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本当にこの地球は今、どういった方向に向かって行くのでしょうか。
氷河期に向かっているというそういう学説がありますが、確かに世界が打ち上げた衛星の中で、太陽を調査する衛星があまりにも多い事も現実です。
確かに、太陽に大異変が起こっているのかもしれません。繰り返される宇宙環境の変化の中で、地球は太陽への依存が大きく、当然そこを調査するのが当たり前の現象と言えるでしょう。そういった自然に対する観念や思いは大変大きなものがありますが、そこに便乗した大いなる罠が存在している事も確かなのです。
今回東北に起こった大きな地震や原子力発電所の事故に、ここにも大きく関わる様なある種の罠が仕掛けられているのかもしれません。もしそれが出来るとするならば、神々達が人間をどう理解するか、今私達がこの地球で生きる権利を大きく失っている、そのせいではないでしょうか。
しかし現実は想像力を遥かに超え、人間関係を含め地球は大きく変わろうとしています。小中高大とお決まりのコースで学業に励み、そして社会に出て行きます。その社会の仕組みの中で都合よく使われ、何に向かっていくのかそれすら分からないまま、その社会生活に馴染んでいってしまうのです。
確実に洗脳という言葉が現実のものとなり、学校で学んだ事が現実からかけ離れている現象があまりにも多く、なぜ詰め込み社会が作られていったのか、そこから得られる法則はたった一つ、コントロール社会の中で観念を植え付け自由思想を奪う、大いなるテクニックが隠されているのです。
人間達は、国家や企業のパーツに過ぎないのかもしれません。この様な社会の仕組みの中で毎日を生きていながら、矛盾すら感じない様にそれが上手く操作されているのです。
しかし今回迎える危機的な出来事の中で、もちろん自然現象を利用した大いなる罠が、仕掛けられている事は間違いないのです。増え過ぎた地球人口の中で、やはり淘汰の時期を迎えたのかもしれません。
農業技術が進み、食料といった問題はかなりの領域で解決されてはいるのですが、世界的なレベルで見たならばそれが不足している事は間違いないのです。
生きようとする人々と、生かそうとする人々と、又その逆も存在しているのです。人間をコントロールする為には自由な時間を与えず、作り上げた観念の中であたかもそれが自由の様に思わせ、要するに土曜日と日曜日が休みになり行楽やレジャーを楽しむ、趣味や園芸といった様なその様な形でも、余暇を上手く利用するそういった法則も実は、報道という映像や文字や音から得られる観念の植え付けに過ぎないのです。
どうやって余暇を利用するのか、それを学ばせているに過ぎないのです。要するに一週間全てが、管理された時間の中に存在していると言えるでしょう。だからこそコントロールは容易くでき、その中でやらされている人も、そういった行為を行う人も、その両者ともコントロールされた中に在るのです。
これはある種、千年という長い歳月をかけ、いや二千年という長い歳月をかけたのかもしれません。それ程までに長い時間をかけこの社会は作られてきたのです。その中には様々な出来事も有りましたが、最終的に神が仕掛けた罠は、人類の滅亡というたった一つの考え方です。
しかしそこから人間が逃れる為に、神に仕掛けた逆の罠がこのコントロール社会なのです。生きようとするからこそ生まれた現象であり、しかし神が仕掛けた罠は実は、滅亡を防ごうとする為の逆罠もそこには在ったのです。
要するに人間に対して危機感を与える事により、この自然の中で生きる法則を気付かせる為に彼らは、逆罠を仕掛けたのです。それに気が付かなかった人間達は、恐怖と死という言葉に自分を見失っていく事になるのです。その結果、人間が人間をコントロールし、神の意図する方向とは全く逆の方向へ導きその結果、私達は自分の手で滅亡への一歩を、その扉を開いてしまったのです。
なんて愚かな事なのか、しかしながらまだその扉は、閉める事が絶対的に不可能だと言えないのです。それをこじ開けようとする人々と、その扉を閉めようとする人々が今、真実を求めて戦い始めています。
どちらを選ぶのも人間の自由と言えますが、その為に犠牲となる命が沢山有る事を忘れてはいけません。世界は今、間違った方向に進もうとしています。それにいち早く気付くのが、倭民族であり日本なのです。
日本が世界の指導者となり、この間違った取り返しのつかないそういった罠から、人類を導く勇気が必要と言えるでしょう。
まだ間に合うのです。日本人なら倭民族なら誰もが、そこを理解できるはずです。
世界中の人が日本語を話すようになったら、豊かな地球国家が出来るはずです。争いからはもう何も生まれてきません。
経済の仕組みの中に破壊という法則があったから、それが今起こっている現象です。
経済の仕組みを徹底的に変えなければなりません。
最近この日本において、大変大きな事件があまりにも多くあります。
政治や経済の行方も、これから起こりうる天変地異も、今の子ども達が日本の未来を考えた時、俗に言う夢とか希望とか、そんなものが存在しているかどうかすら危ぶまれる社会となっています。
原発事故や異常気象そして多くの地震が、この日本列島に危機感を与えています。先日、震災にあった東北の人達と会話する事がありました。福島に住む人達は、とても力強く前向きで、その地を愛し生き続けようとしています。
