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 噂話にはいつも花が咲きます。なぜこんなに楽しく話ができるのでしょうか。
 それは他人の話であり自分事でない為、何の責任がない為楽しく会話が弾むのです。人々が一日の時間の中で話す言葉の中で、ほとんどの領域を他人事か、もしくは仕事ごとか、かに領域が置かれます。自分事については、相当信用のおける友人でなければ話ことは出来ません。だから他人事に花を咲かせ一日の会話を楽しんでいるのです。責任がないからこそ、どうでも良い事柄だからこそ言葉が弾むのです。
 神が与えてくれた言葉を、噂話やそこに居ない人の悪口や、結果の伴わない議論に費やし楽しむ事は、決して悪い事ではないのですが、その噂話に左右される人が居たら、非常に大きな罪となります。噂話の事実関係を確認もしないで言葉の連鎖がはじまったならば、そこに悪の意識がなかったとしても、被害者を作ってしまう危険性をはらんでいるのです。余分な話を面白おかしく楽しむ事は罪に当たらないと、考えている人が非常に多いのではないでしょうか。人を批判する権利が自分のどこにあるのでしょうか。
 いつかどこかで自分の事を、全く知らない人が話題にしていたら本人はどう思うでしょうか。良い話なら悪い気はしませんが、事実関係を無視した噂話だとしたら、どんなにがっかりするでしょう。評論家の様にテレビ番組の中で、勝手な意見を勝手に言うのはただの身勝手にすぎません。それを面白おかしく見ている方にも問題がないとは言えないのです。
 言葉の罪は、軽はずみな心から発せられて、知らない内に人を傷つけてしまう事もあるのです。しかし自分事については秘密を保持し、慎重に話す相手を決め、内容もひた隠しにしながら小出しにしています。この慎重性が本来、他人事であっても、必要なのではないでしょうか。自分事と他人事を同じレベルで考え、その人の心に入り自分事の様に理解できたならば、今まで何て大きな罪を犯してきたのか理解出来るはずです。
 自分の都合によりましてや、自分を正当化する為に、人の悪口を言うなんてあってはならない事なのです。自分の押し付けな意見を理解してもらう為に、仲間を増やし言葉を上手く操り他人事を行う権利など、誰にもないはずです。人の見方はそれぞれで、良く見たり悪く見たり、その日によっても違っているのが現実なのです。人の事を安易な発想で軽率な言葉を発する事は、慎みたいと思う事もよくあります。時には言われる側に立ってみてはいかがでしょうか。
 未来の地球は穏やかな人が、和みの世界で暮らしていると言われています。今から準備をしなければならないはずです。人々の心がこれ以上すさまない内に、変える必要があるのでしょうか。

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