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波動の科学などでよく使われる言葉に、転写という言葉があります。
情報を上手くそこに転写し、その情報を引き出す側に都合よく重ね合わせながら改善していく、とても有効的な方法の一つだと思われます。
しかしその情報が、環境問題の定義の中で破壊されることは、とても残念な事実となることでしょう。
 分かりやすくいうと、例えば、お水にある情報を転写し、その方にとってとても有効的な転写水が出来たとしましょう。
しかしながら輸送中、トラックや他の車の低周波や、送電線の下を通った時の電磁波や、電車における色々な周波数の影響をその水は受けてしまいます。
どんなに鉛の箱で包んだとしても、振動における情報の破壊は限界を超え、確実にその転写水をただの水にしてしまうことでしょう。
ましてや、家に届き、栓を抜き、残った水をしまう冷蔵庫には、電磁波や振動、そして家の中にはクーラーやテレビも存在します。
その上、掃除機やドライヤーから出る電磁波など、その水はあらゆる妨害行為を受けることになります。
よって、あなたの為の波動転写水は、あなたの家に着くまでに何の意味も持たない、ただの水となってしまうでしょう。

何故このように、それらの影響をそれほどまでに多く受けてしまうのでしょうか?
それは、水における情報の記憶と、その記憶の伝達のプログラムの中に、電子が使われているからなのです。
プラスの陽子と中性子は、孤立した状態の中で意識され、安定した方向へ保とうとします。
だから、波動的に転写するには、自由に飛び回り、自由に伝えることの出来る電子に委ねられていることは言うまでもありません。
中性子の中に入っているとするならば、先ほど行ったように孤立した存在ですので、何の役にも立ちません。
あくまで共有結合、それは電子の共有であり、中性子の共有ではありません。
何故なら、中性子を持たない水素が、酸素と結合し、水の分子構造を作っていることの方が多いからなのです。
また陽子は、非常に傷つきやすい存在でもあります。
そこへの書き込みは、逆に危険を要します。
そして自由が奪われた世界では、役割を十分果たすことは出来ないでしょう。
要するに、一般水にそれがどんなに美味しくまた科学的に素晴らしく作られたものであったとしても、この問題を解決することは不可能なのです。

しかし、デルファトラの水の科学の中では、メロディを奏でながら、意思と意識を尊重し、一度転写された情報がそれを必要とする人に届き、その人がロックを開けない限りその情報を引き出すことが出来ない、そんな方法があるのです。
よって、交通手段におけるトラブルや家の中における危険な状態から、何の影響も受けない、そんな水が存在しているのです。
波動の科学は、決して侮れない素晴らしい科学です。
それを利用する人が、上文に掲げたような、間違いの中から存在していることも事実なのです。
しかし一部の人たちは、ゼロバランスフォーマットウォーターをより上手く利用することにより、もちろんそれはデルファトラの科学との融合を表しますが、今まで不可能とされてきた、社会生活における情報の破壊が自ら防げることにもなるのです。
このように、転写された情報への障害を極力抑えることが出来たならば、より多くの利用方法が考えられてきます。
新しい波動の科学は、物理学の中でも容認されることは決して不可能なことではないのです。

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日常生活の中で、二人以上の人間が存在し、社会生活が営まれています。
その時必ず表れる事柄に、意見の相違があります。
自分の意見を通そうとしても、相手の意見と食い違った時、その意見は通りません。
また多数決の権利の中では、多くの方の考えが容認され、少数意見は、尊重されることはあっても現実化することはないのです。
例えば身近な現象で、職場を考えてみましょう。
自分とは違う考え方の人が沢山います。
誰もがみな、自分の考え方が正しいと思い、行動します。
そして、何か意見のある時には、自分の考えが正しいとして発言します。
わざわざ間違った意見を言う人はいないのです。
話し合いは、正しい考え方のぶつかり合いなのです。
従って、お互いが歩み寄ることは非常に難しくなってくるのです。
そして、自分の意見を通そうとする時には必ず相手の意見を覆さなければならない、という現実にぶち当たります。
それでは、お互いが不愉快な思いをしてしまい、その後の人間関係に支障をきたすこともあるのです。

