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 地球上において、人間の霊的感性や、脳波における脳の仕組みや、生体バランス、そして肉体におけるバイオリズム、そんなものに大きく関わっているものが、水晶という大変素晴らしい鉱物です。
 その水晶を私達の意識と上手く反映させ、世界中の意識の高い人達は、その水晶と上手く付き合い利用している事も事実です。
 確かに水晶には、特別な力がある様に思われます。水晶から発せられるアルファー波は、人の心や意識を和ませてくれる大変素晴らしい性質を持っています。クリスタルヒーリング、名前はそう付けていますが、内容はそうではなく、何かを癒したり、生体バランスを整えるだけではなく、その水晶に自分の意識や、自分における全ての環境の情報をインストールしながら自分のコピーを作り上げていく、要するに水晶の完全透明の中に結晶構造を持ちながら、その中で記憶されていくそのプログラムは、非常に面白いものがあります。
 自分と同じもの、自分が二人、しかしもう一人の自分はその水晶の中に存在します。死んでからよく戒名に院号をもらったりする人がいますが、何かよく分からない現象でもあります。
 お釈迦様の弟子になる時、お寺さんからもらった院号でお金を出せば高い位に立てる、果たしてそんな事が本当にあるのでしょうか。お金で解決出来る問題とは少しかけ離れている様にも思われます。お金で解決するのではなく、そういった類の行為を生きている内に自分の中で上手く消化出来たならば、それは素晴らしい出来事になるのではないでしょうか。
 自分と全く同じコピー、全ての情報と記憶を自分の持つ水晶玉にインストールする、ある種の特殊な宇宙船に乗り、そのくぼみにその水晶をはめ込むとそこからのエネルギーが投影化され、死を迎えない自分がそこで日常生活を得る、とても夢の様な世界が繰り広げられるのですが、その為には肉体を持たないもう一人の自分、そしてこの地球上における最大のメモリーディスク、それが水晶なのです。
 そして球体である事が一つの条件になります。もちろん透明である事は言うまでもありません。粉にしてから練り直した様な溶練水晶では何の役にも立ちません。
 やはり純度の高い透明で、しかも5cmを越えてくる大きさの中に、出来れば6cmその位が良いと思いますが、そこに自分の全ての情報をインストールし、そして今ある肉体と上手く融合させながらその水晶が、内側の大きな次元と変わり発生されるエネルギーで自分を包み込み、バリアを作り、守りと新しい次元の発生、そして同時に記憶のインストールの中で過去の清算を明解に行い、魂レベルを究極の世界へと引き上げ、次なる時代への準備をするのです。
 その様に生きている内に自分のコピーを、要するに全ての自分の情報と記憶をインストールし、しかしそこにおける不合理性を持った記憶、自分の記憶の中でかんばしくないものをいかに清算するのか、人間は生きていると必ず多くの出会いの中で良かったり悪かったり、傷つけたり傷つけられたり、嘘をついたり、色々な過去を持っています。
 その中で未来において必要でない過去の記憶は、インストールする必要はありません。だからこそ、その清算をする事が肉体を持った自分と、肉体を持たないコピー化された水晶と、情報の共有の中で同時に解決していく事がとても望ましい事なのです。
 要するに自分の完全コピーを作る為に、今居る自分の心も同時に過去における過ちの清算を行い未来へ正しく進もうとする、そういったエネルギーに置き換えていく事が出来るのです。
 これから来ると言われている新しい時代の中で科学が究極に進むならば、やがてそれは可能な現実となる事でしょう。その為の準備としてこういった行為を行う事は、これからは必要的な事ではないでしょうか。
 しかし誰もがそれを受ける事が可能かどうかは、大きな疑問となります。
 自分の中で出来るだけ消化できる様に、日常生活の中で自ら築き上げる事が大切なのではないでしょうか。

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もう随分と、長いこと生きてきました。
