忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

倭に住む私達は、ほとんどの人達は、何不自由なく、食べ物にも困らず、今日まで生きてこられました。
しかしながら、この豊かさと幸せはいつまで続くのか、もうそんな保証はどこにもありません。
2012年から始まる、大変革の年を迎え、この豊かさに甘えすぎた私達は、神に対する感謝の祈りをすることもなく、現実の当たり前の世界で、豊か過ぎるこの日本で、どれだけ甘えて生きてきたのか、それを思い知る日がもうじきやってきます。
食料はことごとく底を突き、人間の意識は乱れ、その不安と現実は、人間を大いなる暴走へと導くことでしょう。
もうそれは、誰も止めることは出来ません。
世界が大きく変わろうとしたとき、どうこの地球で生きていけばいいのか、何を食べたらいいのか、今までは全てが与えられていたのに、これからは自分で確保しなければいけない現実が待っているのです。
農業を知らない人達は、農作物がどのように作られているのか、またどのようにしたらそれが生まれてくるのか、解っていないのです。
かつて縄文時代に、こんなに豊かでない現実の中で、全ての食べ物はそこに住む人達全員で作り上げ、そして平等に分け合いながら、豊かな心の生き方をしてきたことは間違いないのですが、今の私達には、そのような知恵は存在していないのです。
余りにも目の前に全てがありすぎて、お金さえ出せば何でも手に入る、やがてそんな時代は終わり、知恵を持った人達だけが生き残れる社会が、存在してくることは間違いないでしょう。
自然に対し、私達は、祈るしかないのです。
何故ならば、自然環境の中で食べ物を育て、そしてその食べ物を食べながら、生き抜いていかなければならないからです。

この大自然は、私達の科学が、何の価値もないことを教えてくれています。
農作物がたくさん取れることも、彼ら大自然の意識の中で繰り広げられる現実であり、私達の科学が自然を変えることは出来ないのです。
常にこの現実を知って、収穫に対する感謝を、そんな気持ちが、これから非常に大きな力を持ってくると思われます。
各地域で秋祭りが行われ、五穀豊穣を祝い、自然に感謝し、また神に感謝し、そういった生き方を、私達倭民族は、何万年もの間やってきたのです。
自然の恵みの中で、そこに現実と意識が融合し合い、豊かな心とこの豊かな大地で、穏やかな意識の中で、暮らし続けてきたのです。
もう一度、この自然を見つめ、自分の意識と会話してみて下さい。
私達倭民族は、この遺伝子の中に、そういった自然に対する、計り知れないほどの思いが存在しているのです。
自分の遺伝子と会話してみて下さい。
確実に過去の記憶を持ち、この自然の素晴らしさと、この自然に対する恵みに、感謝の祈りを捧げていた自分が存在するはずです。

これから危機的な時を迎えようとし、世界は大きく変わろうとしています。
今までのような生活は、本当に出来なくなる可能性は、十分に考えられます。
この日本でも、食糧危機は必ずやってきます。
もちろん世界も、同じ運命をたどることになります。
そんな中で、要するに、豊かなこの日本で考えてきた現実は、豊かなぬるま湯に使っていたからこそ、発生した意識に過ぎません。
これからの現実は厳しく、そんな甘えた考え方は、何の意味も持ちません。
豊かだったからこそ想像した未来は、厳しい現実の中では根拠を失うことでしょう。
私達に急がれることはこの大地の修復であり、自然をいかに理解し、この自然の中で命を共有し合いながら、生きていかなければいけないという現実があるのです。
確実にその日はやってきます。
早くそのことに気付き、自然を大切に、そして生きるための現実をそこから作り出すことが、今最も必要なこととなるでしょう。
本当に、未来は厳しく、またこの運命は、避けることはできません。
もうそこを見つめ、理解し、夢の意識から早く冷め、現実を生き抜く意識へと戻り、今すぐ準備に入って下さい。
その日がきてからでは遅いのです。

