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何気なく生きている毎日の中でふと足を止めると、そこには名も知らぬ草が生えています。ただそれだけの事ですが、そんな時その草の名前を知ろうとか、なぜそこに生えているのか、なんて言う事はどうでもいい事で、自分は何をしているのか、どこに向かっていくのか、仕事に追われ人間関係に疲れ果て、自然と会話する余裕すら無くしてしまっているのです。
物事はほとんどは自分からの発想で、自分が正しいという観念の中から、結果的に事が進んで行っているのです。正しいと思わなければ何も出来ません。間違っているかどうか確認さえせず、生きているのが現状なのかもしれません。本来人間は自然に生かされ、役割を持っていたはずなのですが、自分達の生活に追われ、自然を見る事が出来なくなっているのです。
なぜ野菜や果物は、人間に食べられる為に成長しているのでしょうか。植物達は毒を持とうと思えば、キノコの様にいつだって出来るはずです。あの毛虫達も、緑の葉を喜んで食べます。でも植物は文句言わず食べられています。こんな事を考えたら、今の人間達の生き方が植物に対して恥ずかしく思います。
寛大な心で許し合いなさいなどと言っている人達も、植物の目から見たらどう思われているのでしょうか。ただの偽善者としてしか見られていないかもしれません。植物から比べたら人間の心は、あまりにもみすぼらしく思えてなりません。
一体、私達は植物達からいや、自然からどう見られているのでしょうか。毎日の行動が身勝手で、自然の気持ちが分からず、人間がこの地球の地主の様に勝手な事して、環境を破壊しているのではないでしょうか。未来の地球に向け、人間も変わらなければなりません。自然が私達を受け入れてくれるかどうか、今のままでは難しく思います。
これからは、自然が人間を裁く時代となります。彼らがへそを曲げたら人間は、この地球で生きられない事を今知って下さい。自然に私達はどう見られているのか、それが重要な事です。
自分からではなく相手からどう見られるか、それが大切な事柄となるでしょう。