あっという間に過ぎたような気もしますが、その時その時を思い出してみると、嫌なことも、苦しかったことも、少しずつ思い出されてきます。
人間が生きるということは、本当に大変なことと思います。
 なぜなら、1人では生きられないからです。
もし森の中で、たった1人で暮らしていたならば、全ての出来事は自分の責任になるのですが、2人以上の人が集まって生きようとすると、お互いの欲や意見がそこに存在し、進もうという道が、その人の意識により、変わってしまうこともあるのです。
そして、全ての発想が、自分から起こっていることであることは間違いないのですが、それがもし、正しい方向でなかった場合、それを人のせいにしてしまうという、たやすく意識を納得させる、そういった心の動きが人間にはあるのです。
人のせいにしてしまった方が、自分を傷つけずに済むという、自己警護能力の一環なのです。
社会が悪いから、環境が悪いから、食べ物が悪いから、こんな風になっちゃったんだと、責任を転換することが、とても得意なのが人間なのです。

そういった状況で人生を生き続けてくると、罪や過ちを、知らず知らずの内に繰り返すことになります。
後で後悔しても始まらないのですが、納得出来ない出来事の中で、それをごまかすかのように、新しい嘘と、新しい罪を覆い被せるかの様に、その場を繕って生きているのが私達人間なのです。
自分に嘘をつくことから始め、そして、他人に嘘をつきます。
誰かのせいにすることにより、自分を可愛がり、そして坂道を転がるかのごとく、悪い方向へと進んでしまうのです。
そこに輪をかけて、欲の世界が発生してきて、その欲を満たそうとして、自分以外の意識を利用し、自分を慰めようとすることと、また満たそうとすることが、交差するかのように、人生を作り上げていくのです。
欲しいものが手に入るということは、その思いの一つに過ぎませんが、手に入ってしまうと、また次の欲しいものを見つけてしまうのも、生き方の大いなる欠点でもあり、成長する為の法則でもあるのです。
意識の豊かさや、また肉体における健康や、人間関係の緩和に、大きく関与してくるのが、和の心であり、いかに上手く繕うかが、大きな問題になるのです。
 なぜそんなに、嘘をつきながら、お互いを庇い合いながら、和みの世界を作り上げていかなければいけないのでしょうか。
社会生活は、多くの人達が存在し、色んな意見の中で、自分の存在と他人の存在を理解したり、それを意識したり、そんな営みが、毎日の出来事なのです。
きれいな服を着たり、美容院に行ったり、高級なバッグを持つことも、ある種のステータスといえたとしても、もし森の中でたった一人だったならば、それらの物質の存在は、あまり価値のないものとなるかもしれません。
私達は他人との比較の中で欲を持ち、その欲が時には人を傷つけ、また他人の欲により、自分の心が傷つくことも、よくあるのです。

新しい意識の年を迎え、これから変わろうとする未来は、これらのことをもう少し違った角度で、清算しなければならないのです。
これからの未来で生きる人々は、こういった感覚よりもはるかに優れた、意識の高次元化を求めています。
この素晴らしい地球で、この世界で生きる以上、感性と豊かさと、物質の存在を、比較しながら生きた時代も、もう終わろうとしています。
比較欲ではなく、自然の中の共有意識を融合させる為には、この人間達の意識の中に存在した、過去の出来事における、清算が必要となってきます。
出来るだけ多くのことを思い出し、起こった現象全てを、今ある為の善とし、降りかかってきた意識の悪い出来事に対しては、自分を変える為の良とし、起こった現象の全てにおいて、それを吉とすれば、解決の糸口は、意外と楽な所に見つかってきます。
否定しては、何の意味もないのです。
そして悔いてしまっても、それは今を駄目にするだけです。
逃れようとしてはいけません。
受け入れて、それを、良かったことと、全てが教えだと、意識を変えたならば、未来の生き方が見えてきます。
未来の地球は、そういった意識の人達が、進むべき道なのです。

