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 日常生活の中で、常に多くの人と接して生きています。二人以上の人が集まると、色んな会話が始まります。意見の食い違いは必ずといって良い程、良く起こります。それは当たり前の現象で、決して悪い事ではありません。
 その意見の食い違いに参加せず、良い人を装い自分をかばってしまう、要するに小さな嘘からそれは始まります。本当は優しい出来事でも現実に合わなければ、そこには穢れ(けがれ)が発生します。その些細な積み重ねが、大きな穢れとなっていきます。それは悪ではなく、自分の心を曇らせていく汚れの様なものです。
 心にもない事を言ってしまったり、本当は悔しいのに我慢したり、言いたくても言えなかったり、どこにでもありそうな事から、自己洗脳における真実の定義が、一般理論からはずれ独創的となっていない時、そこにも穢れが発生します。思いやりの精神の中に許してあげなさいとか、寛大な心で接しなさいとか、愛で包んであげなさいとか、現実を甘く見た許しの精神は、この日本にはあまり必要のない出来事と思います。
 自分が正しくても御免なさいと謝り、お節介な出来事に感謝しますと心にもない事を言う、有り難くなくてもありがとうと言う、こんな馬鹿げた世界がこの日本の中にもあるのです。迷惑な事に対して、迷惑と言える勇気が必要です。欲しくないものは、いらないと言う勇気が必要です。曖昧な心は穢れを助長させる事になってしまいます。
 未来の地球は乱れる心を知らない人々が暮らせる様、今からその準備が必要です。その為には心の穢れを、どこかで清算しなければなりません。生きてくるといつの間にか、心に大きな垢が溜まります。誰もがどんなに注意をしていても、避ける事は出来ません。社会はお互いの助け合いが必要です。言いたい事を言っては、何も上手くいきません。我慢の連続が心の穢れとなり自分を傷つけたとしても、相手の心を思いやる事により相手の心の垢は少なくする事が出来たとしたならば、それはそれで良いのです。
 その事により相手の心が豊かになり自分の心が和んだならば、自分の心の垢は軽減出来るのです。自然界の一員として全ての命に上手く寄与する事により、心の垢は洗われ穢れも落ちて行くのです。植物達は、人の心と上手く融合し合っています。綺麗な花を見て心が和む様に、穢れも軽くなっていきます。森の緑は安らぎを与えてくれます。言葉の無い世界にこの様な、素晴らしい現実がある事を感謝したいと思います。
 乱れた心を癒してくれる鳥のさえずりも、小川のせせらぎも、私達にとって優し過ぎるくらい有り難く思います。この大自然を大切にしなくて心の穢れが綺麗になる事は、大変難しく思います。
 やはり人間にとって、自然はなくてはならないものです。どんなに傷付いていても癒してくれる自然は、当たり前すぎてあまり感謝しないで来てしまったのではないでしょうか。最近家で、ペットを飼っている人が多くなったそうです。人間と違いペットは嘘をつきません。心の動きを体全体で上手く表現し、心を和ませてくれます。人間はなんて恵まれた存在なのでしょうか。
 もう一度周りを見直し、心を洗濯してみてはいかがでしょうか。