ではどうすれば、自分の意見を通し、人の意見も尊重し、お互いが合意の上で物事を進められるでしょうか?
そんな方法がもしあったとするならば、誰もが争わなくなります。
人間関係を上手く繕う為には、相手の考えを尊重し、その考えの方向性に便乗する形で自分の考えを載せこむという方法が、実は存在します。
相手は自分が正しいと思い、自分の意見を次から次へと述べていきます。
その相手の意見を、否定してはいけません。
逆に肯定した上に、上乗せし、自分の意見をプラスしていくのです。
そうすれば、相手は自分の意見を認めてくれたと思い、また満足度も増してきますが、結果的に載せられた意見に従うことになり、双方が歩み寄ることが出来るのです。
一般道路では、車が向き合いながら走行しているために、ちょっとよそ見するだけでも大きな事故を招きます。
しかしながら、高速道路のジャンクションでは、車が同じ方向をむいて走るので、相当危険な割り込みでも事故は起きにくいのです。
双方が同じ方向を向いていくことが、やはりここでは危険を回避する唯一の方法といえるでしょう。
このことからも学べるように、いかに方向性を一つにしていくかが問題となるのです。
何故ならば、誰もが仕事がやりやすいとか、早くに終わるとか、楽な形で過ごせるとか、向いてる方向性には全く問題はないのです。
ただその方法が、少しだけ違うに過ぎないのです。
反論と、議論と、そんな中には、答えはなかなか見出すことは出来ません。
それよりも、いかに相手の意見に便乗するかを考えたならば、世の中は上手く回り出すことでしょう。
昔の人は言いました。
長いものには巻かれろと。
この意味が、ここではよく分かってくると思います。
ずるいようですが、そんな生き方をしてみたらいかがでしょうか?

私達の日常生活の中で、最も興味深いところと最も不安なところに、過去と未来が存在します。
そして、誰もが知りたいのが、自分の未来であり、また自分の過去でもあります。
自分の中で、要するに経験の中で記憶している過去は、もちろん、現実の中に存在する限りは、その人に起こった出来事の一部となります。
しかしながら、私達は、目に見えない存在、そんなものに大きく振り回され、また多くの興味を持つことがあります。
例えば、「あなたの前世は、ああだったのよ。こうだったのよ」と、伝えてくれる人がいます。
しかしながら、それを確認することは不可能なのです。
有効性を持ちながら、その人の為と思い、本当にそこに入り込み、霊的現象を捉える、本物の方も何人かいらっしゃることは事実だと思いますが、ほとんどの方は、知識と感性とを組み合わせた、実際は見えていない人なのです。

こういった事柄は、確認することは絶対的に不可能なのです。
だからそこに付け込んで、適当なことを言って、ごまかしながら暴利を貪っている人達が余りにも多いことが、残念でなりません。
実際、凄い能力を持った方々がいらっしゃることも事実なのに、コマーシャルが上手な営利を目的とした知識人に、多くの人が集まることも事実なのです。
ひどいものの中には、アセンションや高次元化を利用し、アセンション後の生活に合わせ、貯金ということでお金を集めているような話もあると聞いたことがあります。
確認の出来ない未来に対して、今の段階でお金を集めているわけですから、とても不思議な現象だと捉えるしかありません。
でもその不可思議的な未来や霊的現象に対して、沢山の人が興味を持ち、そこに通っている方もいるのです。
スピリチュアル系のセミナーが、あちこちで結構高額なお金を取りながら開催されていますが、そこに想像的な世界が繰り広げられていても、具体性を持ったテクノロジーが存在しないことが多いのです。
意識や心により未来を切り開こうとしたり、思いの世界で光の身体を手に入れようとしたり、沢山の想像が存在します。
アセンションも、どうすればそうなるのか、現実的な法則は誰も明解にしません。
それなのに、アセンション後の未来の話をしても、仕方ないことなのです。

