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中世に描かれたヨーロッパの絵に、時々登場してくるのが、天使です。
天使と聞くと、なんだかすごく優しくて、包容力と愛で包んでくれる、なんだか心が和む存在のような気がします。
天使と聞いて、誰もが嫌なイメージを持っていないと思います。
しかし時々、その天使の絵の中に、弓や槍を持っている、そして微笑んでいる、ちょっと変だなと思うような絵もたくさん存在しています。
天国の使者である天使は、天国という楽園に住んでいて、この世を優しく見守っているかのように思えますが、そうでもないのかもしれません。
なぜ、天使が弓を持っているのか、その弓は何の為に必要なのか、そんなことを考えてみると、やはり天国を守る為には、武器が必要なんだという結論になってきます。
要するに、天使達が楽園を築く為には、その楽園を阻害するような悪魔達を、いかに消滅させるかが大きな課題になっているのです。
あの微笑ましい笑顔からはとても想像出来ませんが、それは否定出来ない現実なのでしょう。
天国という楽園は、そういった彼らの意識によって作られ、そして守られているのかもしれません。
多分、天使達は、ニコニコしたその笑顔で、弓を使い、槍を使い、悪魔を笑いながら退治しているのでしょう。
そんな彼らの隠れた強さと優しさが、楽園を築き上げ、平和な世界を見出しているのでしょう。

今のこの時代も、本当に激動の時期といわれ、悪魔が沢山存在しています。
しかもその悪魔達は、大変大きな力を持ち、この世の中を支配しているのです。
そんな彼らに、もし打ち勝つことが出来るとするならば、それは、強さを持った天使達に委ねるしか方法はないのかもしれません。
やがて来る危機的な世界の中で、悪は力を増し、大暴動は世界を揺るがし、略奪や強奪が、日常茶飯事のように繰り返される日が来るのかもしれません。
食糧危機を迎え、自然環境の大異変の中で平和を求めて生きようとしたならば、それは極めて限られた地域の中で、優れた能力を持った自己防衛が必要となることでしょう。
しかしながら、聖なる意識の人々達には、武器は存在していません。
ただひたすら逃げ隠れするしか、方法はないのかもしれません。
かつて沖縄では、人目を避け、洞窟の奥まで逃げたとしても、火炎放射器で焼き殺され、罪もない命がたくさん失われました。
この日本も、そんな悲劇の中で今があることも忘れてはいけません。
そして今、その時の悲劇よりももっと、危機的な時期を迎えようとしています。
人々の意識が人間としての心を失い、悪魔と化しながら、人類を滅亡への方向へと押し進めていってしまうのです。
そんな中でも生き抜き、未来を築き上げなければなりません。
生かされた命は、次の未来で新しい意識の元で発動しなければいけないのです。

楽園を築き上げる為には、やはり天使達に守ってもらうしかありません。
天国から送り込まれた使者は、この世を正しい方向へと導いてくれることでしょう。
その為に、天使達は悪魔を退治するあらゆる方法を知っているはずなのです。
天使から今学ぶことは、その強い心と限りない優しさ、そしてその包み込むような包容力でしょう。
人間は一人では生きていけません。
彼らのような意識と上手く融合しながら、もっと強くならなければいけないのです。
笑いながら悪魔を退治出来るような、人間にそんな強さがあったならば、間違った道へは進まなかったことでしょう。
天使に学ぶことは、未来を築く、大切な行為となるはずです。

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この大宇宙を支配している、大いなる情報と法則を、光と音が管理し、また伝えていることはいうまでもありません。
全てのエネルギーは、この光と音から生まれ、そして意識や感情はこの光と音の範囲の中で育まれているのです。
私達人間には、目があり、そして耳があります。
目と耳が捉える情報量は、非常に大きなものといえるでしょう。
しかしながら、目や耳で捉えることの出来ない光や音は、まだまだ沢山あることに、私達は気付いていません。
しかし、全てこの音という周波数と、光という周波数の、この交差の中に、エネルギーが存在し、そして全ての情報を管理する、大宇宙の法則が生まれているのです。
この光の種類も、何万種もあるといわれています。
また、音の種類も、無限大にあるといわれています。
この組み合わせの中から、情報というプログラムが上手く組み合わされながら、そこに電子や陽子が上手く絡み合いながら、この物質という現象が起こり始めてきたのです。