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 車の免許を持っている方がいらっしゃると思いますが、教習所に行って練習をするのは人間であり車ではありません。
 要するに車を運転しているのは人間であり、事故を起こすのも運転手であり、暴走するのも車を傷つけるのも、全て運転手の操作ミスや感情における現象なのです。車は何も悪い事をしないし、車は身勝手な行動もしません。全て運転手がその運転手の考えの元で行う行為なのです。
 そして車がボロボロになったら、修理したり買い換えたりします。車から降りる事が出来るから、修理に出したり新しい車に乗り換えたりする事が出来るのですが、もし一度買った車からそして一度乗ってしまった車から二度と降りる事が出来なかったとしたならば、皆さんはどう思いますか。
 一生乗り続けるならとても大切にして、暴走させたり悪路を走らせたり傷つけたりしない様に、丁寧に乗るのではないでしょうか。
 しかし車だから、降りる事が出来るからこんな現象が起きるのではないでしょうか。
 そしてその車を人間の体と置き換えてみましょう。人間の体が車で、その人間の体を運転しているのが霊体としましょう。霊体がこの人間に入り込みその人間を上手く操縦してくれるなら良いのですが、下手な運転手も大変多いのではないでしょうか。
 車の免許を取る時は教習所に通います。
 そして免許を取得します。
 人間という車に乗る時に霊体は本来ならば、教習所に行って乗り方を教わってこなければいけないのに、生まれた時から乗り込みそして死ぬまで乗り続け、降りる事が出来ないのではなく降りようともしないで人間という車を乗り続けるのです。
 そして霊体が望む欲の世界、暴飲や暴食、夜中まで遊びまくるそんな現象を平気で行っているのではないでしょうか。中には勝手にそれを傷つけ、死まで追いやってしまう様な現象もあります。
 こんな世界では人間という肉体が、余りにも可哀相過ぎるのではないでしょうか。
 やはりここで必要なのは、運転を上手に覚えてもらう為の教習所だと思います。霊体教習所、そんなものがあれば非常に面白いのではないでしょうか。
 下手な宗教団体で依存の法則を学ぶよりも、霊体教習所で霊体の在り方を学び、肉体の操縦方法を学びそしてこの社会で生き続けていったならば、トラブルは最小限で済むのではないでしょうか。
 今霊体教習所という形で霊体教育を行っているセミナーは、さほど見かける事はありません。それに近い様な事をやってはいるのですが、肉体の操縦を上手くなる様に教えているそういった所がないのです。
 やはりそこが大きな間違いではないでしょうか。
 私達がこの社会で生きていく為には、霊的現象は避けて通る事が出来ません。その霊体のレベルを上げ肉体との共有の中で社会を生き抜く事が、今非常に大事な事と思います。
 霊体教習所を2泊3日のコースで、いつか開こうと思っています。3日もあれば十分それは可能なのです。毎日通いなさいとか功徳を積みなさいとか、そんな事はしません。
 本来の霊体の在り方と肉体との関係を明確にし、どう操縦するか理論的にそれを考え意識を統一し、操縦方法を大宇宙の法則に則り、その教習を行うだけで良いのです。
 霊体教習所は法則の中に存在します。
 そして自然の中に存在します。 そんなに多くを語らなくても、肉体と霊体の関係の中に本能と言うプログラムが存在します。この本能のプログラムに添った形でそこを捉えたならば、解決に時間のかかる様な事にはなりません。
 そしてその前段階として、魂のレベルを5段階上げるというセミナーも行っております。
 よろしかったら参加してみませんか。
 過去の清算と完全コピー、メモリーの拡張、究極の想像性、感性の研ぎ澄まし、そういった現象の中から行う行為の面白さを、経験してみてはいかがでしょうか。

 なにげなく生きている毎日であっても、それなりに計画を立て一日を上手く過ごそうと誰もが思っています。二人以上の人々が上手くその場を過ごすには、慣れに伴った記憶と習慣が絡み合いながらそれが思惑通りに進めば良いのですが、時にはそれがつまずき、思いもしない出来事が起こる事があります。
 ある程度は未来を予測しながら順調にそれを進めているのですが、突発的な出来事に対応しきれず困惑の世界へと自分を追い込んでしまいます。迷いの発生はそこから生まれ未来予測がつかなくなった時、想定外と感じる事がありますが、それは少し考え方が甘かっただけの事であり、一定の方向からもの事を考えた為、思惑がはずれる事になったのです。人々は色んな形で夢や希望を叶えようとします。
 しかしそれが必ず上手くいくとは限りません。自分の心の中ではその計画は落ち度がなく完璧に思えたとしても、そこに他人が絡む以上、自分の考えプラス相手の考えも考慮した上で、尚一層の計画を立て、相手の考えに便乗するかの様に思惑というものが発生してきます。そしてそれが上手くいった時、少しばかりの優越感に浸りながら自分を楽しむのです。ほとんどの人間社会は人それぞれの思惑の中に存在し、その思惑が飛び交う中で毎日過ごしているのです。
 しかしいつも上手くいくとは限らず、思惑はどんどんはずれていきます。そのはずれた思惑を立て直すには、初めからもう一度計画を立て直せば良いのですが、走り出してしまった思惑という列車は、なかなか止める事は難しい事です。世の中の仕組みはほとんどが、この世の列車が走る事により構成されているのです。
 だから必ず矛盾という世界が生まれ、納得出来ないまま毎日を過ごしているのです。わがままな人間達は、そこを上手く繕うとして嘘を重ね、いつの間にか訳の分からない社会が作られていったのです。今私達はこの様な矛盾の中で、それなりに自分を納得させ解決を見出さないまま未来へと進もうとしています。
 どこかでそれを打ち切り、新しい未来を創造したいと考える人は多いのですが、その糸口はやはり見つかりにくく、逆に迷いの中に落ちてしまうのです。しかしそんな中で確実に未来を構築しょうとしたならば、社会から離れ独創的に現実を発展させていかなければなりません。一部の人達はそれに気付きもう始めています。
 より良い社会を夢見た多くの人々は、過去においては沢山居たはずです。情報化社会になり思惑の範囲が世界的となり、逆に誰もが手に届かない所に行ってしまったのかもしれません。
 世界中のトップが集まったとしても、解決する事は完璧に不可能でしょう。この社会で未来を創る事は非常に難しく、やはり残された道は滅亡という事になるのかもしれません。
 心ある人は、聖地に集まり新しい自然との調和を始めてみませんか。

