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 人は生まれながらにして、色々な運命を背負っています。育ちの良さとか旧家の生まれとか家風の違いにより、逆にそれが大きな荷物となる事もあるのです。
 上品とか下品とか何を基準にそう言うのか、非常に疑問も残ります。封建社会で今も観念的に生きている、それが品位と品格といった言葉に代用される事もあります。何気なく生きている社会の中で安っぽく見られてしまったりそんな事から粗末に扱われてしまったり、何を基準にしているのか非常に難しい点があるのですが、やはり品位と品格はこの社会では重んじられてしまうのは日本人独特の考え方がそこにあるのかもしれません。
 世界一、質の良い民族といわれる日本人は、もちろんプライドも世界一高く、生活の全ての行為に道という教えが存在し要するに華道とか茶道、剣道柔道武士道といった様な、非常に緻密に計算された生き様がそこに存在し、神道国家である日本は見えない世界においても、それを世界一理解し、亡くなってからの大義名分は他国では理解出来ない、日本だけのものかもしれません。肉体が滅んだからといって、それを人の死と考えず霊的なものに位を与え、肉体のない世界でも非常に厳しく扱われていくのです。それは悪い意味ではなく、日本人だけが理解出来る、素晴らしい行為なのかもしれません。
 また日常生活の中では行儀作法といった様に法則が用いられ、完璧に秩序のある世界一位の高い民族性を維持しているのです。武士道といったその世界を紐解いてみると、これ程にまでも大義名分を重んじた世界、確かに世界に類の無い極めて突出的な考え方なのかもしれません。しかしこの中でそこを総称している中で、内側から見出される品格の世界が行儀作法という形で、明解に教えられているのです。
 立ったまま物を食べてはいけないとか、手でつまみ食いをしてはいけないとか、箸の扱い方一つでも色々な呼び名があり、例えば箸で前の方にあるお皿を引いてきては非常に下品とされる、また箸を人に向けてはいけないとか、手前の方から食べなければいけないとか、教えや法則はかなり厳しいものもあります。お茶の作法においてもいくつもの法則が存在しています。華道一つ取ってみても色々な流派があり、これも日本独特の考え方と言えるでしょう。
 人は見掛けによって判断されます。かといって安っぽい洋服を着ていたから品が無いわけではありません。孔子の教えにある様に、やはり自分の顔に責任を持たなければいけない現実がそこに有るのです。
 口を開けて歩いているだけでも品がないとされます。やはり締まりが必要となってくるのです。しかし親からもらった容姿の中でどうしようもない様な気もしますが、明治維新前後の武士やまたその周辺の人々の古い写真を見ると、顔が締まっていて非常に品が高く、余り高価ではない絣(かすり)のもんぺをはいていても、あれ程までに品位と品格を保っているのはなぜなのでしょうか。やはり日本人の魂の位の高さが顔や姿勢に表れてくるのかもしれません。
 最近の私達は自由を求める上で、封建社会の考え方を拒否して生きてきた様な気がします。しかしここに来て厳しい社会にもまれる中で、安っぽさは自分を駄目にしていく一つの原因になる事を知ります。やはり自分を磨き日本人の魂の位に近づける為にも自分の性格を自分自身で変える事が、そしてそれが表情として顔に表れることがこの激動の社会で一つの良い方に向けた法則ではないでしょうか。
 品位と品格を重んじながら自分を変えていく、それが自分を変える一番簡単な方法なのかもしれません。なぜならば私達に初めからそういった記憶を持っているのです。日本人として生まれここに育つ以上、初めから備わっている大変優秀な能力でもあるのです。
 その自分の中に潜む素晴らしい恒久的な意識を多くの人が取り戻したならば、この社会はもっと素晴らしく秩序のあるものとなるでしょう。

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