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 私達の心は毎日、猫の目の様にくるくる変わります。
 ハイになってみたり、そうかと思えば急にふさぎ込んでみたり、ちょっとした事で深く傷ついたり、思い込んで結論が出なくて迷い道をさ迷い歩いたり、本当に自分の心を自分が理解出来ない、そんな事もよくあります。未来を考えると、まだ来ていないのに勝手に不安を作ったり、いくら予定を立ても直ぐにそれを破ったり、身勝手な自分とそれを容認する悪い自分とが、楽な道を選ぼうとして坂道を転げ落ちていくのです。
 何とか建て直しを図ろうとしますが、常に甘い誘惑が自分を駄目にしていきます。いかに平常心を保ち自分の進むべき道をどう切り開いていくか、それが分かれば人生は楽しいものとなるでしょう。不安は常に存在しますが、それを回避する事が心の問題なら必ずあるはずです。現実的な問題なら対処法を心から外し、現実に目を向ければ解決方法が見えてきます。
 立ち止まっていくら考えても行動しなければ、答えは生まれてきません。またそれが、現実を伴わない意識の問題なら解決は意識的に行うのが望ましいのですが、それを食い物にする宗教に似た様な団体や、セミナーが開かれています。解決方法として依存させ安らぎを取り戻させようとしているだけでそれは、何の解決にもなっていません。ただのお金儲けに引っかかり、騙されているに過ぎないのです。
 依存するとその安らぎは本物ではなく、一時の気休めに過ぎないのです。心の病の解決方法は自分で行う必要があります。症状が軽い内はその方が後々、楽になれるのです。解決方法の一つとして、大自然の法則に従って下さい。
 朝起きたらカーテンを開け外の景色や空気、そして光に自分の身を置きます。虚しさが心をよぎったなら、大自然の森や湖、山や海を想像して下さい。花畑に舞う蝶を想像して下さい。秋の紅葉や春の新緑、小川のせせらぎや風の音を想像して下さい。自然界は、常に優しく傷ついた心を癒してくれるはずです。
 綺麗な音楽や静かな美術館も時には、行ってみて下さい。癒される心は自分でその場所を想像したり、優しさを人間以外に求める事により上手くいくのです。想像の世界は決して、自分を裏切る事はありません。悪い方向に物事を考えずに、正しい事をいつも想像する癖をつけて下さい。世の中が変わって見えてきます。
 楽観的に物事を考える癖は決して、悪い事ではありません。悩むよりも楽しい事を想像して下さい。
 想像力は人間を豊かにしてくれます。

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 誰もが自由を求め、出来るだけ自由である事を願い、出来るだけ束縛されたくないと思っているはずです。
 常識の枠、世間の枠、道徳心や法律など、自由を失わせると思われる事柄が余りにも多いと感じているからです。よく「私には全く自由がないわ」などと言う人がいますが、果たしてそうなのでしょうか。毎日毎日生きている事は、全て自分が決め、どんな束縛の中でも決定し、位置付けているのです。あくまでも自由の意思の下で決断している行為となります。
 自分が人生のプログラムの中で、自由は存在します。世間の常識や観念から外れて歩こうとすると、そこには必ず、責任と言う言葉が付きまといます。もし自分が全ての責任が取れれば良いのですが、そうではなく第三者が居たならば、そしてその人から見たらそれが迷惑な行為であったならば、身勝手な自由として判断せざるをえません。
 そんな行為があちこちに見られ、みな口を揃え「俺たちの勝手だろ」「指示される覚えはない」こんな形で身勝手で自由勝手な自由をエンジョイしています。身勝手かそうでないかを決める判断は、出来ない場合も沢山ありますが、少なくとも反発する心は(例えば親に対して、また世間に対して)自由ではなく、身勝手と表現した方が良いかと思います。
 自分が決めた人生の途中で、沢山の自由があるはずなのに、それを自由と認識出来ず、その中で自由を求めて暴走を始めてしまうのです。そして、自分の中に正当性を求める理論を確立させ、自分に正しいのだと言い聞かせながら坂道を転がり落ちて行くのです。一度立ち止まり、振り返り、今の自分を見つめてみたら気付く事も、思い当たる事もあるのではないでしょうか。
 勇気を持って一度立ち止まってみませんか。
