしょうか。
私達は与えられたものの中から、それを利用する生活をしているに過ぎないのです。
自然界から与えられたその中で、工夫し、生きているに過ぎないのです。
人間達は、自然界の制作には、全く関与していないのです。
鉱物が見事に結晶していくのも、植物がきれいに咲き誇るのも、鳥達が楽しくさえずり合うことも、私達人間は、全くその現象に対しては、関与していないのです。
それなのに、万物の霊長であったり、食物連鎖の頂点にあったり、この地球における人間達のおごりは、すでに限界を超えています。
与えられ過ぎた自然の素晴らしさに気付きながらも、それを利用することしか考えず、それを守ることをしてこなかったのです。

こんなに見事な自然界が、目の前に繰り広げられている、その事実を、もう一度再認識し、この自然を守る方向へと、意識を変えていかなければいけません。
先人達が描いた、見事な壁画や、絵画や、それらの絵の具全ても、自然の岩や植物の色により、作り上げられているのです。
そして、染色された着物も、全て材料は、自然の中にあるのです。
もちろん石油も、自然からの恵みの、一番大きな存在であることに気付いて下さい。
私達が作り上げているものは何一つないのです。
全て自然界の法則の中で、上手くそれを利用している人間がいるだけなのです。
この見事な自然界は、幾度となく、愚かな人間の破壊により、壊されてきました。
必ず、元に復元する能力を持っています。
この見事な自然界の中に、私達が今、存在していることを感謝しながら、毎日の生活をしたならば、見えなかったものが見えてきて、さりげない出来事の中に、大いなる喜びを感じることも出来るのです。
人間の生き様の中に、人間同士のいざこざが存在し、どんなに心が荒んだとしても、自然界は全ての人に、しかも平等に、この素晴らしい彩りを与えているのです。
よく見ることが、気付くことになり、そして喜びへと繋がっていくのです。
この素晴らしい自然界が、目の前にあることに感謝しましょう。

危機的な時代を迎え、誰もが不安の日々を過ごしています。
安心して生活したい、何かに頼りたい、幸せになりたい、楽な生活がしたい、そんな大いなる望みの中で、毎日を過ごしていますが、決してその願いはそうやすやすと叶ってはきません。
不安な毎日が極限となった時、何かに頼るように、人間達は、心を食べる悪魔の所に駆け寄ってしまうのです。
その心を食べる悪魔は、とても優しく微笑みかけてきます。
「もう大丈夫ですよ」
「私に依存しなさい」
「全て頼っていいのですよ」
「あなたの不安は全て解消されます」
その甘いささやきを求めながらそこに入り込んでいくと、いつの間にか、そこに居ることがとても心地が良く、そこにしか安心感が持てなくなってしまいます。
そういった偽善の優しさが、その人を優しく包み込みながら、『私が面倒見てあげるから、あなたの心を食べさせて』と、上手く誘い込んでいくのです。

心を食べられ腑抜けになってしまうと、その悪魔の言うことしか聞かなくなってしまいます。
他の人が、それは間違いよと、いくら正しい答えを教えようとしても、その人には聞こえないのです。
それどころか、この素晴らしい世界、自分の大切な知り合い達を、誘い込んでしまうことすらあるのです。
この連鎖の中で、悪魔は大きく太っていくのです。
心が食べられてしまった以上、正しいか間違いかなど、何の意味も持たなくなってしまいます。
ただそこにいることが心地良く、そこで言われたことをしていれば、不安が取り除かれ、安心して生きていけるからなのです。
そして、そこにいる条件として、やはり必要となってくるのが、お金なのです。
悪魔は、心を食べながら、お金を要求してくるのです。
これから危機的な時代の中で、そういった悪魔の存在は、かなり増えていくことは間違いありません。
その悪魔のささやきに騙されないように、現実をしっかりと見、今起こっている現象を、ありのまま受け入れることが、その悪魔に身を寄せない為の、一番大切な法則なのです。
目の前の現実から逃れようとすると、そこに悪魔のささやきが待っているのです。
嘘で固められた安心感の中では、ただ現実を見失ってしまうという、それだけのことの中に埋もれているに過ぎないのです。
勇気を持って、現実のありのままを受け入れ、そして対処していくことが、これから最も大切なことになっていくのです。
 なぜならば、悪魔の集団となった人々は、最終的には現実を受け入れなければいけない結果となることは間違いないからです。