そういった心の裏側には、もう一つ隠れた意識が存在しています。諦めムードというどうにもならないやるせなさと、信用できない社会性の中で何を信じたら良いのかすらもう分からなくなっているのです。結論的には、誰も本当の事を言ってくれないと言っていました。本当の事を知る事が自分達にとって有効的な出来事とは思いませんが、もし未来が明るい兆しの中で好転していくならば、本当の事を知った方がどれだけやり易いのではないでしょうか。
逆にそういった専門家達が、また国を代表する人達が本当の事を言わないのは、国民達に不安を与えたくないという優しさなのかもしれません。本当の事を知ったからといって、どうなるわけでもないのです。知らぬが仏ということわざもあります。
今はまだ、知らない方が幸せなのかもしれません。ある種の人達はとても真実を知りたがり、お金持ちは日本を捨て海外に逃げようとしています。確かに諸外国の意見を聞く事があったとするならば、日本の運命は、非常に危機的なものになる事は間違いないでしょう。
あの原発事故一つで、日本国が全滅する可能性はとても高いのです。今となってはそうならない様に神に祈るしかありません。このまま上手くこの危機をすり抜け、上手く処理される事をただひたすら願うしかない現実が、そこに在るのかもしれません。もう一度東北を大きな地震が襲ったならば、この日本は確実に大変な危機に陥る事は間違いないでしょう。
しかしながら、それを防ぐ手立てはどこにもないのです。だからといって、何もしないでいるわけにもいきません。今私達にできる唯一の事は、何気ない平常心の中で毎日を暮らす事なのかもしれません。
何もなかった事にしよう。今はとても安全な国に住んでいるんだという事にしよう。今日が明日になる様に何気ない毎日が繰り返されたならば、それで良いにしよう。そんな風に楽観的に考えたならば、それはそれで良いのではないでしょうか。
未来の不安をどんなに今抱え込んだとしても、何の解決策も生まれてはきません。なぜならば、その対処法は起こった現象に伴う法則であり、今起こるこの危機的な要するに経験の無い出来事の中では、起こってみなければ何もわからないのが現状なのです。
だから今は、ただひたすら毎日を精一杯生きて楽しめるチャンスがあったならば、大いに楽しんだら良いのではないでしょうか。これから大いなる未来を迎える青年達に不安を与えても、それは逆効果に過ぎません。反って知らない方が良いのではないでしょうか。
両手を合わせ神に祈る事がよくあります。
自分の幸せであったり、会社の事であったり、神社参りに行くと沢山の人が祈りを奉げています。世界中の人達に共通して起こる事に、祈りがあります。
道路に跪き、一歩一歩祈りながら歩いたり、頭を深々と下げ誠意をこめ祈る現象など、世界には祈りの現象は沢山存在しています。なぜ人々は神を信じ、こんなに祈るのでしょうか。現実に存在しているのか、それすら分からないそういった人達でも、自分の為そして家族の為常に祈り続け、何事につけても祈る事により、許されたり報われたりそういった事が起こっているのでしょう。
人間だけに与えられた権利であり行為なのかもしれませんが、世界中の多くの民族は人間である以上誰もが、この祈りの中で生きているのは当たり前の現象なのです。なぜ人間はこんなに祈るのでしょうか。どうして祈る事によって心が豊かになったり、夢が叶ったり、日本にも神社仏閣は、大変な数が存在しています。
世界中見ても寺院と呼ばれる聖地は、どれ程多く存在しているのか、バチカンの様にそういった本部すら存在する様に、京都においても町のど真ん中に、東本願寺や西本願寺があります。多くの修行僧達もどれだけ祈りながら、今日という日を迎えている事なのでしょうか。
神を信じ仏を信じ偶像崇拝という日本においては、諸外国では認められないそういった現状もありますが、なぜか仏像の目の前に行くと、心が洗われ手を合わせたくなってしまうのも当たり前の現象なのでしょう。
人間だけに与えられた、心を豊かにし悲しみを和らげ願いが届くならば、祈りは人間にとって大変貴重であり、それなしでは生きられないのかもしれません。確かに人という漢字を見ると、手を合わせ祈っている形がその象形文字となっていると言われていますが、だから人という字は、両手を合わせて祈りの姿になるのですね。
私達人間だけに起こる現象であり、他の生命体には全く考えられない現象なのです。心の中で多くの叫びを持っています。誰にも伝えられない程の、悲しみや苦しみがあります。自分ではどうする事も出来ない程の現実の中で、何かにすがりたいという思いは、人間にとってとても必要な行為なのではないでしょうか。自分で全てが解決出来るならば、そして自分の思い通りに現実が存在するならば、何も祈る必要はありません。
しかし未来は未知的であり、確認できるものではありません。病気や怪我がいつ起こるかもしれません。だからこそ私達は祈りながら、いつまでも無事でいられる事を望むのです。そして豊かな心がいつまでも続く様に、祈り続けるのではないでしょうか。現実があまりにも厳しい現在、唯一残された方法が、神に手を合わせ願う事なのかもしれません。そしてその祈りは、必ず天に通ずると誰もが思っているのです。
でもその思い込みが、現実のものとなる事がよくあります。そう、願いが叶う事が、結構沢山起こる現実が存在しているからこそ、世界中の人々が祈り続けているのでしょう。今この様な危機的な時を迎え、沢山の人が不安の中で生きている事は間違いありません。そしてこの地球経済がいつまでも豊かで、そして繁栄する事を誰もが望んでいるはずなのです。
その願いが叶うとするならば、それを祈るしかない現実がここに存在しているのです。