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秋になって、あちこちにお祭りを知らせる、のぼり旗が立ち始めました。
やはり秋は、実り、そして、喜び。
秋祭りは、本当に楽しいものであります。
この五穀豊穣を祝う秋祭りが、子どもの頃は待ち遠しかったものです。
日本人は特に、神様が大好きで、この大いなる実りも、全て神様のお陰と考えました。
八百万の神は、どこにでもいて、小川に向かっておしっこをすると、母親に叱られたものです。
神社に遊びに行って、ケヤキの陰でおしっこすると、罰が当たるといわれました。
昔の人は特に、神を尊重し、全てのところに神が宿り、私達倭民族を生かしてくれると考えていたのです。
そして私達は、神の意図する方向へ、自然と共に共存してくれば良かったのですが、人間の欲は限りなく、その欲を満たすために自然を破壊し、人間達の想念が、神を封印してきたのです。
この日本に古くから住みついた古代神達は、大いに悲しんでいることでしょう。
実りの秋を迎え、先週稲刈りも終え、モミを倉庫にしまい終えました。
嬉しいひとときであります。
いつも倭神は、自然からの恵みを私達に与えてくれていました。
この自然の中で、自然と共に暮らすならば、それだけで十分なのです。

しかし今、その倭神の考えているやさしさとは反対の方向にことは進み、私達人間は、その恩恵を忘れ、自然を乗り越えようとして、破壊の一途を辿ってきました。
取り返しのつかなくなる直前において、倭民族の誇りを取り戻し、もう一度神々達との共存を図らなければなりません。
しかしながら、この恵みと感謝を忘れた人々は、自然神を期待することはできなくなってしまいました。
何故このように、荒んだ心になってしまったのか、それは人間自ら内なる神、要するに、自分の内側に存在する偉大なる神を、自分自らの手で封印してしまったからなのです。
己(おのれ)の中の最も大切な、その神を封印することにより、人間は横暴を繰り返し、自然を破壊し、自分が神のごとく振舞ってきたのです。
内なる神の警告は、全く受けることなく、それは自由かのように見えたのですが、しかしながら、これから想像できる未来の中で、私達は苦悩の道を歩まざるを得ない状況に、自分達自ら堕ちていってしまったのです。
しかしながら、また手遅れではないのです。
今こそもう一度、内なる神を目覚めさせ、自分達の持つこの地球で生きる能力と融合させたならば、未来はまだ変えることはできるのです。

人間よ、人になれ、と、よく言われます。
人間よ、神を宿して人(じん)となす。
内なる神の目覚めは、人間が人になることを意味します。
人という象形文字は、手を合わせ、願うことからその形が作られました。
内なる神が目覚めた後、手を合わせ、意識を強く持ち、願うことにより、その願いは大宇宙の神に届き、叶えられようとします。
そして、自然神が蘇り、もう一度豊かな倭の国が作られることでしょう。
私達の願いが届かないのは、内なる神の目覚めが、まだ起こっていないからなのです。
意識して下さい。
人間の内部にある、大いなる宇宙空間の中には、次元を超えた空域と、この三次元にも勝る大いなるエネルギーも存在するのです。
すべては、セットなのです。
必ず、外の宇宙があれば内側にも宇宙は存在し、逆に内側の方が大きい場合もあるのです。
ただ神に願っても、その願いは届きません。
何故ならば、内なる神の目覚めがあって初めて、外なる自然神がその願いを聞き入れるチャンスを迎えるのです。
もし私に役割があるなら、神は私をどの様にお使いになるのか、そう考える人もたくさんいらっしゃると思いますが、内なる神の目覚めがなくて、それは起こりません。
そのことに早く気付き、意識を持って内なる神と対話して下さい。
倭民族は、その能力をまだ失ったわけではありません。

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私達は、眠りの中で、深い眠りと浅い眠りを繰り返しながら、一晩の安らぎの中で暮らしています。
そんなとき、夢を見ます。
その夢は、何を意味するのか、また何のために見るのか、またそれはいつの出来事なのか、いくら考えても結論が出てきません。
それなのに私達は、夢を見ます。
その夢が、時には正夢となり、現実化することもあるのです。
俗に言う、予知夢。
この予知夢の中に、今大いなる危険を感じています。
起こって欲しくない現実が見えるのです。
その日は2014年、そんな年号を表している気がします。
多くの人が悲鳴を上げ、逃げ惑う姿がみえるのです。
とても悲しい出来事が、そのとき起こっています。

