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確かに今、異常気象というよりも、何か大きな異変が起こる様な気がします。
氷河期に向かっていく、そんな中で太陽が大きく変化しながら、地球環境は大きく変わっていくのかもしれません。大きな地震がこれから何度も起こるかもしれませんが、今までそういった異変の中で人類が滅亡してきたというそういう事実はなかったのかもしれませんが、しかし文明が途切れ途切れになっている以上、どこかで滅亡の危機を迎えていた事も事実なのでしょう。
今の科学がこの地球上で、一番進んでいる科学ではありません。日本においてはあの奈良時代に何が起こったのか、またそれ以前にも今より進んだ科学があったといわれていますが、なぜそれが絶えていったのでしょうか。その昔も核戦争の様な大事件が起こった、そんな証拠となる珪素がグリーン化した、そんな石を見る事があります。
明らかにその証拠だというわけにはいきませんが、可能性は大きく秘めています。人間達は大いなる過ちに気付いた時、今までは凄い勇気の元で原点返りをしました。要するに全ての化学を捨て、自然に戻って行ったのです。そして自然界の中に存在する物質を使いながら、要するにそれをそのまま使い生活の糧としていったのです。その一部が残っているのが、石器であり土器なのです。
その様な形で、環境の中で生き続けたならば、この地球の変化にただついていくだけで、それだけで良かったのです。大異変がこれから起ころうとする中で、私達は今それが、可能な時代に入っている事も分かるのですが、その大異変に便乗した科学的な間違いの存在が、そこに巧妙に絡んできた時、今回の様に地震だけなら、津波だけならまだしも、原子力発電所の事故が、今私達を苦しめる最大なる現実がここに在ります。
当時の人達はこういった間違いを防ぐ為に、原点返りし科学を捨てていったのです。この地球は常に動いていてこういった大きな環境変化が、何度も繰り返されながら存在していたのです。
千年に一度といっても逆に言ったならば、必ず起こるといった事を意味しています。それなのに憶測の下でそれを甘く見ていたのです。
今これから来る大異変に備えたとするならば、そういった科学的な間違いを正し、自然界の法則に則りながら、その日を待つのが一番好ましいと思われます。
今回起こったこの事故の結果を観察する上で、一番この結果に関係してくる生命体が鳥なのです。草花の実には、根や葉から吸収した栄養分が集中して集まってきます。日本中にばらまかれた放射性物質は、植物達により種子に運ばれ、それを食べる鳥達に大きな影響が現れてくる事でしょう。もし今回の関係の中に、危機的な要素を含んでいるとするならば、真っ先にその異変を形に表してくるのが鳥達だと思われます。
もし鳥が激減したり、奇形が生まれてきたならば、やがてそれは人間が現実のものとする、その現象を見る事となるのです。これからは少し鳥に注目しながら、環境問題を見ていったらいかがでしょうか。先に教えてもらえるはずです。
そしてこういった間違いを二度と起こさない為にも、大異変が起こる前の備えとして、間違った科学を一日でも早く修正する必要があるのです。取り返しのつかないそういう事故が起こらない様に、今から準備していかなければいけません。しかし今この現実の中で、私達が生き様とするならば、そのテーマに沿った環境の整備が必要となります。
しかしそれは上手くいくものではありません。だからこそ生きる場のそのステージを自分達で作らなければいけないのです。
安全である事の条件と、生きる為の法則はさほど難しくなく、植物や鉱物や微生物によって守られていく事でしょう。そういった聖地を早くに開拓し、そこで生きる法則を学ばなければなりません。
気付いた人から、準備に入ってみてはいかがでしょうか。
沖縄の海
貴船神社奥宮 石船
沢山の人間が居てその人間関係を上手くやっていこうとするならば、自分の本質を隠さなければいけない事がよくあります。
演技し続けながら生きている人達が、沢山居る事も事実です。家に帰って一人になったら、あぐらをかいて大きなおならをしていても、人前では品位と品格を保ちながら、とても良い感じをかもし出している人も沢山居るのです。
芸能界を見ると役どころによって、全く違う人に感じる事もあります。演技というものはそういった芸能界だけにとどまらず、日常生活の中で誰もが演技し続けながら、生きている場面も沢山あるのかもしれません。ただし24時間ずーっと、演技し続ける事は出来ません。だからどこかで手を抜き、本質を現す場所が存在してくるのです。
例えば一人ぼっちの時とか、周りに誰も居ない時とか、又知っている人が居ないから旅の恥はかき捨てといった様な、そういった諺もあります。確かに本質を隠し続け生きる事は、大変難しいのかもしれませんが、出来るだけ自分を隠し、上手く繕いながら、社会生活を営んでいるのも現実なのです。
しかしどんなに上手く繕っても、たった一つの小さな出来事でそれが、ばれてしまう事も良くあるのです。せっかく築き上げてきた信用が、ちょっとした瞬間そこから大きく崩れてしまう事もあるのです。本質を見抜かれてしまう事は、誰もがこれから起こる可能性の有る出来事なのですが、その本質が非常に悪い方向に向いていたならば、そういった結果になっても仕方ないのですが、人からの噂で何か嫌な事ばっかり聞いていた人が、会ってみたらとっても素敵な人だった、何て事も良くあります。
