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子どもの頃、大人達からよく「そんなことをしたらバチが当たるよ」と言われたものです。
皆さんも言われたことがありませんか?
何をしたら、バチが当たるのか、今になってその意味をもう一度深く考えてみました。
確かに、現実は、悪の方が栄えているように思われます。
バチというのは一体誰が下す現象なのでしょうか?
神社で遊んでいるとき、隅の方でおしっこするだけでもバチが当たると言われていました。
また、川の中におしっこするだけでもバチが当たるとも言われていました。
なんかいたるところにバチの当たるような存在があって、大人達は常に子ども達を叱るのではなく、バチが当たるよと言って多くのことを戒めてくれたものです。

現実は、先ほど言ったように、悪が栄えています。
法律では裁けないような、またどんなに国家権力を使ってもそれを捉えることが出来ないようなことも、たくさんあるのではないでしょうか。
本当に人に嫌なことをされたとき、恨んでみてもどうすることも出来ません。
そんなとき、バチが当たればいいなと思ったりしませんか?
今、この危機的なときを迎え、何が正しいかを判断できるのは、神様しかいないのかもしれません。
巧みに仕組まれた、人間環境、生活の中では、秩序が適応されない部分も非常に多いのです。
知らず知らずのうちに、自分が罪を犯してしまうことも、よくあるのです。
ましてやそれを正しいと思ってしている人もいるのです。
そして、それを裁く法律は存在しないし、その人達を変えることも中々難しいのです。
例えば、自然農法といって、沖縄の菌を砂糖で丸々太らせ、寒冷地にばら撒いているような、悪質な例もあります。
元々いた土着菌は、強い菌が入ってきたから、そこで生活できなくなり、死滅していくのです。
撒かれた方の菌も、寒さに耐え切れず、秋には死に絶えて生きます。
そんなことをしている人達を、今裁く法律はないのです。
微生物達は、神に願っているに違いありません。
早くバチが当たって下さいますように、と。

これからの世の中は、全ての命は平等です。
人間だけが、勝手に他の生命体を操作したり、殺したりしていいはずがありません。
この地球環境は、自然界の法則の中で存在し、その法則に則って今があるのですから、その法則から外れた人間達は、やがて神の裁きを受けることになるのでしょう。
バチが当たるとは、とても使い勝手のいい言葉なのに、最近ほとんど使われなくなりました。
人を憎むのではなく、神様が正しい判断をし、裁きをする。
人間達は、人間又は他の生命を裁く権利はありません。
神様の一番大きな役割は、その裁きをすることではないでしょうか。
私達は神から裁かれないように、自然界の法則に則り、行動しなければなりません。
デルファトラの会や自然から学ぶ会で多くを学んだ人達が、地球環境蘇生に向け、黒潮ドームを成功させようと、大変貢献なさっています。
その支流から外れた人達は、本流に早く戻ってくださればいいのですが、人間のエゴは逆欲に変わり、人を陥れようと企みを始めます。
そして他のもので対抗してこようとしますが、本流の流れには逆らうことは出来ません。
何故なら、正しい方を必ず神が味方するからなのです。

これからの社会は、環境問題をテーマにしなければ、この地球で生きる権利を得ることはできません。
私利私欲のためにその本流を離れ、ただのプライドが、自己を滅亡していく可能性が大きいのです。
神はそのようにして、バチを与えるのでしょう。
役割を認識し、この危機的なときだからこそ、自然界の法則を学び、正しい意識の下で全ての命を平等と考え、地球環境に携わらなければなりません。
いよいよ、動き出した神々達は、今人間達をどの様に裁くか、考えていらっしゃるに違いありません。
バチが当たらないように、気をつけたいものですね。

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昇仙峡の松は、土がなくても石を割って育ち、のうのうと生きている。
土作りの農業はおかしいと思いませんか?
植物はそんなにやわじゃない。

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現在私達が住む地球環境の中で、人類が犯してきた罪は、それを修復することの出来ないほどの大きな影響を、この地球に与えてきたことです。
食という文化の中で、破壊された情報は必ず全てが破壊されるという方向へ導かれてしまいますが、それ以上に、人類が滅亡するための絶対的な条件が発生しているのです。
人類の科学は著しく進歩し、超ミクロの世界でかなりの成果を表してきていますが、中でも微生物に関する科学は、人類に大きなダメージを与えることが考えられます。
第二次世界大戦のときに繰り広げられた、世界中における微生物兵器は、その管理がうまくいかず、逃げ出した彼らは人類を今死滅させる方向へとその力を結集させています。
そこに輪をかけて、遺伝子組み換え、意識の破壊、言い出したらきりがないほど、人類は確実に滅亡することを余儀なくされているのです。

しかしながら、それ以上にこの人類を破壊しようとする意識は、非常に高いものがあります。
今、繰り広げられている宇宙工学の中で、ある惑星にエネルギーを発生する誘導装置を埋め込み、それを地球にぶつけることも、今は可能なのです。
そして、衛星を使った地球への振動プログラムは、確実に人工地震を起こし、そして地球の回転する速度さえ変えようとしています。
私達は、地球と月と太陽の関係で、そのリズムにより、脳はそれに感応しながら、ライフスタイルを位置付けています。
それすらも不可能な時代となってきたのです。
日常生活の中で、人工地震はいくつもの破壊へのエネルギーを持ちながら、たやすく行われる行為の一つとなりました。
そして地球の磁場を変化させ、月との関係を狂わそうとする科学も、もうすでに出来上がっているのです。
こんなことから考えても、今起こる現象の中で、私達が生き続けることが、非常に困難を要することと思われます。
何度となく繰り返されてきた文明の崩壊の中で、今人類が犯している大いなる罪は、今後一万年間、いやそれ以上、修復が不可能といえるでしょう。
しかしながら、この人類滅亡の定義から逃れたとしても、この急激な変化の中で、全ての生命は、どう対処していったらいいのか、また今すぐこの間違った科学を正しい方向へ導くには、どのような方法があるのか、この原点に還ることの難しさを、どう新しい方向へ変えるのかは、非常に困難なものといえるでしょう。

