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何気ない日常生活の中で、私達は知らず知らずのうちに、また誰から教わったともなく、この方法を利用しています。
頭を打ったとき「痛いの痛いの飛んでけ!」といって、頭の上を左回転でなでてあげます。
何故か痛みが和らぐのが不思議です。
茶道でも、お茶を頂くときに、自分の手のひらに乗せ、右回しにしてから頂き、返すときは左回しにして、それから返します。
何か偶然とはいいながらも、こんなところに大きな法則が存在しているのです。
北半球では、台風は上昇気流となり、左回転で渦を巻きながら、日本列島にやってきます。
このように、右回転または左回転に、面白い法則が存在しているように思われます。
要するに、右回転がインであり、左回転がアウトといったように、一定の法則で回転の方向を、またそれに付随する色々な出来事が、うまく絡み合っているのです。
逆にこの方法をうまく利用したならば、色々面白いこともできてくるのです。
例えば、次元図の上にコップを置き、その中にお茶とか又は水とか、お酒でもかまいません。
その上で、右回転に手を回しながら、おいしくなれとか、または私の好みの味になれとか、そんな風に思いを入れ込むことが可能となるのです。
また逆に、左回転で手を回しながら、まろやかになれとか、柔らかくなれとか、そんなことも、決して不可思議なことではなく、当たり前のようにこの法則は成り立っているのです。
そのように、右回転と左回転、またインとアウトをうまく組み合わせることによって、日常生活に大きな役割とまた生活そのものに知らず知らずのうちに関わってくるような出来事が、結構あるのです。
茶道の中で、そのような法則が使われていることは、とても不可思議なことですが、その当時から、私達日本人は、こういう法則があることを明快に知っていたということなのでしょう。
何故、このような現象が起こるのかというその推測の中に、やはり自然現象が大きく関わっていることと思われます。
先ほどいったように、台風が左回転で回り、またお風呂の水を抜こうと栓を抜いたとき、最終的に水は、右回転で流れていきます。
この北半球で生活する私達には、結構これは密接な出来事といえるでしょう。
やはり右回転がインであり、左回転がアウトというのは、この地球上における自然現象の中に、その答えは明快にあるのかもしれません。
しかしこの中で、いいとか悪いとかという意味ではなく、インとアウトを意識の上で、うまく利用することを考えたならば、それはイメージ作りの中で、回転とエネルギーの関係が、意識にうまく反映したならば、思いは現実化する方向に導かれることでしょう。
望みを叶えるためには、この法則をうまく利用することが、手っ取り早いやり方となることでしょう。
これからの時代、飲食物に含まれる化学物質や不純物等においても、私達の意識の中で、ある程度こういうものを緩和したり、逆に排泄したりする方向に意識を持っていくことが出来るのです。
常にそのような考えを持ち合わせることにより、どこかにそれが利用できたならば、結果的に、色々なものが解決されることになるのでしょう。
是非色々なもので試してみてはいかがでしょうか。
また、水における科学の中で、この法則は非常にうまく使われています。
またこのフォーマットウォーターを作り上げる上で、水をいかに左回転へと導き、その左回転の法則にどう融合させるかが一番大きな課題となっていたのです。
また皆さんがよく手にする水晶球にも、右回転のものと左回転のものがあります。
それは地球に対して垂直に置いたときに起こる現象で、その水平の方向にどう曲がっているのかが水晶の回転を見分ける方法なのです。
そして、そこをうまく左回転に修正してあげることにより、水の回転方向も、そのα(アルファ)チャンネルに融合させることにより、左回転の水が出来上がってくるのです。
水晶が持つ一番の特徴である、α波が、私達に有効的に働きかけるのも、このような回転と大きく関わっていることは間違いないのです。
よく皆さんは、宇宙の果てがどこにあるのだろうと、そんなことを考えることがありますよね。
私達人間の観念から言うと、必ず始まりがあると、そこには終わりがあり、どこまでいっても終わらない世界は、どう観念を変えようとも、認識のできる世界ではありません。
どこまでいってもその行き詰まった向こうも、どこまで続いているのか、要するに、宇宙に果てがないことは解っているのですが、観念的に認識できないのが現実なのです。
私達が今、電子がなす技の中で、バーチャル的に生きていることを認識していないから、起こる現象の一つなのです。
ここが物質社会ではなく、非物質の中に現実が存在し、情報の共有化により物質現象を確認しあっているに過ぎない、ということを、認識することは非常に困難な現象なのでしょう。
一つの細胞が、一千億個の原子の塊であることなど、認識することは不可能であり、その原子がまた、電子や陽子の塊であり、またその向こうが素粒子といった、認識を超えるほどの超ミクロの世界であり、またその向こうは、音であり、光であり、存在はしているのですが、それが物質化することなどは、彼らの領域の中では実際には存在していないのです。