人生目的を持って、より有意義に過ごそうとしても、自分を駄目にしてしまうのは他人ではなく、自分なんです。
 その最悪の敵、自分と戦うには大変難しい問題が生じてしまいます。なぜなら長く培った性格が、最悪の自分の応援に回るからなのです。
 その為には、まず最初に自分と、変えたいと思う部分の約束事を決め、箇条書きにして文章で残す必要があるのです。
 そして不合理な出来事に遭遇したとしても、自分との約束を守る。もう一人の正しい自分を作り上げ、戦わせるのです。
 正しい自分は、創造した未来の自分の姿を常に記憶し、箇条書きにした決め事を、守るように常日頃、訓練させておくのです。
 誰もが皆、目の前の高い壁を乗り越えるより、少し遠回りでも、楽な道を選ぼうとするのですが、それでは何時まで経っても、今までの繰り返しになってしまいます。
 新しい自分を見つけるには、一度で良いから全力で立ち向かい、苦難と思わず突き進む勇気を持てたら、良いんです。

 他人の事は良く見えるのですが、いざ自分の事となると中々よく分かりません。それなのに自分を良く見せ様と着飾ったり人にお世辞を言ったり、この社会生活の中で上手く繕っていくそれは、大変素晴らしい事なのですがあまり演技し続けると、本当の自分が誰なのか分からなくなってしまう事があります。
 その上、自分という存在が分からないまま、自分に負荷をかけ、自分を追い込み、自分に自己暗示をかけながら、自分という人間を自分自身が、確認出来ない程見えなくしてしまう事があります。一体自分は誰なのか、なぜここに居るのか、気付いてみたら一体今まで何をやってきたんだろう、何の為にここに居るんだろう、自分で自分が理解出来なくなった時、自分に対して非常にやるせない気持ちが湧いてきます。
 かといって何かする訳でもなく、ただ呆然としながら毎日を生きている、そんな気もするのです。自分が見えなくなった時、よく原点に還ると、そんな風に言う人が居ますが、その原点すら思い出せなくなってしまう事もあるのです。一体今日まで、何の為に生きてきたんだろう、そんな疑問にぶち当たった時、人は自分の生き方に、大いなる矛盾を感じてしまうのです。
 一生懸命、働いてきてもそこに良い結果が、付いてくるとは限らないのです。愚痴を言い合っても、そこには結論が無く、ただ自分を惨めにしてしまうだけなのです。どんなに上手く生き様としても、それが良い結果をもたらすとは限りません。どんなに安易に生きてきたって、生まれた環境やその人の運により、色んな形で生き方が変わってきます。
 なんてついていないんだろうと思っても、そこから生まれるものも何も無いのです。いつも自分を見失い、その内、自分が誰なのかも忘れてしまい、どこに向かって生きるのかなんていう事は、どうでも良い事になってしまうのです。目的を見失った意識は、ただ呆然と未来を見つめ、今までの出来事に何の後悔もなく、ただ生きてきた毎日に重要性が無く、明日からの生き方に望みを感じる事もなく、ただひたすら、その一日を過ごす事が精一杯の毎日がこれからも続くとしたならば、そこで立ち止まろうと周りを見た時、初めてその自分に気付く事があるのかもしれません。
 しかしその立ち止まった一歩も、明日になれば又、平凡な毎日を一歩一歩前に進め動いていってしまうのです。この様な生き方を平凡と言うのかもしれませんが、良いのか悪いのか、それすら分からなく、ただ毎日を過ごしてしまう、社会生活の中に飲まれて生きる場合はそれで、良かったのかもしれませんが、これから迎えようとする日本人、そして世界における環境の変化の中で、そこを乗り越えていく為には、今までのこういった今を、その全てを何の意味も無く、時間だけの経過を過ごしてきたそういった生き方では、これからはそして未来は正しい方向へと進む事はありません。
 自分に出来る何かを見つけ、たった一つの結果でも良いから、そこに生きた生き様を残し、良い人生だと言えるそんな生き方が出来たら、まだまだこの日本も捨てたものではないと思います。
 この恵まれ過ぎた環境の中で、甘さが露呈された現実の中で自分を見つめ、明日をどう生きるか、少しだけ考えてみたら楽しくなるかもしれません。まだまだこの日本は、素晴らしい環境の下で、明日を迎える事が出来ます。