地球に危機的な現象が起ころうとしています。
それがいつ起こるのかは、まだここではっきりすることは出来ません。
しかし確実に、そのシステムは動き出しています。
人間達がこれ以上、環境や意識の崩壊をしていくならば、必ず起こる現象です。
私達の脳における、観念的な出来事や、想像の中で理解してきた現実が、そういった考え方が通用しない、そんな日がやってくるのです。
宇宙に果てがないように考えていますが、それを理解しようとすると、全く理解に苦しんでしまいます。
 なぜなら、私達は終わりのある世界で生きていて、絶対的にそれは、結末を迎えることを予測しているのです。
到達する環境の中で移動していくならば、確実に壁が存在してくるのです。
そしてその壁の向こうがどこまであるのか、多分、距離的な感覚の中で、観念は想像することでしょう。

しかしこの大宇宙には果てがありません。
どうして果ては存在しないのでしょうか。
無限大に広がる宇宙を、私達の観念では理解することは出来ないのです。
 なぜならば、全てが唯物論的に考えられ、触れたり、見られたり、計れたりする世界で、私達は生きてきたからなのです。
宇宙に果てがないことを、三次元の物質化社会で理解しようとしても、これは全く不可能なことになります。
 なぜならば、私達は次元という言葉をよく使いますが、次元という認識が出来ていないのです。
次元とは一体何なのか、点とか線とか、立体とか、そこまでは何とかなっても、四次元や五次元や六次元、そういった次元を、物質社会で理解しようとしたならば、確実に不可能な結果となることでしょう。
果てのある考え方では、次元を理解することは出来ない、四次元の外側に五次元があるとか、五次元の外側に六次元があるとか考えたならば、まるで玉ねぎの皮をむくような、そんな意識で次元を理解したならば、その次元を理解することは全く不可能なのです。
逆に、物質的な観念をなくし、次元を捉え、現実を見直してみたら、私達は次元という、果てのない存在の中で、この三次元という現象の中で生きているのです。
次元の中に起こる現象である限り、果てがないのが当たり前なのです。

これからはこういった考え方の中で、観念はどんどんと作り変えられています。
今までの考え方でものを捉えたならば、何も見えないのです。
しかしながら、こういった危機的な時間を迎える中で、ついに私達は、急激な現象の中で、意識や観念が変わり、新しい存在となる日が近づいてきます。
それは孤独との戦いと、真っ白な一日が、新しい観念を記憶させる為に、宇宙から放出される、そういった新しいエネルギーに包まれ、地球全体が、生まれ変わる、そういった日がやがてやってきます。
今起こっている環境の破壊や、原子力事故のような、このような危機的な環境も、その光の中では一瞬で解決し、何の問題もなく、時間は未来の中で、今を見つけることになるのです。
この時に、死と勘違いする人も多くいるでしょう。
しかしながら、それは死ではなく、新しい観念の、発想の時間なのです。
白い日が続く中で、著しく極度の孤独感に襲われることでしょう。
 なぜならば、周りには誰もいないし、何も見えない、触ることも、聞くことも、見ることも、要するに音も光も、そして物質すら、そこにはないからです。
そしてその観念が新しく生まれ変わった時、全ての情報は共有化され、現実が戻ってきます。
その現実は、新しい時間であり、新しい一日の始まりなのです。
今までの物質的な観念ではなく、情報や意識は、不安と恐怖を感じることで、すがすがしさの中で、目を覚ますことでしょう。
あの孤独感はもうそこには存在せず、生まれ変わった自分は、見るもの全てが輝いて見えることでしょう。
全く不安のないこの世界で、意識は共有され、共に繁栄することは間違いないのです。