PR

宇宙に果てがないのは言うまでもありませんが、私達の意識や思いも、常に無限大の広さを持っています。
この地球の意識も、この自然界と共にあり、私達は大いなる地球の意識の中に、安らぎと温もりを求め、今ここに抱かれながら存在していることを、もう一度認識してはいかがでしょうか。
この大宇宙の、無限の領域の中からこの地球を選び、そして無限の意識の中からこの現実を選んできたのです。
物質と意識が融合しあったとき、初めて現実が表れてきます。
しかしながらその物質は、陽子や電子によって作られ、もっと言うならば、宇宙に放たれた大いなる波の存在に過ぎません。
その超周波数の中にエネルギーが関与し、偶然の中から物質化という社会が作られたと考えられていますが、実はそうではありません。
デルファトラの意識により緻密に計算され、放たれた光と音は、その増幅の中で物質という社会を、特に緻密に作り上げていったのです。

そう、この何もなかった空間に、物質化という現実をもたらすような科学があったからこそ、今があるのです。
大宇宙を支配した、大いなる神々の意識は、いかに物質を作るかを一番大きなテーマとし、デルファトラの科学者達を呼び寄せました。
この電子で作られた宇宙、情報とエネルギーが、まだ物質を作り出す前、神々の意識と、その意識に呼び寄せられた、前大宇宙の科学者達は、いかに物質というその存在感を作り出すかに、すべての科学を使ったのです。
そして、それがストーリー通りに組み立てられ、大宇宙が現実味を持ちながら現れようとしたとき、命というプログラムをその物質の中から作り上げ、それは自動的に継承されるように、そしてまた、現実の中の物質化という現象を、理解しそして融合できるように、このような科学は、デルファトラの科学者達でも、容易な科学ではありませんでした。
しかしながら、この次元空間というこの宇宙に、物質化宇宙を想像することは、極めて難しい難題とし処理されました。
その科学は、そこを乗り越え、今を私達に与えているのです。
高次元化、アセンションと、騒がれていますが、この三次元の物質化社会を作ることの方が、非物質化社会という高次元化を作るよりも、極めて難しい科学であったことは言うまでもありません。
その物質化社会に、過去における意識社会が融合し、非物質の中に意識と思いと、また次元間におけるエネルギーの存在が、うまくこの三次元と融合し合いながら、私達の意識や、私達の肉体は作られているのです。
手を握ったり、抱きしめ合ったり、触れることのできるこの喜びは、意識に反応し、そして極めて高い次元の思いと、そして現実の狭間の中で、私達は今生きているのです。

非物質化宇宙から、物質宇宙を作ることの方が、どれだけ大変な科学なのか、もう一度理解して下さい。
この三次元と、私達の意識は、大宇宙全ての遭遇の中から、今を迎えているのです。
ふれることの喜びを、さわれることの喜びを、誰よりも感じているのが人間であり、またそのことにより生かされている現実を、確実に認識して下さい。
この原子の塊から、この現実が存在し、命が生まれ、自然が生まれ、そこで生き、光と音と、物質と思いの中で、現実は、確実に感じる世界を作り上げています。
この触れる喜びの中でこそ、豊かな心が目覚め、物の大切さを知ることが出来るのです。
この三次元こそが、大宇宙の神々達が創造した、最大なる科学と、最大なる意識によって生まれた、この大宇宙全ての現実を、ここに見ることが出来るのです。
私達は、それに対する感謝を忘れていたのではないでしょうか。
三次元の現実を逃れようとした意識があるとするならば、それは大いなる間違いと、今すぐ気付くべきです。
三次元こそが、大宇宙最大の、そして全ての次元の、エネルギーの根源であり、全ての次元は三次元のためにあるのです。
その現実を、見失わないで下さい。

いよいよ、2011年も終わり、待ちに待った2012年がやってきます。
2012年については、この10年間特に騒がれてきましたが、やはりマヤ暦のカレンダーや、それに関係した歴史の中で、この問題は大きく定義されてきたことに違いありません。
ひょっとすると、そのようなことが本当に起こる可能性がないとは言い切れません。
かといって、2012年で地球が終わろうとしているわけでもないし、全ての人類が滅亡するわけでもありません。
しかしながら、一時的な大きな変化と転換期を迎えていることは間違いないと思われます。

