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奈良井宿で見つけた杉玉
一体、私達人間はいつからこの地球で住み始め、一体、私達のふるさとはどこにあるのでしょうか。
遺伝子を調べる限りでは、30億というとてつもない設計図の組み合わせの中で、生命は誕生してきています。しかし人間だけは、他の生命体とは違う大変特殊な能力を持っているし、又凄い表現力、音や光を支配したり自然界を自由に操れたり、この極めて特殊な能力を持った人間は、この地球に何をする為に現れたのでしょうか。
人間という優れた能力を持った生命体は、科学や又この地球で生きる為のあらゆる法則の中でその頂点を極め、もう地球上は人間達が、全てを管理し乗っ取ってしまったかの様にも見えるのですが、果たして人間の役割は一体この地球で、何をどうすれば良いのでしょうか。
これだけ優れた生命体がこの地球にいる以上この高い能力者達が、争っている事自体が大変馬鹿ばかしい事ではないでしょうか。
小さないざこざや、ちょっとした事で傷ついたり、又人を傷つけたり、大量殺人兵器を作って人類を滅亡へと追いやる様な人間は、どこまで狂い始めてしまったのでしょうか。これは、実は人間達だけに与えられた一つの大きなプログラムが、存在しているのです。
私達には、RNAというメモリーディスクを遺伝子の中に持っています。その記憶されたプログラムの中に、キーワードが隠されているのです。ある種のキーワードを手にすると、そこから記憶は蘇り、科学という現実が生まれてくるのです。要するに、エジソンやトーマスの様な、又アインシュタインであっても自分の科学など最初からどこにも無いのです。
ただRNAに記憶されたプログラムを思い出し、又読み取る事に成功しただけなのです。この地球における全ての科学そしてこの生き方はもうすでに我々は、要するに我々の遺伝子は経験済みの出来事なのです。新しい発見など、全くどこにも存在していないのです。
我々よりもはるかに優れた文明社会が、この地球に存在していました。その時に作られたそういった素晴らしい出来事はRNAに記憶されたのです。何の為にそういった記憶があるのかとそこを深く考えれば、誰もが気付くはずです。同じ過ちを繰り返さない為に歴史は記憶されていくのです。
人間という素晴らしい生命体は、本来はそれを理解できるはずなのですが、経済という悪魔によって支配された今、その事を忘れてしまっているのです。欲望の悪魔は豊かな経済を求め、同じ過ちを繰り返すことによりその経済を繁栄させているのです。
最終的には何の必要もない馬鹿げた争いに過ぎません。豊かな経済から地位や名誉や金銭欲といった欲望が生まれてきたとしても、自然界を維持し同じ過ちを繰り返さない様にしないと、せっかく記憶されたプログラムが魔の力により何の意味もなくなってしまうのです。
本来人間はとてつもなく平和主義でなければいけません。なのにその平和は防衛という能力によって守られるその勘違いが、そこには存在しているのです。
争う人が居なければ防衛する人は必要ないのです。争わせる様に仕組み、防衛する事で儲けようとする経済の仕組みがそこにはあるのです。
始めから何の意味もない事なのです。それなのに私達は平和を守る為に、正義の味方を養成しているのです。非常に馬鹿げた発想ではありますが、現実がそうなっている以上、仕方ありません。
しかしRNAには、もう一つ同じ過ちを繰り返さないというプログラム以外に、未来を構築する素晴らしいプログラムが存在しています。今そのプログラムが、ある種の光の調整によりスイッチが入ろうとしています。特にこの倭民族、日本人が、そのプログラムの能力に目覚めた時、世界は新しく変わってきます。要するにあの素晴らしかった第三次文明が残した、もう一つの大きなプロジェクトがそこには隠されているのです。
経済の仕組みも根底から変わります。そして人間達は、平安な日々を延々と過ごしながら、豊かな心や美術的にも優れた経済社会が作られていくのです。
一つの観念が新しく目覚めるだけで、新しい世界が始まるのです。
