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前世理論については、色んな人が唱えていますが、これと言った真新しい物は存在しなく、今までの繰り返しの様な話が多かった。
 しかし、肉体の死が、人間の死ではないと言う考え方に、より深く理解されるように成った今は、前世の事はあまり意味をなさなく成りつつ有ります。
 何故なら私達には初めから、肉体を持つ自分と、持たない自分が確立されおり、気付くかどうかは別として、そこには大きな意味が有るのです。
 例えば物質世界と、非物質世界が、相対関係にある以上、その関わりは否定できず、密接な関係を意味せざるを得ないのです。
 心と体、意識や意志、希望や思い、観念や概念。どれ1つ取っても無駄な意味を持つ物はなく、間違いに気付く事や、訂正する勇気、方向性を修復してくれ、導いてくれるものが有る。
 それらに強制的に関与する聖なる意識体。それこそが、肉体を持たないもう1人の自分なんです。


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今日から明日へと、継続される全ての出来事は、時間の経過が有って初めて、成り立つ現象なんです。
 時間とは一体何なんでしょうか。そして私達が感じている時間は、ただの時の流れだけではないはずです。
 時間を少し細かく分けると、有意義な時間、無駄な時間、過ぎ去るだけの時間、過去と言う記憶の中の時間、まだ見ぬ未来に対する想像だけの時間などが有ります。
 そして三次元における時間とは異なる、意識が超越された時点で感じる、高い次元のステージが存在し、時間と次元が友好的に絡み合い、やがて高時原界が現れて来るのです。
 高時原界では、超能力的な感性も、霊的な感性も、決して特別な物ではなく、ごく当たり前の現象なんです。
 また特殊能力などは、今感じている時間と、高次元に存在する時間とが、二重螺旋状に絡み、遺伝子と似た様な形態の中で、発生するのです。
 時間を当たり前の一つと考えては何も起こりません。複数の時間的観念が必要なんです。

真夜中を過ぎた頃、当たりは静まり返っている。穏やか過ぎる時間を感じ、囁かれる耳元に気配はなかった。
 確実に伝わるメッセージは氷の様に冷たく、感情の入る隙間も無く、坦々と用件だけを伝えて来る。
 湖に沈み深い眠りの中、心地良さに静寂を覚え、奏でられる優しい響きは、暗闇を支配している様に思えた。
 高次元界に誘われ、そこの在る物は、孤独を誘発させるだけ。満たされた心には、何も残らないのです。

ある知人は、家の中で畳の縁に躓き転び、その日を境に、特殊な経験をする様に成ったと、言っていました。
 確かに家の前の、お宮の大きな三又の欅の木から落ちた時、薄い記憶の中で見知らぬ人と、色々な話をしていた様な気がする。
 そして空間が歪んで見えた。そう全体が陽炎に包まれている様にフワフワしていて、立ち上がれなかったのを覚えています。
 その日を境に、頭の中に人が住着き、しかも二人。時には意見が合わずに言い争いもしている。子ども過ぎてそれが当たり前と思っていた。
 しかし時々、嫌な事も起こる。遠くの噂話が聞こえたり、先生が黒板に問題を書く前に、内容が分かってしまう。
 でも不思議ではなかった。母親も同じ事が出来たし、担任の先生はもっと凄く、ノートのページを開かずに注意された。
 友人は、通り過ぎた猫に雪玉を後ろ向きで投げて、振り返った猫の額に当てた。そして、田んぼに薄く張った氷の上を割らずに歩いた。
 今考えてみたら、結構楽しかったのかもしれない。


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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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