人の意見と自分の意見が、同じとは限らないのです。だからこそ、本質をしっかり見極めてお付き合いする事が、大事な事と言えるでしょう。しかしこれからの時代、俗に言う時間軸が縦軸に変わってくると、どんなに隠そうとしても、結果という現実の中に全てが存在してきます。過去も未来も自分に起こる全ての現象が、今という結果の中に、特に本質的な物が隠さず表現されてくるのです。恐ろしい事ですが、それは誰もが理解出来る様な時代に入りました。
要するに本質が隠せない時代に今、入ろうとしているのです。分かり易く言うと、ようやく嘘がばれる時代に入ってきました。どんなに本人が上手く隠そうとしても、周りの人からは反ってそれが、滑稽に見えてしまうのです。こうなった今、逆にそんな事に恐れないで、もっと自己を磨き、本当の姿を自分が作り上げ、社会に順応し、誰もが喜んでくれる様なそういった方向へ、本質その物を変える必要があるのです。
繕っていた時代はもう終わりにしなければいけません。今までなら上手く騙せた事も、もうその時代は終わりました。騙され続けた人々は、騙され続ける事により、本質を見抜く力を得てしまったのです。表向きは上手く繕っていても、皆知っているのです。ただ建て前と本音の中で、その人間関係を壊さない様に、そこを上手く繕っているに過ぎないのです。
これからの時代はもうその様な愚かな方法で、人間関係を上手く繕う事は何の意味も持たなくなってきます。そんな事より正しい意見を言い合い、お互いがより良い方向へと導かれたならば、その方がよっぽど良い事ではないでしょうか。いくら繕っても、周りから見たらただの茶番劇に過ぎないのです。
意味の無いそういった考え方をその事に溺れてしまったならば、お互いが駄目に成ってしまいます。
早く本質を見極め、正しい方向に自分を変えていかなければいけません。
自分を変える事が出来るのは、自分だけです。
大勢の人が、この地球には生きています。
何の目的で生まれてきたのか、どこに向かって行くのか、生きる為の法則がどこに存在しているのか、あまり多くの事を考えずにありのまま生きて、繰り返される毎日に飽きもせず何気なく過ごす毎日、一週間が終わると、又新しい一週間が来て、予定された日程を過ごし、いつの間にか一ヶ月が過ぎていく、そんな平凡過ぎる生活の中で、人から見たら、何の悩みもなく楽しそうなそういった現実の中で、人々は苦しみ、悲しみ、恐れや怒り、そして不安の中で毎日を過ごす事もよくあるのです。
はたから見たら平凡過ぎる一日の生活の中に、悩み苦しんでいる人達が沢山居る事も事実なのです。そして些細な事件に巻き込まれたり、偶然その場に居合わせてしまったり、沢山のそういった現象の中で命を失ったり、逆に幸運な出来事に遭遇したり、自ら命を絶ったり、生まれてきたばかりの命を軽々しく奪ってしまったり、多くの事件が存在してきます。そんな中で自分を守る為には、自分で守れる部分と、いくら自分が守ろうとしても叶わない部分も存在してきます。
何故ならば、対比する関係がそこにある以上、要するに一人で生きていない以上、多くの考え方や事件に巻き込まれる可能性は、決して少なくはないのです。そういった社会生活の中で私達は、特にこの日本人は、神社やお寺にその救いを求めて手を合わせにいきます。これといった決まりがなく、神社でもお寺でもそれは良いのかもしれません。日本人独特の感性なのかもしれません。そして神に願う事は、自分の幸せであり、自分を守って下さる様に他力的にそこを求め、安心感の中で生き様とする一つの単純な法則でもあります。
守り神が居るとするならば、確かに奇跡的に急死から一生を得たと言う様な話もありますが、確かに幸運な方もよくいらっしゃる事も事実です。何か、そう言う事があった時に、運気が強いとか、守り神がついているとかそんな風に思う事もよくあります。私達にそういった考え方がある以上、それはとても面白い考えではあるのですが、現実は大変厳しいものもあります。
全ての人が守られているならば、それは大変素晴らしい事なのですが、神々達もそこまで手が回るとは思えません。しかし守り神の存在は、私達の心を豊かにしてくれるし、俗に言う、守護霊がどうのこうのと言った様な、そういった話は多くの人の興味を誘ってきます。
確かに目に見えない、そういった世界がある事を、日本人ならほとんどの人が認識しています。守られながら生きるそれが私達が今、生きているそういった現実の中で、安心できる一つの素材ではないでしょうか。小さな子供の頃は、両親が守ってくれるそんな風に感じた人も要るでしょうが、両親も付きっきりで傍に居たわけではありません。小学生の登校の列に、車が突っ込むといった様な大変悲惨な事故も起こっていますが、彼らが守られていなかったから起こったわけではないのです。あくまでそこに、事故という現象をもたらした、その車を運転していたその人の不注意がそういった行為を招いてきます。
いくら守られていても、守りきれない現実も存在しているのです。神々達も、絶対的な能力を持っているわけではないのです。全てを守れるわけではありません。だからそういった事故に巻き込まれた人が、守られていなかったわけでもないし、そこに導かれる様に、生まれたその日から決まっていたわけでもないのです。
霊的現象を、そしてスピリチュアル的に必然理論を持ち出す人達は、その部分を変に結びつけ、暴利をむさぼっているに過ぎないのです。
勘違いしない様にして下さい。神々達は常に平等です。
誰もが守られているに違いありません。決して粗末に扱われているわけではないのです。
変な理論や、捻じ曲げられた言葉に、惑わされないで下さい。
誰もが守られているはずなのです。