今そのプログラムを意識として確認することはまだ難しいかもしれませんが、今年中にはそのプログラムに開花した意識が、多くの人を正しい方向へ導く事となるでしょう。
世の中には、素晴らしい能力を持った人が沢山いらっしゃいます。
しかしそれが本当の能力かどうか、また突拍子も無い考え方かどうかは、その時代とか現実との関係の中でなかなか判断は難しいものです。
よく天才と馬鹿は紙一重と言われますが、確かにそうかもしれません。全く他者の書物を読まず、人の意見に左右されず、独自の判断力や独自の理論、そして物を作ったり、また本を書いたり色んなパターンがありますが、中でもやはり凄いのが、奇跡を起こすそんな現象が起きた時だと思います。
例えばモーゼの様に、海のど真ん中に道を作ったり、杖を指しただけでそこから水が溢れ出したり、その人のおでこに手を触れただけでその人の考え方や思いが全部見抜けたり、上げれば切りがありませんがこういった不可思議な現象また力が、どこから生まれてくるのか、そして本当にそれは存在しているのか、テレビ番組の中で、未来を予知したり、その人を読んだりする、不可思議な番組がありますが、確かにそうなのでしょうか。
非常に多くの疑問とまた矛盾が交差しながら、その様な番組を見たり、またそこから何が得られるのか、ただの娯楽なのかもしれませんが、大変興味を引くものでもあります。
前にも言った様にスーパー心理学を学んだ人々は、言葉の端々や、服装・髪型、またしぐさとか、ちょっとした癖とかから、その人の過去や考え方を、瞬時に見抜く事は、さほど難しい事ではありません。そして言葉巧みに誘導し、さも自分が特殊能力を持っているかの様に勘違いさせてしまう、そういったテクニックはさほど難しいものではありません。
しかし天才となると、相手が何も喋べらなくても、いや逆に何も聞かない方が、相手を見る力が正確に、そして的確に判断します。もちろん誘導する事はありません。軽く背中に手を当てただけで、その人の家の中が見えたりする事もあるのです。また霊的現象では、非常に説明が難しいのですが、情報的な転写が行われ、それを言葉に置き換える事すら出来る事もあるのです。
しかし彼らは、何の訓練もまた何の勉強もしているわけではありません。畳のへりでつまずき、障子の角に頭をぶつけただけで、突然その日から、考えられない様な出来事が起こったり、お宮の木から落っこちただけで、自分が誰か分からなくなり、気がついたら周りの景色が全然違う様に見え、それから狂った様に自分探しをしたり、逆に意識を集中して、あらゆる生命体と会話出来たり、そんな様な突然起こる現象もあれば、生まれながらにして持っている、未来予知能力とか、また意識しただけでその人の寿命が分かったり、どこに病気があるのか、また経済的にどうなのかまで分かってしまう、そういった天才達は、きっと沢山いるに違いないのですが、なかなか表に表れてきません。
知識をひけらかした秀才達は、さも自分が凄いかの様にお金稼ぎをしていますが、なかなかそれは上手くいきそうで、最終的にはそれに騙される人達は、気付きの中から本物を探し始めます。天才と秀才の見分け方は、あまりにも簡単な方法で分かります。相手の意見に正しくても頷かなければ、秀才は不安を感じますが、天才はそれを見抜くことが出来ます。簡単に判断する事が出来ますので、やってみたらいかがでしょうか。また誘導尋問に引っかからない様にして下さい。心の底を見抜かれるだけで、暴利を貪られる事もあるのです。
天才は、お金を取る事を嫌います。なぜならば、神から貰った力をお金に変える事は、あまり良い事ではないと考えるからです。
確かに、海のど真ん中に道を作る事は、不可能かもしれません。でも風を操ったり、雲を操ったり、その様な現象の中から、多少それに似た行為を行う人達は、何人かいます。
また人の心の中に住み着く、数多くの霊体と会話したり、その彼らを癒してあげたり、また高い位に上げてあげたり、そんな事もあまり難しい出来事ではないのです。