どんなに安らぎを求め、そこに安心があったとしても、言葉巧みな優しさを得たとしても、それは現実からの逃避に過ぎないのです。
そこに、未来があるとは思えません。
確かに一時的には、心が安らぎ、穏やかな毎日を過ごせたとしても、その終わりは、必ずやって来るのです。
そして逃げ出す勇気もなく、逆に管理され、悪魔の正体を目の前にすることでしょう。
あなたは食べられていたのです。
やがて気付いた世界で、現実に帰ったとしても、それは手遅れです。
一度、悪魔に食べられた意識が元に戻ることは、非常に困難を要します。
すぐに楽な道へと、自分を委ねてしまうのです。
坂道を転がるような、そんな簡単な方向で、安らぎと温もりと、安心を求めた結果、その坂道を転がり続けるしか、未来に向かう方法がなくなってしまったのです。
やがてどん底に堕ちていき、二度と這い上がることが出来ない、しかしそこが恐怖であることすら気付かず、自分の人生を駄目にしていくのです。
その魔の世界は、言葉巧みに、そこに落ちる人達を待っているのです。
そこは蟻地獄と、何の変わりもない、恐怖の谷底であることは間違いないのです。
これからそういった誘いが、どんどん増えることは間違いありません。
その誘いに乗らない為にも、欲のかきすぎを捨て、現実を静かに見つめ、ゆっくり周りを見ながら、毎日を過ごすことです。
騙されないように。
甘いささやきは、必ず落とし穴が存在しています。

よく、水に関するビジネスや、例えば、浄水器や水の販売に対して、水だけは怖いからあまり触りたくない、という話を聞きます。
確かに、水ビジネスで儲けようとすると、神の逆鱗に触れるようなことが起こることは、よくあるのです。
戸室石の霊という話を聞いたことがあります。
加賀藩が辰巳用水路を作った時、戸室山の石や白山の石など、イオン鉱石といわれる石を用いて、用水路を作ったという有名な話があります。
ある時、もう一箇所同じ用水路を作ろうとした時、それを咎められ、その時に携わった工夫達を、秘密を守る為に、凄い数を殺したという歴史があったとされています。
確かかどうかは分かりませんが、その山の石を触ると、彼らの霊体に触れることになり、それをやろうとしたメーカーが倒産するといった、また不慮の事故が起きたという歴史が、報告されていることも事実なのです。
確かに水は全てを清めるものであり、水は常に神の領域の中にあり、それは、聖水でなければならないはずなのに、その水を、目的を不純なものにし、金儲けの道具にしたならば、神の逆鱗に触れることは間違いないのです。

全ての生命体にとって、水はなければ生きていけません。
いろんな神事・政(まつりごと)の中でも、水や塩を使って場を清め、最後に飲む水のことを死に水とまでいい、水と生命との関わり、そして人間と水の関係を含め、意識にも関与してくるような水の存在は、確かに神の領域といえるでしょう。
この日本でも、浄水器メーカーは沢山ありますが、やはりそのほとんどが、その経営に問題があった場合、そこから離れざるを得ません。
また、水で病気を治すとか、そういった限られた人間の為だけの目的として使われているようなものも、同じ結果をもたらしてくることもあるのです。
目的を明快にしながら、意識や心の有効性の中で、一般的に判断されやすい、常識的な感覚の中で行われている行為は別とし、それを金儲けの手段として利用したならば、必ず神のしっぺ返しがやってくることは間違いないのです。
今人間達は、地下水の汚染と、今回起こったような原子力発電所の事故に伴い、地下水も大気中の水蒸気も海水も、ことごとく汚染してしまいました。
ただでさえ、酸性雨や、工場排水などにより、どれだけの汚染が進んできたのかは言うまでもありません。
人間達は日常生活の中で、神が与えてくれた聖水を傷つけ、汚し続けてきたのです。
その結果、病気が蔓延し、意識障害が起こり、そしてその水を利用して儲けようとすることにより、水の意識そのものが、人間を破壊する方向へと傾いてしまいました。
神が与えた水を、人間達は、身近すぎる存在の中で、駄目にしていってしまったのです。
それをもう一度、復活させようと、自然界は、その法則の中で推し進めてきましたが。それはもう限界を超え、地下水までもがかなりの汚染に蝕まれているのです。

このような中で生き続けていくことは、大変困難を要することとなりますが、私達に与えられた最後の砦が、鉱物と微生物と植物達による、水の浄化作用なのです。
人間がこの水に触り、水を変えようとした時に、そこに電気や磁石を使ったり、科学でそれを変えたりしようとしたら、神はその行為を見逃すはずがないのです。
水は、全ての清めの為に使われるべきであり、命が生き続ける為に必要な物質なのです。
それを、悪い方向へ利用することは、決してしてはいけないことなのです。
私達が、今、しなければいけないことは、汚染させてしまったこの水を、いかに自然の法則にあった方向で、復元していくことなのです。
水を元に戻すことが、人類が今後、何年かかってもしなければいけない、現実なのです。
しかもそれは、自然界の法則に則り、自然界のありのままの形でそれを利用し、最も都合の良い形へと、水を変えていかなければいけないのです。
そしてそれは、急がなければいけない行為であり、また大量の復元が、条件の一つとなっているのです。
人類が生き続けていく為には、水の形を神の領域に戻し、聖水として、慎重に扱わなければいけないということなのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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