 正しいと思う事も、実は間違っている事もあるのです。知らず知らずの内に、自分で自分を洗脳し、堕ちて行くのです。
 

 私達人間はこの地球上で最も地位が高く、しかも食物連鎖の頂点に君臨しています。
 神が人間を作った時、初めから人間に与えた権利の様なものです。なぜその様に、高い位を私達に与えたのでしょうか。今となっては、神々も後悔しているのではないでしょうか。身勝手な人間達は本能と欲を勘違いしながら、全ての生命体を恐怖に陥れる程の化学兵器を作り、ミクロの世界では遺伝子組み換え、微生物兵器は自然界にとってこれ程、脅威的な事は神々は許す事は出来ず、嘆かれている事でしょう。
 神が人間を作った時、この大自然を管理した時、五つの分け御霊と大自然の命を食べる権利を与えてくれました。全ての命は人間の為にあるといっても過言ではないのです。だからこそ人間は全ての命を守る義務があるのです。しかし今の人間は、権利を主張しても義務を果たさないのです。なぜその様に、わがままな人間になってしまったのでしょうか。人間を肉体と霊体と魂に分けて考えると、よく分かってきます。
 肉体を維持する為には、環境とか食べ物が大きく関与し、その為に大自然が存在し、肉体を保持する為の材料はいくらでもあります。美味しい物をお腹一杯食べたいと思うのは、肉体ではなくそれは霊体の欲の方なのです。神様からお預かりした魂は命の根源であり、意識を司る本質的な部分を見なくなっています。当然亡くなると神様に返される事になります。車の運転を人間がする様に、肉体の運転をしているのが霊体となるのです。
 神様から預かった魂と一緒に、五つの霊体がそこに宿ってきます。両親から継承される遺伝子に、二つの霊体が記憶とともに便乗して乗ってくるのです。合計七つの霊体に私達の肉体は管理誘導される事になるのです。亡くなった時初七日の法要をするのも、七つの霊体を一つ一つ上げるのに必要な日数なのです。そして七つの霊体は、閻魔大王の査察を受けます。一つ一つが六日間の質問の中で、答えを要求され行く方向が決められてくるのです。
 その方向が決まると四十九日の法要となるのですが、宗派によっては三十五日の法要となります。その七つの霊体を系統により、分ける事が出来ます。今まではプレアデス系の支配下にあった為、その系統の霊体が多く存在します。その他に、元々地球のそしてムー大陸と倭系の霊体、それを総称して倭系と呼んでいます。太陽系の位置がみずがめ座の力に左右され、支配的な関係も大きく変わろうとしています。
 今年の十二月から、来年の十二月に向けシリウス系の支配下に入る事になります。すると神様達の意識も大きく変わる事になります。今までは人間の為に沢山の力を貸してくれましたが、それも終わりとなり新しい神々の意識は全ての命を平等と考え、人間を有利な方向へとは導いてはくれなくなります。役割を持った人間と大自然は情報を共有しながら、未来を正しい方向へと導かなければならなくなるのです。
 私達倭民族は大きな役割を神から、初めから受けています。その為に七つの霊体が必要となります。三つ以上の霊体がプレアデス系ならば、そちらに左右されます。残りの二つがシリウス系で、後の二つが倭系となった場合は、プレアデスにより管理される事になります。中には六つの霊体がプレアデス系になる事もあります。しかし、来年の十二月に向けシリウス系に変わろうとしています。
 もちろん、倭の力も強くなり始めています。未来が新しく変わろうとしている今、大きなチャンスでもあるのです。それを知る事により、自分を変える事も可能となるのです。

 私達が毎日飲んでいるお水でも、色んなものがあります。
 体の7割が水だと言われていますが、何の為に使われているのかよく分かりません。今食品添加物や遺伝子組み換え、一代交配、そしてハイブリッドなど新しい科学により、物質的にはあまり変化がなくても中に抱え込まれた情報の乱れは確実に存在します。これは私たち人類にとって、どの様な結末を迎えるのか分かりません。一つ言える事は、人類にとって脅威である事は間違いないでしょう。
 なぜなら全ての生命体は、自然界の法則にのっとり進化し現在に至っています。そんな中に、科学の力に依存する行為は絶対になかったのです。今科学が進み、それ以外にも農薬や化学肥料など沢山の物が、この地球に存在しています。この200年間の間に書き込まれてしまった情報は、汚染源となり大地もかなりのダメージを受けています。