電子は常にスピン運動を繰り返し動き回っているし、音もどこまで飛んでいけば消えるのか解らないし、光はどこまで進むのか、どんな距離まで飛ばすことが出来るのか、そんな果てしない経験の中で、情報がうまく組み立てられ、それが物質化という現象をもたらし、存在していることを認識できるならば、宇宙の果てがないのが、当然のこととして認識することが出来るでしょう。
逆にそんな世界に、限界や果てがあるとするならば、かえって解りにくい世界になってしまうのです。
そのバーチャル的に作られたこの宇宙が、私達人間を含む生命体といわれるように、自由に情報交換しながら、共存と共生を図り、電子の方向性の中に、意識や思いや観念があり、そこに大きく関与してくるのが、宇宙という空間における、ひずみのエネルギーなのです。
最近、宇宙がゆがみ始めてきました。
大きくゆがんだところと、すっぽり穴が開いたようなところが、時間と次元を超えて、私達人間というこの観念の中に、大きく影響してきているのです。
その一つの現象として、脳が圧迫され、意識が途切れ、眼圧が上がり、偏頭痛と耳鳴りが、そして奇妙な金属音が鳴り響き、このような状態では、脳内における意識の限界を修復する別のエネルギーが存在してこないのです。
要するに、私達人間が持っている情報プログラムの中の免疫能力が、使えない状態に陥っているのです。
何故このように、修復が不可能な現象が起きているのか、これは宇宙空間の中に、大きな物質、要するに、バーチャル的な現象と共に、移動が始まっていると考えなければなりません。
地球や太陽をもすっぽり包んでしまうような、ものすごい大きな球体のようなエネルギー体が、動き始めているのです。
フォトンベルトといったような言葉もありますが、そのような影響を受けているのかもしれません。
急激にそのエネルギーは収縮や膨張を繰り返し、解りやすくいうと、大きなくらげが海の中を漂うように、この宇宙空間をとてつもなく大きなくらげが泳ぎまわっているような、そのような現象なのです。
その影響を受けたこの情報空間は、情報にエネルギーが関与し、大いなるひずみを持ち始めていたのです。
フォトンベルトやニビルといった、そんな現象とも関係するのかもしれませんが、この大くらげの存在が、今の次元の領域をもはるかに超えるほどの、大きな存在なのです。
そこから発せられる周波数の中に、私達にとって、まだ経験のないほどの出来事が存在しているのです。
今の人類の科学では、その確認は非常に難しいものとなるでしょうが、確実に宇宙はゆがみ、そのゆがみ不和音が、私達の脳に大きな影響を与えていることだけは間違いないのです。
地球環境全てが今、大きく変わろうとしています。
人間達が犯した様々な罪の中でも、最も大きなものは、地球の軌道そのものをも変えてしまうほどの莫大なエネルギーの放出であり、核実験や、地球から発射されるロケットやミサイル、また飛行機の離発着と、様々な形で地球に大きな影響を与えてきました。
また地球を周回し続ける衛星達により、そこから発せられる電波や、日常生活の中で情報が行き交う中でも、あらゆる周波数の中で、地球はわずかながらでもその軌道や磁力的サイクルを変えざるを得ない状況に陥っていったのです。
そこに輪をかけるように、太陽の暴走があり、また火山の噴火や地震といったような、極めて大きなエネルギーの遭遇により、地球の中で安定を図ってきたエネルギーが今その安定を崩し、驚異的な活動をし始めています。
かつてこの日本には、東北の三山や、九州、そして富士山のような大きな山が3つあったといわれています。
そして、自然現象の中で、いや、第三次文明が起こした大きな罪の中でかもしれませんが、その大異変の中で撒き散らされた噴煙が、要するに火山の噴火により、日本が日照時間ゼロという、極めて危険な状態が起こったのです。
日本に住む倭人達は、これを回避するために、大陸への移動を考えました。
そしてこの危機的な状況を乗り越えるためには、何年もの歳月が必要となっていったのです。
わずかな光の中で生き残った生命体に、苔達があり、また現在高い山には、そのとき生き残った生命体が住み着いています。
何故、こんな高い山を選んで住む植物があるのか、そんな疑問を解決してくれる、そんな現象が、この日本で起こっていたのです。
現在また、そのような大きな地球変革の時期を迎え、私達はその恐怖から、どう生き残ったらいいのか、そんな未来を予測する必要が出始めてきたのです。
あの揺るぎないアメリカ大陸の中で、世界一の大きな火山が、今活動を始めています。
その他にも、海底火山や、大きな地殻変動の中で巻き上げられた噴煙が、世界を覆い尽くすほどの規模にまで膨らむ可能性が出てきたのです。
そう遠くない時期に、前回ヨーロッパで火山噴火により、飛行機の離発着が出来なかった、そんな規模ではなく、全世界が黄色い暗闇の中にすっぽり包まれるほどの現象が、起こる危険が、今あるのです。
全世界が火山灰に覆われ、日照時間ゼロという、そういった現象の中で、生命は生き続けなければいけません。
人間だけが助かっても、それは何の意味もないのです。