一番大切なのは、今、何をするのか。
もちろん、意識的にも。
しかしながら、もっと大切なことは、現実です。
この現実の中に存在する、物質的な現象を捉え、その処理を急がなければなりません。
肉体におけるトラブルを改善しなければ、正しい意識は絶対に存在できません。
すべての現象は、エネルギー依存によって成り立っているのです。
それを無視した理論の中に、多くの人が楽しんでいる事実は、とても残念なことに思います。
従って、やはり、確認出来る事実関係を組み立てた上で、そのテクノロジーや法則を明確にした上で、それが正しいか間違いかは別として、あくまで順番としての段取りが必要であり、いきなり幾つも飛び越えて、現実離れしていくことが、問題となるのです。
想像力は、現実を超え、法則を無視して存在したとしても、それは何の意味も持たないのです。
しかしながら、シャーマン的な意識を持つ超能力者が現れ、この日本を救おうとしていることは、現実として起こっています。
確認出来ないからといって、否定することも出来ないのです。
そこに委ねられた、かすかな望みは、今現実のものとなろうとしています。
確かに、そのような時代なのかもしれません。
今危機的な時を迎え、突拍子もない出来事が現実化されていくこともあり得るのです。

今この日本で、心ある人々達が集い、大いなる行動を繰り広げています。
ある特殊な水を、対馬海流、また日本海流、要するに、黒潮に融合させながら、そしてまた黒潮の持つ暖流という極めて特殊な能力をそのまま利用し、この日本を、そう日本列島そのものを包み込んでしまおうとするプロジェクトが、すでに10年以上前から動いているのです。
まだ始まったばかりとはいえ、このプロジェクトが成功すれば、日本における全ての生命体に有効的に作用することは間違いないと思われます。
そこに加え、また逆に、親潮、寒流にその水を流し込むことにより、海底汚染を食い止め、海水の浄化に大いに作用することでしょう。

今、沢山の人がここに集い、それを現実化する為に動いて下さっています。
これから起こりうる、太陽の暴走、そしてフレアの爆発、地球は危機的な現象にどう対応していくのか、また人類がそこにどう立ち向かえるのか、大いなる疑問の中にありますが、この危機を乗り越えなければいけないという現実は、避けて通ることが出来ないのです。
かつての経験の中で、植物達は幾度となく、こういった危機の中を乗り越え、今現実に私達の目の前に存在しています。
しかしながら、今回は極めて危険度が大きい為、その植物でさえも、この危機に対応出来るかどうか解らない状態が続き、今現実に、この地球は砂漠化が急激に進もうとしています。
これは、そこに生きる生命の限界を超えたことを意味します。
しかしながら、植物達は真夏のかんかん照りのなかで、太陽に葉を向け、堂々と誇らしげに存在しています。
熱中症で人間は病院に担ぎ込まれますが、植物達はそこを上手く回避し、その太陽からの激しいエネルギーの放出に耐え抜き、しかもそれを利用して生き続けているのです。
彼らの持つ能力の一部を拡大化し、要するに彼らは、呼吸しながら水蒸気を吐き出し、葉の周りにシールドを作り、その防御システムは完璧ともいえるほど、素晴らしいものなのです。
その科学の中に、私達人類が生き続けるシステムが、見事に存在しています。
しかもこの日本は、黒潮に囲まれ、それと同じ機能を利用できる、地球唯一の島なのです。

この暖流に、それをカウントする水を含ませ、その蒸発能力を利用し、ドーム化し、また雨を降らせ、大地の情報と記憶をフォーマットさせ、植物の出す水蒸気と上手く融合しながら、この日本はこの危機を乗り越えることが可能となるでしょう。
その為には、黒潮におけるこの水のパーセンテージが、一つの問題となってきます。
その日が来るまでに、そのパーセントが確保出来るかどうかは分かりませんが、もしそれが可能となったならば、確実にこの日本は救われることになります。
植物達は、私達人間に食べ物や酸素を与えてくれているだけではないのです。
太陽の光を吸収し、それを変化させることにより、私達にとって必要な物質を作り続けているのです。
しかも、彼らが呼吸することにより、大気中や海の中に放出される、いわば植物の生体水が、私達にとって大いなる恩恵をもたらしてくれることに、今気付かなければなりません。
今こそ彼らと手を組み、実行するべき時を迎えています。
倭民族は、その持つ独特の使命の中で、この日本で生き続けなければならないのです。
何故なら、同じ過ちを繰り返さぬよう、未来が間違った方向へ進まぬよう、それを伝える大いなる役割を与えられているからなのです。

