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 「念ずれば通じる」と言う言葉がありますが、確かに想いや願いは叶う事があります。神社にお参りに行って、色んな願い事をしたり、お寺に行って心を落ち着かせ願いをかけた時、結果として叶う事が沢山あります。
 もちろん意識のしない所でも、不思議な現象は沢山起こりますが、意識して願いが叶った時は喜びは倍増で「あのお守りが効いたんじゃないか」とか「黄色が良かったんじゃないか」とか、全て良い方向に理解します。確かに想いは、届いている事になります。なぜ、人の想いは願いを叶える事が出来るのでしょうか。どうして遠くに飛ばす事が出来るのでしょうか。そんな事を不思議に考える事はありませんか。
 想いにはエネルギーが存在します。人間は、想いとエネルギーを光に変え、放出する事が可能なのです。想いにエネルギーがあるからこそ、願うのです。そしてその願いは、ある種の周波数に置き換えられ、光の領域へと入り込み、遂げられようとする出来事と遭遇し、結果をもたらしてきます。想いも肉体から発生する限り、そこはエネルギー源となり方向を定めてさえあげれば、光の速度で走る事が出来るのです。
 人の想いが光となるなら、その事を知ったならば、未来へと想像を膨らませて下さい。そして、正しい方向へと導いて下さい。地球の意識が変わる日が来ています。人間の意識も変わらなければいけない時が来ています。強さと優しさを、そしておおいなる望みを持ち、未来の地球を意識し、今を変えていかなければなりません。その想いのエネルギーが光となり、この地球を包み込んでくれる時、新しい世界が始まります。
 人間は、その能力を使うべきです。
 その日はすぐそこに来ています。
 地球の為に、未来の為に、そして全ての命の為に。それが私達人間の役割です。

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 誰も座っていないテーブルの上に、リンゴが一つ置かれています。とても美味しそうで、食べてほしいと囁いているようにも見える、赤くてきれいなリンゴです。
 そのリンゴを見た時、欲望が生まれ、解決方法を心の中で考え出すのです。このリンゴはもう持ち主がないんだ。誰かが忘れて行ってしまったんだ。きっと取りに帰って来ない。だから貰っちゃおう。これはきっと、神の恵みなのだ。私に食べてもらいたいから、ここにあるのだ。きっとそうに違いない。なんて私は幸運なんだろう。そして、そのリンゴを手に取り、ちょっと後ろめたい為、少し離れてから食べ始めるのです。
 果たしてこの考え方は、正しいのでしょうか。これがリンゴだからまだ、さほど大きな罪にはなりませんが、もしリンゴ以外のものだったらどうでしょう。そう考えると、大変恐ろしい自分の中の悪を容認させる為の、心の叫びではないでしょうか。
 こんな風に自分を納得させ、犯罪は行われるのです。犯罪者は常に自分の心の中で、それは正しい事なのだと置き換え、自己暗示にかけ実行へと突き進んでしまうのです。なんて身勝手な考え方なのだろうと思いませんか。これが罪を犯す人の自己を、容認させる為の法則なのです。
 また、テーブルの上のリンゴを持ち去るのを見た人が、リンゴぐらいだから良いだろうと、それを盗んだ人を許してしまう事がよくあります。なぜ、その犯罪を目の前にしながら、それを許してしまうのでしょうか。リンゴでなかったら大変な事なのに、注意するのが怖いから、注意したら何か言われるのではないかという恐怖から、逃げてしまう場合もあるのです。
 仕方がない事かもしれませんが、こんな事からこの世の中に多くの悪が生まれてきたのです。初めは、ほんの些細な出来事から始まるのです。そしてそれにマヒした心が、正当性を求めエスカレートしていくのです。例えば、リンゴでなく約束した時間を守らない人が居たとしてもそれは、その人の癖だから仕方ないのよと言ってしまったならば、その人は時間を守らなくても注意されないんだと思い込んでしまう。本当に始まりは、そんな小さな事から起こるのです。
 ちょっと注意するだけで、小さな事ではお互いに傷つく事がないのに、それを見逃してしまうだけで、もう二度と注意できない関係になってしまうのです。ほんのちょっとだけ勇気を持って注意してあげれたならば、もっと良い関係が保てるはずです。
 未来の地球では、約束を破る人は住んでいません。
 
 

 神社でよく見受けられる事ですが、社殿に参拝する時にたまに「荒魂を祭る社殿」と「和魂を祭る社殿」が別れて二つあります。
 内容は字のごとくなのですが、なぜ二つ必要なのか、そして二つある事によってどの様な現象が起こるのか。それを仮に、人間に置き換えてみたらどうでしょうか。荒々しい魂の場合、人と衝突したり、気持ちが苛々したり、虚栄心で強さを強調したり、色々な場合がありますが、強さを表す事はとても必要な事だと思います。
 また、和魂(優しく思いやりの魂)の場合、人に優しく接したり、思いやりを持って何かをしてあげたり、争い事を避けて和みの世界へと、とても穏やかな心となっていくでしょう。この二つの中で各々に欠けている部分、そして二つある事により生まれてくる事柄の中で最も重要なのが、二つ合わさる事によって生まれる「勇気」という言葉で置き換えられると思います。
 優しさだけでも、荒々しいだけでも、勇気は生まれてこないのです。両方ある事によって、そこから勇気が生まれてきます。間違った事をしている人に、優しく振る舞うだけでも、また荒々しく振る舞うだけでも、何の解決も見出す事は出来ません。勇気を持って、注意する事が必要です。間違いを正そうとする時には大変、勇気が必要となります。勇気がないと、人に注意したり、自分の間違いを訂正したりする事が出来ないのです。
 だから神々の世界でも、この二つが大変重要な事柄となるのでしょう。
 私達も勇気を持って、悪に立ち向かい、悪をなくしていく必要があると思います。
 穏やかな和みの世界を築く為にも、勇気が必要です。

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