しかし、その様な能力を持っている人と出会った時、その能力の中から、未来をどう考えるか、もっと面白い考え方はないのか、興味は沢山、湧いてくると思われます。そして厄介な事は、そういった特殊能力と出会った時に、自分もそう成りたいと思う人が現れる事です。努力して成れるものではないのですが、ある程度までなら、要するに感性とか、そういった感覚的なものの鋭さを磨く事は、誰にでも出来る、しかしそういった教育を受ける場所がないのが現実なのです。
本来人間は、もっと未知的な能力を持っているはずです。ただ忘れてしまっているだけなのかもしれません。これからの未来は、そういった特殊能力を持った人達が、この日本という国の未来を、どう変えていくのか、もう話し合わなければいけない、そういった時期に来ているはずです。
能力を持った人達を、その力を、やはり必要とする時代がきたのではないでしょうか。
未来が未知数である限り、早くに知らなければいけない、それが今起こっている日本の危機です。
現在私達は、多くの不安を抱えながら毎日の生活を営んでいます。
その不安を誰かに話すと、それを優しく包み込んでくれる、一見優しい人々が現れてきます。不安を解消してくれる、そういった優しさの中に、人間関係の一つの法則が生まれてきます。必ずそこには、依存という法則が生まれ、それが心の安らぎとなった場合、ある種の宗教が生まれてくるのです。
そしてそこに沢山の人が集まった場合、開祖、要するに管理者としての権利を得ていくのです。逆に多くの人達に不安を与え、そして依存をさせ様とし、大きな団体を作っていく人達も沢山いるのです。
偶然に起こった現象を、あなたの意識がいけないのよといって、だからこうしなさいと、教える立場から管理する立場へ、そして依存を容認させてくるのです。
今の社会では、こういった現象がたくさん起こっています。しかし未来の地球では、こういった現象はもう必要ない時代に入るのです。そう全ての宗教が、いらなくなる時期がもうすぐやってきます。危機的な時を乗り越え、新しい未来が始まろうとしています。依存する事も、又それを管理する必要もなくなってきます。
なぜならばそこから利益が生まれてこない、そんな社会が作られようとしているのです。お金とか、地位とか、立場とか、そんな観念が、必要でない時代がもうすぐやってきます。今あるお金は、全て道具という形に置き換えられ、価値観を失いながら、現実のものとなっていくことでしょう。
株式的なことや、金利的なものが、そんなものがあるから価値観が変わってしまうのですが、一定の形で変化がない場合、それはただの道具に過ぎません。そこから何も生まれてこない時、始めてこの世の中は、安定した方向へと導かれるのです。沢山持っていても使う事の出来ない道具は、何の価値もないものとなることでしょう。上手く使うことが出来て、初めて道具は、価値を見出してくるのです。
そういった時代の中では、新しい意識や観念が生まれてきて、ある種の欲は消えてしまうのです。要するに金銭欲といったようなそんな欲も、独占欲といったそんな欲も、必要のない時代がやってきます。全ての人が平等であり、そして助け合い、誰からも利益を要求しない、そういった環境の中で、分かち合う意識が、人々の関係を非常に良いものにしていくのです。
だからこそ、依存することがなくなり、心のよりどころを求めなくなれば、もうそこには宗教は存在できないのです。死という世界も、明解にそれを受け止め、恐れる時代ではなくなってきます。病気というものも、そのもの全てを、ありのままに受け入れ、怖がる時代はもう終わるのです。
食料も平等に分け与えられ、労働も楽しみながら行う、そして人間関係は、非常に秩序の取れたものとなり、平等的な意識は何の不安もなくし、そして喜びとそういった未来に向かう楽しみの意識の中で、人々は暮らし始めてくるのです。この地球は、とても素晴らしく、身の回りには沢山の食べ物が存在し、そして動物達もその存在の中で、人間達ともっと友好的にその関係を保ち、食物連鎖という完璧な法則の中で、何一つ不自由の無い未来がそこにはあるのです。
これから始まるそういった環境の中で、人々の心は豊かさに満ち溢れ、優しさと温もりの中で安心という世界がそこから始まることでしょう。
もうすぐその日はやってきます。
選ばれた人達は、もうすでにその日の為の準備に入っています。出来るだけ多くの人が、そこに行ける様、望みたいと思います。