要するに、この電子や陽子も、光と音のなす大いなる自然現象の一つに過ぎないのです。
私達がもし、この光の法則と音の法則を、もっと有効的に利用したならば、未来はもっと明るい方向に築き上げられていくことは間違いないのです。
もっと具体的に、この光と音の話を分かりやすく表現したならば、霊的現象も思いの発生も、物質という現実性を持った世界も、初めから光と音の世界の中に、あくまで仕組まれた素晴らしい法則の一つとなっているのです。
言葉という単語が、光と音から出来ていることは、前にも書きましたが、光と音の波は、確実に私達の脳を刺激し、そして宇宙の法則の中で、私達の人間の脳は、それを上手く利用したり、また感応し合ったりして、日常生活に役立てると共に、その光と音の周波数を自ら発生することにより、意思疎通が図れたり、思いが伝えられたりするのです。
今の私達は、それを古典的な形で、要するに言葉という形で表現していますが、この光と音の周波数を、意識の中でエネルギー変換が出来たならば、私達は口をあけずに、声を発生せずに、意思疎通が図れるのです。
また逆に、このような方法で、情報交換が出来たならば、時間も距離も、そして見分ける必要性すらもなくなってくるのです。

私達人間はこの光と音を、まだ利用しきってはいないのです。
耳や目で、聞こえる、そして見える世界のその周波数の中だけで物事を確認し合っていますが、その周波数を超えた時、我々は、そこを上手く利用する方向へと導かれることになるのです。
携帯電話で色々な人と話が出来るのも、携帯電話という受信機が存在し、それが私達に聞こえる音に変換されるから、その人の声が聞こえて、そして遠くの人と話が出来ます。
このように、電波を使っての、そして受信機を使っての、そういった行為を、そのような科学的な物質を使わずに、私達が本来持っている能力の中で、そういった部分を上手く利用することが出来たならば、時間や距離がもっと有効的に使われて、要するに遠くの人と、距離を関係せず、会話が出来たならば、社会は楽しく営まれることも考えられるのです。
人間よりも知能の進んでいるといわれるイルカ達は、そのような方法で会話し、あの広い海原の中で、お互いが交信し合っていることは言うまでもありませんが、人間達のその能力は、この極めて危機的な未来の中では、絶対的に必要な能力のひとつとして、蘇ってこなければいけないのです。
俗に言うテレパシー時代が、もうすぐやってくるのです。
人間が作るエネルギー的な電気ではなく、自然の中に存在するこの微弱なその電子エネルギーの中に、そういったプログラムが反映されることは、さほど難しい出来事ではないのです。
私達人間は、まだまだ未知的な能力を、その記憶を全て思い出すことには成功していないのです。
意識を集中し、本来持っているその光と音を超越する能力を、一日も早く取り戻して、未来に向かう必要があるのです。
それは、私達の脳を包む頭蓋骨と、和音によって作り出される、さほど難しくない現象なのです。

小さい頃、よく親に言われました。
「行儀が悪いわね」
そして
「作法を学びなさい」
何のことか、よく分からなかったときもありましたが、今になって、その親の口癖のような言葉が理解出来るようになってきました。
秩序が乱れ、何が正しくて何が間違いなのか分からない、そんな入り乱れた社会の中で、一体行儀とは何のことなのでしょうか

お寺で住職さんの話を聞く時に、足を動かしたり手を動かしたりするだけでも、叱られたものです。
ご飯を食べる時に、箸の持ち方や、おかずを自分の好きなものだけ選んで食べたりすると、常に行儀が悪いと言われました。
最近の大人の社会生活の中で、色々な人と話をしたり、酒を飲んだり、食事をしたりしていますが、なるほどと言っていい程、皆行儀が悪いものです。
行儀作法を学ぶことが、これから必要になるのかもしれません。
お茶を点てるときの作法や、花を生ける時の作法、また挨拶回りする時などの作法、目上の人や、地位や名誉や資格のある人との接し方や、作法的なことではこの日本は極めて厳しい掟(おきて)の中に存在しているのでしょう。

全てが平等という、素晴らしい考え方もありますが、親しき仲にも礼儀ありという諺もあります。
この礼儀とか、行儀の儀は、人の義と書きます。
この義とは、もちろん正義とか、沢山の義がありますが、この義を重んじる、これが日本人の最も優れた能力の一つと言えるでしょう。
義理の社会、義理を欠いてはどうにもなりません。
いかに義を大切にし、義の中で生かされるのかは、私達日本人だからこそ、それを理解することが出来るのです。
本当に、義を使った言葉があまりにも多いことに、驚かされます。
子どもの頃からよく言われた、
「行儀を良くしなさい」
今になって、その親のありがたみを感じています。
それなくして、品位や品格は表れてこないのです。
1人の人間として、この社会で認められていく為には、やはり義を重んじなければならないのです。
そして人間として、生きていく為の法則、そしてそれが社会に認められていく法則が、作法という言葉で置き換えられるのでしょう。
何かをする時、言葉であっても行動であったとしても、必ず法則が存在することを意味しています。
この作法という、この極めて素朴であり、また現実的である法則の中に、日本人の心が生きているに違いありません。
今、多くの人達が忘れてしまっている、この行儀作法の定義を求め、もう一度日本人としての誇りや役割を考えてみてはいかがでしょうか?