 大自然は誰に対しても平等で、その存在はとても優しいものです。
 そんな日本で生きられる事に感謝し、もう一度自分探しをしてみてはいかがでしょうか。

 菜の花公園に迷路が作られていて、その中を進んで行くと出口が分からなくなり、同じ所をくるくる回ってただ時間だけが過ぎていきます。
 綺麗な花畑ではその時間はとても美しく、迷えば迷う程楽しく遊べるのです。
 今人類は大きな花畑の中で、そこに迷路が作られ皆でそこに入り込みました。とても綺麗な花びらや香りの良い花に包まれ、いつの間にか時間だけが過ぎていきます。迷いに迷っている内に、自分が今何をしているのか余りにもの心地良さの中で迷路に入り込んだ事も忘れ、出口に向かわなければいけないのにそれすら忘れてしまい、花の色や香りを楽しんだり、そこで佇みながら空を仰いだり、とても綺麗な空気を吸ったり、充実したかの様な時間を過ごしとても幸せな時間を感じる事になります。
 しかしこれは、現実ではありません。
 私達はこの迷路を抜け出て新しい未来に行かなければならないのに、お花畑の心地良さの中で迷路で有る事も気付かされずに、要するに迷ってそして迷子に成っているのに、それに気付く事なく、前にも進まず同じ所をくるくる回りながら、毎日を過ごしているのです。
 ほんの小さな出来事に心痛め、花の葉が毛虫に食われたとか、蝶々が花にとまったとか、足元に蟻の行列が現れたとか、そしてさっきまで咲いていた花が散っていったりまた萎んでいったり、そうかと思えば新しい花が思いっきり開いたりして、その内大きな百合の花と出会い、黒いズボンに沢山花粉が付けられます。 落とそうと思って手で拭くと繊維の奥まで入り込んで、反って取れなくなってしまいました。
 向こうにはチューリップが沢山咲いていて、そしてその向こうには薔薇達が競い合って咲いています。とても新鮮な香りと花びらの美しさの中に我を忘れて入り込んで行くと、そこには棘が沢山出ていてズボンの繊維を引っ掻いていってしまいます。ボロボロになって歩いて行っても、その花達は優しく微笑んでくれています。百合の花粉で汚れたズボンと、薔薇の棘で傷ついたズボンは、迷路の中では気付く事はありません。
 花の誘いにそのまま誘われ、そして良い思いをしながら何日も過ごしてしまうのです。まるで浦島太郎の竜宮城の様な、そんな世界で私達は今、生きているのかもしれません。
 特にこの日本は色々な物が満ち溢れ、食べ物も衣料も何でも手に入ります。綺麗な服を着て、美味しい物を食べて、幸せ一杯の様に毎日を過ごしている、ただ見えないのは足元です。今、足元が大変危険な状態である事に、気付かないのです。
 そして花畑の真ん中で色々な人と出会います。とても心地の良い世界の中では、誰もが悪い気をせず挨拶も軽やかに、そして甘んじた意識の中で、食べ物のゴミを地面に何気なく捨て、その上を歩いているのです。
 花畑の表面は色取り取りでとても美しく香りも豊かですが、足元には食べ物のゴミや、そしてそのゴミに群がる微生物や昆虫、そして蛇もうじゃうじゃ、百足(むかで)もうじゃうじゃ、そんな足元はお花畑の色に誤魔化され、全く見ていないのです。
 私達の今の現実はそれとよく似ています。それに気が付く事があったとしても、足元を見ないように歩いて行ってしまうのです。綺麗な洋服を着ていても、汚い靴を履いていてはそれは余り良い事ではありません。
 今、私達はその現実を目の当たりにしなければいけません。美しい花に魅了されつつも、この迷路を出口へと向かわなければいけません。要するに、出口を探そうとする意識を、今持って下さい。どんなに複雑な迷路であってっも必ず出口は存在します。
 今居るこのお花畑よりも、もっと素晴らしい大きな森や、小川のせせらぎや、小鳥達の歌が聞こえる、そんな世界が向こうにあるのかもしれません。
 その事も夢見ながら、未来に向かって進むべきではないでしょうか。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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