このことを先に知ったならば、それを防ぐ方法を考えなければなりません。
しかしながら、予知夢は回避することが出来ないのです。
何故ならば、現実の延長線上にそれは存在せず、未来の現実がそこに現象として表れてくる、だからそこを回避することは不可能なのでしょう。
しかし、時間と次元をうまく変えることができたならば、それは可能な出来事となるかもしれません。
多くの人達は、アセンションや高次元化でそれを回避しようとしています。
確かに、可能な法則のようにも思います。
ただし、それが現実化したならば、という条件が、そこには存在します。
しかしながら、夢の中には、もう一つの時間や、もう一つの次元、もう一つの暮らしそのものがあるのかもしれません。
夢の中で出会う人達は、過去の経験の中から私達の脳が作り上げてくる大いなる偶像に過ぎません。
脳はいつも何かの映像を反映させながら、今を生きているのです。
私達のこの脳の中におけるこういった現象の中で、過去はそこに大いなる意味を持つことなのでしょうが、その出来事も過去の地球での記憶なのか、次元を超えた世界で起こった出来事へのメッセージなのか、または、現実に私達の記憶した今の社会生活の中での記憶と、そこに想像性が絡み合いながら、夢という現象で脳の中で自由に映像化されるものなのかもしれません。
そして、未来を伝える予知夢のように、私達はある種の特殊な能力を持っているのかもしれません。

まだまだ人間の意識や思いは、物理学的にも証明されていないことの方がはるかに大きいのです。
夢一つとってみても、この脳の中の情報と映像の組み合わせがどの様に密接な関係を持ち、現実と非現実の狭間の中で、投影されているのかは、理論上説明のつくものではありません。
この未知なる能力を、私達は利用することにより、新しい現実を作り上げることも決して夢ではないのです。
想像力の限界を超えたとき、新しい展開が起こります。
夢を見続けた人が、現実を確実に捉えることが出来るのです。
そういった意味から、私達は大いなる夢を見続ける必要があるのです。
その日はやがて、今を変え、未来を変え、次元や時間の観念さえも変え、物質的な社会がバーチャル的な世界へと導かれる日が起こるのかもしれません。
決して侮れない、この人間の未知なる能力が、2014年を回避してくれることを切に願っております。

戸隠奥社の杉並木。

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戸隠奥社には、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が奉られています。
天手力雄命を迎え入れたのが、隣にある九頭竜社に奉られている九頭竜です。

本当に日本人というのは肩書きに弱いものです。
その肩書きが、その人が作り上げた以外の団体の役職であったり、どこそこの大学の卒業であったり、過去の実績と人の作り上げた歯車での中での、また選ばれた選挙の中での肩書きであったり、その人を評価するのに値するものなのかどうか、非常に疑問が残るものであります。
例えば、あの東京大学の1回目の入学試験は、今の小学校4年生から5年生が学んでいる範囲のことと聞いています。
ということになると、当時のその肩書きは、今の小学5年生、そんなことがあるのです。
また、どこそこの会社の社長さんは、自分が作った会社ではなく、ただ親のあとを継いだだけのことも、よくあるのです。
一分野に優れたどこそこの博士が、また教授が、全てに万能なわけでもありません。
それなのにプロフィールに、たくさんの肩書きや実績を載せ、名刺の裏に過去の栄光をたくさん乗せている人がいます。
本当は何の意味もないはずなのに、そんなことから、凄い先生だ、という評価をもらい、楽な形で自分を表現する人が多いのです。
何かの会の会長や理事長であったり、政府の役人であったり、色々ありますが、一から全て作り上げたのではなく、たまたま空いていたポジションに滑り込んだだけの人が、余りにも多いのです。

その肩書きで、肩で風を切り、その肩書きを利用して、悪いことをしている人も非常に多いのです。
大学の教授が、これはとってもいいものですよ、と、農業にも役立ちますよ、と伝えると、多くの人達はそれを信用します。
もし彼が大学の教授でなかったとしたら、そんなにたくさんの人が信用したわけではないのです。
そうやって肩書きで商売をし、お金儲けをしている人が、余りにも多いのです。
ましてや、講演会やセミナーが開かれたとき、肩書きを多く持った人が来れば、それだけで、たくさんの人が集まります。
内容よりも、肩書きに魅力を感じ、そこに集まるのです。
内容がどうだったのか、それは結果として中々わかりにくいことでもあります。
もしそのような方々が、全ての肩書きを捨て、自分の思いを人に伝えようとしたならば、どれほど苦難な道が待っていることでしょうか。
神はいいました。
「お前は肩書きを持つな」
しかしながら全くないと、説得力に欠けてしまいます。
しかし、有効性を持った肩書きは、自分を駄目にする可能性があるので、使うことはやめにしました。

2000人も集まるセミナーで、多くの肩書きを持った人が話をしていました。
内容は、政治に対する、また社会に対する評論理論でした。
確かに評論家はたくさんいます。
しかし、肩書きで人を集め、話の内容は、あれ駄目、これ駄目、ああしろ、こうしろ、そこに内容を組み立てているに過ぎない、責任のない話に過ぎなかったのです。
自分が自分の力で、何かを切り開き、独自の理論を独自に実行する、そして共感を求め、仲間を増やす、そんなやり方をしていないのです。
もし、肩書きがなかったなら、誰も集まらなかったはずなのです。
肩書きとは、その人の価値観をごまかす、もっとも出来の悪い法則なのです。

上高地と梓川。
その昔、神の降りたとされる、唯一の場所です。
9/27撮影

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360度のパノラマ。
美ヶ原高原美術館より。
標高2000m。
9/28撮影

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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