まずは、全ての衛星がいずれこの地球に落ちてきます。
そして地球の大気圏外には、無数のゴミが散らばり、そこから反射された周波数は、あらゆるものを阻害するエネルギーを持ち、狂った情報の中で、管理が不可能となっていくのです。
大地の情報とエネルギーは、植物に宿り、私達はその植物からこの地球における情報とエネルギーを吸収することが出来ますが、季節感さえ狂わされた中で、彼らの意識はもうこの人間の科学にはついていくことができないのです。
狂い始めた全ての情報は、一番それを作った人間達に反映されます。
その情報の乱れからくる意識の崩壊が、人類最後のボタンを押してしまうことになるのです。
確実に、人類の滅亡は避けて通ることは出来ません。
もうすでに動き出したそのプログラムの中で、苦しまずにその日を迎えるならばいいのですが、そう簡単にはいかないようです。
生命のプログラムを破壊し、宇宙から来る情報の狂いと、地球から発生する振動のバランスの崩れは、全てのエネルギーを操作できない状態へと、そして情報の管理はきわめて難しくなり、その影響により、全ての命と意識が、未来を見失うことになるのです。
天変地異の中で、人類が滅亡するわけではありません。
わずかな人達が生き残ります。
そのための条件として、その全ての情報とエネルギーを正常化へと導くためには、そのエネルギーと情報を、フォーマットできる絶対的な条件が必要となってきます。
正常化に向けてフォーマットされたスペースの中では、過去から未来へと育まれてきた現実が、意図的に作り出されていきます。
そうしたスペースを、いくつ確保できるかにより、生き残る人達の定義が設定されてくるのです。
非常に少ない人数しか、最終的には生き残れないでしょう。
しかしながら、そのわずかな人々は、長い歳月をかけながら、地球のあり方を変えていくことになるのです。

私達は、今日本というこの国で生活しています。
社会の秩序や法律に縛られ、決まりごとの中で、誰もが生活しています。
一見、自由など、どこにもないように思われがちですが、決してそのようなことはないのです。
しかし、2人以上の人間が生活をしようとしたならば、必ずそこにはルールが生まれてきます。
そのルールを守らないと、人間関係は成り立たないことになってしまいます。
よくそのことを理解した上で、この束縛された環境の中で、常に私達は、自由を求めて動いているかのようには見えますが、しかし自由ではないと考える人が、余りにも多いのです。
自由という言葉を深く理解していくと、その意味はよく分かってきます。
どういうことかというと、自由の定義付けは、自分が自分の意志により、そこに仮に他人の意志が反映したとしても、そこを選んでいる自分の現実が存在する以上、常にそれは自由意志による、選択された結果ということになっているのです。

人に頼まれて仕方なくやった出来事であっても、本人が納得しなくて行った行為であっても、現実に行動を起こすのは自分であり、自分の意志が、それを決定付け、形にした以上、全てが自由選択の中で行われた行為に過ぎないのです。
私達は意識を持ち、そして自由意志の中で行動を起こし、今ここにいるのです。
納得できるかできないかは別問題といえるでしょう。
常に、自由な選択の中で、毎日生活しているのに、ただそれを認めたくないだけなのです。
誰かに言われたからではなく、それはただの要因であり、自分が意志決定した事実は、現実の全てを表現していることでしょう。
そんな考え方を一つ持ちながら、新しい人生を楽しもうとしたならば、「あのせい」「このせい」といった言い訳など、存在するはずがないのです。
朝起きることも、食事をすることも、仕事をすることも、人と会話をすることでさえも、現実的には全て自分のためであり、それは自由として表現した方が解りやすいのではないでしょうか?
管理されている社会の中でも、選択された物事を決定付ける意志は常に自由であり、何の束縛を受けているわけではないのです。

そんな自由を手にして、私達は生きているのですが、ただ一つその自由の中で、自分の意識がコントロールされてしまう現実が存在します。
それが、観念というこの社会の仕組み、そして、記憶によって作り上げられた、環境における出来事なのです。
観念で生きてしまうと、それは、自由を失った出来事の一つとなるでしょう。
何故ならば、観念は、巧みに仕組まれたコントロールの中に存在します。
社会環境と教育の中で、その罠は幾重にも重なりながら、私達を縛り上げていくのです。
その罠に落ちた社会生活の中で、秩序が保たれ、法律が守られていることも、事実なのです。
しかし、その観念と現実の自由意志との境界線が、存在するわけではないのです。
この仕組まれた社会の中で、私達はこれからも生き続けていかなければなりません。
自由発想が失われそうになるような出来事が起こったとするならば、それは観念によって仕組まれた、巧妙な罠なのです。
本来ならば、思いや発想は、常に自由であるべきなのです。
それなのに、世間体に囚われ、観念の支配化の中では、自由発想は極めて存在しにくい出来事となってしまいます。
いかに観念という鎖を引きちぎり、自由への発想が必要なのか、今の私達ではそれすらも意識することが出来ないほど、観念の鎖は太くて強いのです。
例え1人の人間がその鎖から逃れることが出来たとしても、多くの人がその鎖の中で生活を営んでいる以上、解放された人を逆に鎖の中に引きずり込もうとします。
私達はお互いがお互いを管理し、観念という恐ろしい世界に、生き続けていることも事実なのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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