もしこの行儀作法がある程度整ってきたならば、そこには争いもなく、しかもレベルの高い社会生活が営まれるはずでしょう。
義の世界は、そして法の世界は、日本人の生き方そのものを意味しています。
そこさえ理解出来れば、私達は平和な社会生活を営めるはずなのです。
今一番忘れ去られている所が、その辺なのかもしれません。
言葉では知っていても、何をどの様にすれば良いのか分からずにいた、この現実から一歩踏み込んで、行儀作法を自分の中で、確立してみてはいかがでしょうか?
きっと品位と品格が生まれ、より高いレベルの人達と出会うことが可能となります。
日本には、身分制度がありませんが、現実には品位と品格の差が、大きく作用することは間違いないのです。
行儀作法を忘れないように生きていけたならば、もう一つ違った未来が作られることでしょう。

社会生活を営む中で、私達はいつも、2人以上の人間関係の中で、意見の食い違いや思想の違いがあり、ささやかなトラブルを起こすことがよくあります。
自分の意見を通そうとすると、それが上手くいけば良いのですが、いつも上手くいくとは限りません。
相手にも色々な考え方があり、一致するかどうかは、分からないからです。
そして、エゴ的に自分の意見を通そうとすると、そこにひずみが生まれ、人間関係が悪くなっていくことがあります。
そしてそれが、その人を恨む行為になってしまったり、逆に恨みを買ってしまったりという結果になってしまうこともあるのです。
恨みや憎しみを、ただ感じるだけならば、さほど大きな問題となりませんが、そこに悔しさがプラスされ、なんとかしたいという思いが強くなった時、人間達は知らず知らずの内に、悪魔と取引しているのです。
無理難題を通そうとすることは、そこには必ず悪魔が存在し、真っ先に悪魔との取引を成立させなければいけないということなのです。
悔しさの余り、憎んだり激しくぶつかったりする中で、そのエネルギーを必要とする悪魔は、必ずそこに存在します。
そして、それが逆恨みだった場合には、その悪魔のエネルギーを、聖なる力は逆利用することが出来るのです。
正しい考えの下で呪いをかけるなら、悪魔との取引の中に大きな問題は起こりませんが、自分のエゴや欲望からそういった行為をしたならば、逆呪いをかけられ、その人が送り込んだ悪魔を、呪われた側が利用する方法があるのです。

この世界は、現実と非常に上手く絡み合っています。
肩が重くなったり、頭痛がしたり、腰の辺りに風が吹いたり、そんな寒気がするような出来事が沢山ありますが、悪魔との取引によって、そういった行為を起こしている人達も居ることは事実なのです。
それを意識的に行っている人も居ますが、逆に無意識の中でそういった行為が行われることも、よくあるのです。
人間は欲をかきます。
ああしたい、こうしたい、自分の能力を不可思議的な方向に高めたい、簡単に言うと、霊的能力を持ちたいとする人達が沢山いますが、そういった中で一番簡単にその能力を持つ方法が、悪魔との取引なのです。
確かに霊的能力は、未来を予知したり、その人を読んだり、過去を見たりすることなど、沢山の不可思議なことが出来ますが、その能力をエゴと欲望で満たそうとするならば、必ずそこに悪魔が存在してきます。
そして、神に祈っているつもりが、実は神ではなくて、悪魔との取引になってしまっているのです。
時には霊的感性を得られることもありますが、それを彼らは笑いながら、その欲望を満たす為に、力を持つ動物霊を送り込むのです。
そのことを知らずに、その能力を使い込んでしまったならば、やがてその罰は、全て自分に向けられ、自己滅亡の法則へと変わることでしょう。

悪魔との取引が、自らそれを知って行っている場合は、逆にそれが妖怪化することもありますが、知らず知らずにやった場合には、そのしっぺ返しは大きいものと思われます。
私に神が降りた、などと、そしてこう教えられたとか言う人が居ますが、ほとんどの場合がそれは悪魔が降りてその人に取り憑いているのです。
それを神と勘違いし、やがて自己を破壊してしまうのです。
神が、そう簡単に人間に降りてきたり、その人を正しく明るい方向へ導いたりすることは、大変難しいのです。
倭民族における大切な儀式の中に、系図下ろしという儀式があります。
神の許可を得て、その系図を認識された人達だけが、それを可能とするのです。
私に神が降りたと言っている人のほとんどが、まやかしであり、悪魔との取引に過ぎないのです。
知識をひけらかし、霊的現象と相手が勘違いするように、そんなビジネスが存在していることも事実ですが、やがてそのしっぺ返しが、何倍にもなって自分に返ってくることでしょう。
最初は優しく入り込んでくる悪魔達は、決して自分を悪魔と気付かせることはないのです。
神のふりをし、その望みを叶える方向で、取引が成立していくのです。
安易に必要以外の能力を身につけようとしない方が、安心して暮らせる条件となるでしょう。