特にこの日本は、明治維新後、旧暦(陰暦)から、1年を12ヶ月で割ったヨーロッパの太陽暦に変わってきてしまいました。
その結果、花を見ても、月を見ても、日付を確認することも出来ず、カレンダーに頼った生活をしなければいけませんでした。
旧暦ならば、梅の花が咲いて月が三日月ならば2月3日で、桜の花が咲いて月が三日月なら3月3日で、菖蒲(あやめ)の花が咲いて月が三日月ならもちろん4月3日ということになりますよね。
このように、月を基準として、そして季節の草花を元に、今日が何日なのかを誰もが明快にわかっていたのです。
それが今は、カレンダーを見て確認しなければ分からないような、自然界からかけ離れた暦の中で、日本人はどんどん本能が狂い、倭民族としての能力を、この100年間で一気に失うことになったのです。
シャーマン的な意識が崩れ、日を読むことが出来なくなり、もちろん、未来を予測することなど、完全に不可能な意識に変えられてしまいました。
これは、意図的に仕組まれた大きな罠に、倭民族が落ちてしまったのです。

そして、この旧暦と、マヤ暦のカレンダーとの関係を、うまく理解しながら日数を割り出していくと、その誤差を少し取り入れながら、意識をこの地球や宇宙に発信すると、やはり、すでに今年の7月から、そういった不可思議な時間の中に、この宇宙と私達人間や生命体が、関与し始めていることは間違いないと思われます。
そして2012年をどう過ごすのか、そのあり方がこれから大きく問われることになります。
特に意識しなければいけないのが、2月と6月、そして、9月ということになってきます。
確かに、自由の意識は2月16日から始まります。
そして、解き放された自由意識は、何をするか分かりません。
もちろん、世界で大混乱が起こり得る可能性は、十分に考えられることになります。
しかし、私達人間は、もっと究極の能力を持ち、その後3年ないし4年で、新しい意識の次元を作り上げていきます。
俗に騒がれているような、アセンションとか高次元化ではなく、この三次元のあり方が、現実を離れ、未知数の中で、意識と融合しあうのです。

ある種の人達は高次元化を待ち望んでいますが、例えば肉体が、光と同じような存在となったとしましょう。
そんな次元の中では、いくら高い意識の中にあっても、現実には音もなく、物質もなく、触ることも見ることも聞くことも出来ず、高い意識の人達だけが過ごせるような世界となってしまいます。
そのような高次元化を、本当に望む人など、いるはずがありません。
何故ならば、今までに最も素晴らしく、最も発展し、バーチャルであったはずの全てが、三次元という次元の中で全ての情報を共有し、現実そのものが確認し合える存在、要するに、触れたり、見られたり、聞けたりすること、泣くことも笑うことも、もちろん食べることも、この三次元は、一番意識の高い人々が、意識と科学と情報を超越した中でエネルギーを管理し、これまでに最も優れた次元を作り上げてきたからです。
この三次元こそが、かつて生きた全ての意識体が作り出した、最高のユートピアなのです。
自然は、その中でも究極の位を持ち、私達人間と共存し合えているのです。

真実の三次元の中で今急がれていることは、人間達の意識の変革、そう、私達は、この三次元という最も高い位の次元の中で、自分達の意識がこの次元の位に未だ到達していないのです。
真実の新しい次元とは、私達の意識がこの三次元のこの高貴な位の中に、本当の意味で融合できるかどうかが問われているのです。
早く気付いて下さい。
私達は今、この三次元の意識より、かなり低い意識の中で暮らしていることを。
まだ、本当の三次元は、私達には見えていないのです。