もちろんこの情報の共有化は、人間だけに起こる現象ではありません。
全ての生命体は、意識という世界で会話が出来、感情を豊かにすることが出来るのです。
豊かな心は、広がる愛の世界で、全てを感じ、夢のような出来事が繰り返されることでしょう。
そして人々は、平安な日々を過ごすことになるのです。
その日が、来ることは分かっていますが、いつかということは、まだ言えません。
そこにいける人達も、その日が来ることを知っていた人達だけが、その孤独との戦いに勝ち抜き、新しい未来に行くことが出来るのです。
今ここで学ばなければいけないのです。
そうしなければ、その孤独から、立ち上がることは出来ません。
極度の緊張と、その大いなる孤独は、豊かな未来では、もう感じることはなく、毎日を過ごすことが出来るのです。
その為に、このことを学んで下さい。
それは死ではありません。
生きる為の法則なのです。

これからの1年間は、食料の安全、また水の安全、空気の安全といったように、多くの安全がテーマになることでしょう。
今までは何気なく手にしてきた食材が、どこの地域でとれたのかとか、遺伝子組み換えじゃないのかとか、加工食品であっても、原材料はどこのものなのか、また今、日本性神話という、最も安全な法則が壊れてしまった以上、どこに安全を求めたら良いのか非常に困難を要することになりました。
これから、日本の食材のほとんどに放射性物質が含まれ、その放射能によって、放射線を浴びてしまった食物達が多く出回ることは間違いないでしょう。
しかし私達は、そういったものを食べなければ、この日本で生きていくことが出来ません。
放射性物質の含まれた食材を、いかに安全に処理するかが、これから大きなテーマとなっていくことは間違いないことでしょう。

これまでに考え出されてきたあらゆる科学の中で、食の安全という面から考えたならば、極めて難しい難題が待ち受けていることと思われます。
しかし、デルファトラの科学、フォーマットウォーターと、その水の特性である脱イオン反応により、その危険性はある程度回避されることとなるでしょう。
 なぜならば、放射性物質であっても、また添加物や化学物質であっても、水の中では微生物でさえも、イオン化しながらその中に存在しているからです。
そして、化学物質を取り除いた後の、水に書き込まれた情報の処理を、見事に行っている科学は、この地球にはかつて存在していませんでした。
デルファトラ星は、幾度となく、過去の脅威からその経験の中で、それを回避する色々な方法を見出してきました。
その科学の持つ大いなる特徴は、脱イオン方式の中にあり、水の中では全てがイオン化するという理論を応用しながら、そのイオンをバイオプラズマという小さなスパークにより、奪ってしまうことに成功しているのです。
しかしながら、奪っただけでは何の意味もありません。
私達の脳は、そこに書き込まれた情報に反応してしまいます。
要するに取り除くだけではなく、書き込まれた情報をも処理しなければ、何の価値もないことになってしまうのです。
そしてそのバイオプラズマ理論は、もう一つの二重スパークにより、同時に脱イオン化と情報のフォーマット化を行うことが出来るのです。
このように、チャンネルを移動しながら、水の中におけるイオン反応を上手く利用し、そのものの持つエネルギーと情報を処理し、最も有効的な形に、その存在を変えてしまうのです。

食の安全、水の安全、この行き詰まってしまった理論の中に、唯一救いがあるとするならば、このデルファトラの科学しかないのです。
結果は、確実に訪れてきます。
ほんのわずかでも、わずか一歩でも、安全へと近づくことが、この日本が生きていく絶対的な条件となるのです。
甘く見てはいけないのですが、方法がない為、ごまかし隠すしかなかった、この地球の科学に、デルファトラの科学が参加することにより、それは可能となってきたのです。
全く新しい意識の中で生まれた科学は、突拍子もない程、単純であり、それは現実のものとなっていくのです。
脱イオン反応により無害化された安全な水と、またその水の能力によりフォーマットされた安全な情報の食べ物を、出来るだけとることが望ましいと思われます。
今こそ、この危機的な時だからこそ、デルファトラの科学が皆さんのお役に立てることが出来、またこの優れた科学が、表に出ることにより、これからの未来は変わっていくことでしょう。
全ての食材を、フォーマットウォーターと融合させながら、より安全な生活をしていただけたらと思います。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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