誰もがあまり聞きなれない言葉かもしれませんが、覚り屋という、そんな特殊能力を持った人達が、時々存在しています。
人は皆、自分の心を隠し、観念と理想の中で、いかに弱みを握られないように隠し続けるかという自分と、社会生活を営む人間関係を、矛盾と現実の中で過ごしています。
自分の本当の心を知られることは、非常に厄介なものとなることでしょうが、時々それが確実に見えてしまうような、そんな特殊な人がいるのです。
黙っていても、その人の奥に潜む自我との会話の中で、その人が、またその人自身が忘れてしまっているような、過去の記憶までも呼び戻し、俗に言うトラウマを解決出来るような、そんな現象を起こすことも出来るのです。
人の心を覚ることは、容易く出来ることではありません。
誰もが上手く自分を繕い、外見を飾りつけ、ごまかしと嘘の中で生き続けているのですから、その本心を見抜き、またその人の性格を見抜き、その人自信が隠し続けてきた過去を暴くことは、その人の恐怖でもあり、またそこに霊的現象が絡んでいたとするならば、その閉ざしていた扉を開くことにより、そこからあらゆる憎悪の念が浮上するかは、理解を超えてしまう可能性があるのです。

まだまだ人間達は、見えない世界の全てを知っている訳ではありません。
自分で、自分という人間をどこまで理解出来ているのか、また自分に取り憑く霊的現象を、どう理解しているのか、そんなことを言い出したならば、全く理解の出来ない現実が見えてきます。
そう、誰もが自分のことを知りたいと思いながら、自分のことを知ることが一番難しいのが現実なのです。
そんな中で、占いを信じたり、どこかの霊能者に見てもらったり、何かの宗教に依存したり、心の迷いの中で、その結論を出そうとする意識が、逆に悪い方向に進むことすらあるのです。
未来の不安を消す為に、占いを信じ、自分の名前に隠された画数や文字魂の中に、未来の結果を想像していくことは、ある面非常に怖い事柄と思われます。
確かに未来は不安なものです。
その不安は、過去における自分の過ちや、隠れた自分の性格の中に存在し、自分で作ってしまった不安がその自分を押しつぶし、そしてその解決方法が、不可思議な世界への遭遇であったりします。
それが正しい方向に導いてくれるならともかく、今この日本における、いわゆる霊能者といわれる人達や占い師ならば、当たるも八卦あたらぬも八卦といわれるように、あくまでパフォーマンスに過ぎないので、それは許される範囲でありますが、霊能者は、一回のミスはその人の人生全ての終わりを示します。
 なぜなら、霊能者は一回のミスも許されないのです。
それ程、厳しい霊的現象を見抜く程の力を持った人間は、さほど多くはいません。
今存在している、にわか霊能者が、暴利をむさぼりながら、獲物を探している現実は、残念でなりません。
また本物が現れてきた時に、その本物の皆さんに迷惑をかけているのが、彼らなのです。

この、見えない世界と現実、そこに絡み合うような、人間の心や観念、そして嘘と騙しの中で、人間達は生き続けています。
一つの肉体であっても、そこに幾重にも重なり合って、1人の人間とし、この地上で生きているのです。
意識は常に変化し、未来へと進んでいきますが、そこに霊的現象が被さるように存在し、毎日の生活を良くも悪くもしているのです。
これからの未来は覚り屋に託され、この社会の現実と全世界の未来は、彼らの手に委ねられることは、間違いないのです。
 なぜならば、現実を完璧に理解しなければ、そこから始まる未来は、想像がつかないからです。
逆に未来を知ることが出来たならば、現実の中で、今を変えることが出来るのです。
そして今を変えることが出来たならば、確実に未来は変わるのです。
それは未来を見ることの出来る人達だけに与えられた権利であり、義務なのです。
全ての霊長類の中で、いやそれ以外に、全ての命の中で、この霊的現象を含め、不可思議な現象は起こっているのです。
植物でさえ、大いなる意識を持ちこの地球で生きていることを知ったならば、自然の中に意識を共有させ、未来を変える勇気を持ち、全てを覚り、そして、未来へと導かなければならないのです。

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