誰もが迷いの中で生き続け、この社会生活の中で、常に不安を持ち、そして喜びや悲しみや苦しみの中から、自分を変えようと思ったり、自由で在りたいと思ったり、欲しいものを欲しがり、そしてそれが手に入った時、喜ぶよりも虚しさを感じたり、満足感よりも、そして達成感よりも、逆に挫折感の方が大きかったり、そんな日常生活を精一杯力強く生きようとしていますが、なかなか満たされることはありません。
ある人が言いました。
「私の心が満たされたら、私の周りの人達の心も満たされ、沢山の人を幸せにしてあげられる」
果たしてそんな現実は起こるのでしょうか?
幸せって、何でしょうか?
不幸の反対、そんな単純なものではありません。
どんな時、幸せを感じるでしょうか?
またどんな時、心が満たされるでしょうか?
不安が全くなくなり、お金も自由も欲しいものも、みんな手に入ったとして、それは満たされたことになるのでしょうか?
そしてそれを、幸せと呼ぶことは出来るのでしょうか?
満たされたいと思う人が、幸せになりたいと思う人が、果たして本当に幸せを、そして満たされる心を理解して言っているのでしょうか?
大いなる疑問がわいてきます。

希望が叶った時、目標が達成出来た時、もっと簡単に言ったならば、富士山に登りたいと常に思っていた人が、その願いや目標が叶い、富士山の山頂に立った時、しばらくの間は達成感で満ち溢れ、清々しい風と景色の中に、大いなる満足を得ることでしょう。
そして、やがてはその山を降りなければいけません。
家に帰って、写真を見たり、友達に話をしたり、良かったねと言われたら、とても嬉しいのですが、私も行ってきたよと言われたら、途端に悔しいという思いが込み上げてきます。
自分だけがとか、特別だからとか、そういった思いが心を満たし、私だけよといった考え方が、満足感を満たす存在となるのです。
これは一つの考え方に過ぎませんが、人間の中に欲がある以上、それが独占的なものならば、なおさら傷つきやすく崩れやすいものとなるでしょう。
特別に扱われたいとか、大事にされたいとか、きれいな服を着たいとか、そんなことは幸せや満たされる心の材料にはならないのです。
どんなに目標が達成されても、その後は次の目標を立て、そして崩れ落ちていくのです。
宇宙飛行士になったり、オリンピックで金メダルを取ったり、その後の人生は過酷なものと聞いたことがあります。
何故、私達は幸せを持続させたり、満足を持続させたりすることが出来ないのでしょうか?

安易に、「私の心が満たされたならば」なんていう言葉を使う人は、単なる偽善者に過ぎません。
幸せになって下さいと、願うことはよくあります。
これもある面、偽善用語なのかもしれません。
何故ならば、その理解は、その人にしか分からず、幸せの意味を定義付ける存在がないからなのです。
今を精一杯生き、現実のありのままを受け入れ、そこに一点の曇りもなく、全て透明な世界の中で、確認し合い、生き続けることが、実は幸せと満たされた心の原点なのです。
目の前に起こる現象全てが、自分の為にあるのです。
それをどう受け取るかが、その人の心の満足度に反映してくるのです。
満たされた心とは、全てを受け入れる勇気を持った心を意味します。
その大いなる勇気が、自分に備わった時、私達の心はそれを幸せ(さち)ということが出来るでしょう。
あくまでここで必要なことは、目の前に起こった現象全てを受け入れ、心の中でそれを昇華し、生きることなのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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