何故なら人間達が生きていくには、空気を吸い、水を飲み、食べ物を食べ、また太陽の光にさえも依存しなければならないからです。
わずかな光の中で生きられる生命は、ほんの一握りかもしれません。
これからの研究で必要なものは、人工的な光により、栄養価も豊富に育つような植物、そんな研究が急がれます。
人口太陽は、世界の人々を平和な生活へと導くことは、今の状態では困難といえるでしょう。
残った一部の人間が、この中で生きる方法を見出し、この火山灰に覆われた地球が太陽の光を取り戻し、元の地球に戻る日まで、じっと耐えていかなければいけないのです。
今の科学の中で、唯一この灰を落とすことができるとするならば、それは人工的に降らすことのできる、雨の装置でしょう。
しかしながら今の科学では、それは非常に小さな領域にしか利用することが出来ません。
灰が地球全体を覆いつくす、なんていう、危機的なことを考えて作られたわけではないからです。
自動的に降らせる雨に、火山灰を吸収させ大地に落とす、これは実は自然界の中で普通に行われている大気現象で、こんなことが起こってきた現実が、たくさんあるのです。
考古学者達が、深い地層を調べて、そこにある石器や化石などから地球の歴史を探るように、常に歴史は灰に埋もれ、地下へと潜りこんでいった現実が、そこに存在していることは事実なのです。
要するに、日照時間ゼロというような経験は、地球は何度も受けているのです。
私達はまだその脅威を、ほんのちょっと知る、そんな入り口に立っているに過ぎないのです。
これから訪れるその恐怖は、私達の想像を超える、大きなものとなるでしょう。
縄文時代、そして石器時代、この倭民族の中で、一番貴重とされてきたものが麻であり、麻は日本文化そのものともいえるでしょう。
日本の大地は、いたるところに麻が生い茂り、豊かな緑とその繊維は、この倭民族に大変大きな文化を与えてくれました。
しかしながら、今はその麻は規制され、作ることは出来ません。
本来ならば、この麻を利用しての科学は、医学においても生活環境においても、また今大きく騒がれている、エネルギー問題にさえも解決の糸口となる、大いなる存在なのです。
そのような麻の文化の中で長い年月を過ごし、日本という国は出来上がってきたのですが、今のような厳しい現実の中で、もう一度その麻文化が蘇ることが、非常に大きな意味を持つこととなるでしょう。
麻の利用価値を最大限知っている倭民族だからこそ、必要な事柄なのです。
またこの麻には、魔を除ける意味があり、俗に神社のお札のことを、大麻(たいま・おおぬさ)と呼ぶのも、そこからきているのです。
この麻により、倭民族の意識は非常に強いものとなり、この麻を纏うことにより、神との関係が成立してくるのです。
そういった意味で、日本人と麻との関係は、切り離すことの出来ない深い関係の中に存在していることは言うまでもありません。
またもう一つ、日本には、日本を象徴するような、とても素晴らしい樹木が存在しています。
それは、檜です。
檜には、同じ種の中に、檜葉(ヒバ)や翌檜(アスナロ)といったように、同じように使用されるものがありますが、ここでは檜を主とし考えてみましょう。
この檜は、野生のものは日本と台湾にしかありません。
日本では、いたるところに檜の野生は存在しますが、一番有名なのは、木曽檜ということになるのでしょうか。
この檜には、香りの主成分として、ヒノキチオールが存在し、香りと共に殺菌効果があり、また、檜に取り付く以外のカビを防ぐ、防カビ効果もあるのです。
神社仏閣の屋根には、檜の皮を幾重にも重ね合わせて作られているものもあるのです。
全く捨てるところのないこの檜は、日本人の誇りでもあり、日本人の生活に欠かせないものとなっています。
まな板や枡は、ほとんどが檜で作られ、衛生面からも、大変大きな役割を果たしてきたのです。
また、檜風呂は日本独特の文化であり、そこで病気の繁殖を抑え、また逆にその抗菌作用によって、より高い安全性の中で、生活の知恵が生きていたに違いありません。
そういったように、この日本は麻と檜により大きく繁栄し、日本人の生活に、最も密着した形で、それらが存在していることは、現実そのものといえるでしょう。
その素材の持つ性質以外に、この檜は高貴な意識を持つといわれ、松竹梅の上に存在したとも言われています。
要するに、一番高貴な樹木であり、それは生活に密着した、貴重な存在でもあったのです。
ほとんどの城や神社仏閣の素材として使われ、長い歳月の中で、その素材は朽ち果てることがなく、特に姫路城の大黒柱は、木曽檜を代表する存在ともいえるでしょう。
このように日本文化の中に密接に絡み、生活そのものの糧となってきた麻と檜は、今後大きく見直され、もう一度文化の中心となり、その意味をもっと深く知ることにより、霊的な現象をも抑え、日本人が日本人であるという決定的な意識の中で、その素材と共に、私達自身が新しい未来へと進んでいかなければならないはずなのです。
ここに密接な関係を持つことが出来たならば、日本人は新しい意識と共に、なくしてしまった感性と未来における予知能力を取り戻し、もっというならば、本物のシャーマンになれるのです。
そういった意味でこの貴重な存在は、私達にとって大いなる夢の存在となることでしょう。