人間は一生のうちに、どれだけの人と出会うことが出来るのでしょうか。
ただ一度の通りすがりで、意識もせず、確認も認識もしないうちに、何千人という人達と出会っているのでしょう。
その意味もない出会いの中に、偶然が重なり合うことにより、その出会いが始まることもあるのです。
パン屋さんの前を通りかかったとき、そのお店から出てきた女性が、お財布をしまうときに、一枚のカードを落としました。
そして急ぎ足でそこを立ち去ろうとするとき、たまたまそのカードを拾ってしまい、もちろん落とすところも見てしまったため、知らない顔も出来ず、その人を追いかけながら、カードを落としましたよと声をかけます。
すると、本当に嬉しそうにそのカードを受け取り、深々と頭を下げながら、その人は去っていきました。
偶然の出会いは、そんなときにも大きく関与し、全く忘れていたある日、京都で神社参りをしているときに、その偶然はまた重なり合いながら起こってくるのです。
遠くから、にこにこしながら頭を下げてくる女性がいました。
こちらの記憶の中には全く存在していない、通り過ぎた出来事に過ぎない過去が、その人から見たならば、とても微笑ましかったそのときの出来事だったのかもしれません。
笑いながら近付いてきて、あの時はどうもと声をかけられ、全く何のことだから解らない戸惑いの中で、その挨拶に合わせるように、消えた記憶をごまかすかのように、どうもと声をかけながら通り過ぎていきました。
このような偶然が、度重なりながら、人間達は同じ人と、2度以上すれ違うことが、実際は多くあるのかもしれません。
いや、それどころか、通勤や通学の中では、大変大きな確率の中で、人間達は出会い、また去っていくのです。
そこに意識があるかないか、そしてそれをどう思うかは別として、もしこの2度目の出会いのときに、過去の偶然の現象をすぐに思い出すことが出来たならば、「お茶でもどうですか?」と声をかけることも出来たかもしれないのです。
人間の出会いというものは、神々すら気付かないところで、偶然が偶然を重ねるように、出来上がってくるのです。

山には、木が存在しています。
枝と枝とのすれ違い、また隣同士の幹と根は、お互いを尊重し合い、無理のない形で大きな森を作り上げているのです。
この中には、秩序とか、礼儀とかが存在しています。
もちろん偶然ではなく、その環境の中で、お互いの命が育まれていることはいうまでもありません。
秋になって紅葉がきれいに色付き、落ち葉が空を舞いながら、森の中を泳ぎまわっています。
地面にひらりひらりと落ちた葉が、たまたま昨日落ちた赤い紅葉の葉の上に舞い降りたのです。
それはあくまで、風がなす大きな偶然の中に出会った、とても小さな出来事に過ぎないのですが、このことを人間の出会いに置き換えたならば、枝同士の紹介の中で出会った葉ではなく、風に吹かれ、たまたまそこに落ちていた、そんな出会いの方が、確実に多いことは間違いないのです。
その中でそこにどう意味を持たせ、そしてその出会いをどう受け止めるのか、また逆に、その出会いから何が始まるのか、この未知数の中に、人間としてまた、自然の中で生きる、偶然という素晴らしき瞬間を、大いに味わうことが出来るのです。
人の出会いは常に未知数です。
その偶然をどう理解し、どう育むかは、さほど大きな問題ではありません。
しかしながら、瞬間の出会いの中に、人生を左右するほどの大きな出来事が存在しても、決して不思議なことではないのです。
これからも、たくさんの人と出会うことでしょう。
通りすがりであっても、そこに大いなる意味が待ち受けていることが、よくあるのです。
これから危機的な時代を迎え、人々は、非常に苦しみの中から未来を作り上げていく、そんなときが来るのかもしれないのです。
そのとき、見ず知らずの他人が、そして偶然が、どれほどの美しい出会いを作り上げていくのかは、今知ることは出来ませんが、必ず私達日本人は、そこを大切にして生きていくことは間違いないことでしょう。

カレンダー
07 2026/08 09
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
オリハルコン
カウンター
ブログ内検索
メールフォーム
バーコード
プロフィール
HN:
デルファンドラ
性別:
非公開
自己紹介:
デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
忍者ブログ [PR]