 中でも水の汚染はひどいもので、物質的な汚れだけではなく、書き込まれた情報汚染は処理する事が出来ないのが現状です。私達の脳は情報を上手く処理する為、あらゆる手立てを模索していますが、あまりにも膨れ上がった情報を処理するにはもうすでに、メモリー不足に成っているのです。その事により脳は暴走を繰り返す結果となっています。症状的には脳の誤作動の代表的な鬱病や自閉症、そして自律神経が侵され不安症となり社会生活が上手く行かなくなります。
 これらの行為は情報により起こる、とても危険な未来を予測させます。このままでいくと精神的な出来事の処理が脳のメモリーにより上手くいかないのなら、そのメモリーを拡張する事でそれは可能な事になります。その前に必要でない情報を処理する方が後の行為が楽になります。しかし次から次へと新しい情報と、必要でない情報が食べ物や水を通して私達の脳に書き込まれてきます。
 だからこそ、その前に水の情報をフォーマットしてから飲む必要があるのです。記憶するメモリーの法則は酸素に権利があります。水素は情報の伝達に用いられ、記憶は酸素に委ねられます。たかだか酸素と水素の化合物である水に、大きな役割が存在します。今新しい時代を迎え、この事が可能となる事でしょう。人類が最後に到達しなければならない化学は、汚染してしまった地球に対する救済処置がとられる事です。
 その為には物質的な汚染は、その物質を取り除く事である程度は可能となっても、書き込まれてしまった情報の汚染は処理が難しいのです。全ての物質は基本的には、情報を記憶する事が出来ます。その記憶をいかに処理するかは、未来の科学に頼るしかないのです。今水の科学は進み、ある程度まではフォーマットが可能となりました。これからはなるべく、必要でない情報を書き込まないよう努力すべきです。
 そして情報処理するメモリーの拡張が水の中で可能となるなら、未来は幾分明るい物となるでしょう。その為には水の在り方を変え、本来ある形へと戻す必要があります。自然界に、生体水によく似た結晶構造を持つ水を大量にまく必要があります。
 海に流されたこの特殊な水は、水蒸気となり雨となればそれは可能な出来事となるでしょう。

 何気なく生きている毎日の中でふと足を止めると、そこには名も知らぬ草が生えています。ただそれだけの事ですが、そんな時その草の名前を知ろうとか、なぜそこに生えているのか、なんて言う事はどうでもいい事で、自分は何をしているのか、どこに向かっていくのか、仕事に追われ人間関係に疲れ果て、自然と会話する余裕すら無くしてしまっているのです。
 物事はほとんどは自分からの発想で、自分が正しいという観念の中から、結果的に事が進んで行っているのです。正しいと思わなければ何も出来ません。間違っているかどうか確認さえせず、生きているのが現状なのかもしれません。本来人間は自然に生かされ、役割を持っていたはずなのですが、自分達の生活に追われ、自然を見る事が出来なくなっているのです。
 なぜ野菜や果物は、人間に食べられる為に成長しているのでしょうか。植物達は毒を持とうと思えば、キノコの様にいつだって出来るはずです。あの毛虫達も、緑の葉を喜んで食べます。でも植物は文句言わず食べられています。こんな事を考えたら、今の人間達の生き方が植物に対して恥ずかしく思います。
 寛大な心で許し合いなさいなどと言っている人達も、植物の目から見たらどう思われているのでしょうか。ただの偽善者としてしか見られていないかもしれません。植物から比べたら人間の心は、あまりにもみすぼらしく思えてなりません。
 一体、私達は植物達からいや、自然からどう見られているのでしょうか。毎日の行動が身勝手で、自然の気持ちが分からず、人間がこの地球の地主の様に勝手な事して、環境を破壊しているのではないでしょうか。未来の地球に向け、人間も変わらなければなりません。自然が私達を受け入れてくれるかどうか、今のままでは難しく思います。
 これからは、自然が人間を裁く時代となります。彼らがへそを曲げたら人間は、この地球で生きられない事を今知って下さい。自然に私達はどう見られているのか、それが重要な事です。
 自分からではなく相手からどう見られるか、それが大切な事柄となるでしょう。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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