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この日本という国も大変素晴らしく繁栄し、世界一豊かな国といってもおかしくないでしょう。長い歴史の中でこんなにまで繁栄してきたこの日本という国も、今大きな転換期を迎えようとしています。
なぜならば、資本主義社会のその仕組みが変わろうとしています。需要と供給のバランスが崩れ、デフレに陥った社会は、物が安くなければ売れないという逆回転の中で、経済は非常に落ち込み、未来は中々見えにくいものになっています。
大手企業は日本から離れ、外国にその拠点を移し繁栄を遂げようとしていますが、この日本という国に残り、この国の中で生活していかなければいけない人々も沢山居るのです。
人件費が高くなった日本で物を作るより、人件費の安い国に行き物を作った方が、安く売る事が出来ます。今から2,30年前よりも、色んな商品が安くなりました。
経済が発展していった中で安い商品が、しかも沢山の量が売られる様になってきたのです。例えばパソコン一台例にとってみても、20年前と比べ値段は十分の一まで下がっています。しかも性能はもの凄く上がっているのです。
これは何を意味しているのかと当たり前の事ですが、日本で作っていないからこそ生まれてくる現象なのです。人件費の高い日本人は、企業としては成り立ちません。こういった経済の仕組みが少しずつ変わっていく中で私達日本人は、これから何をしたらいいのでしょうか。
今この様な状態で、外国で作られた商品、もちろん食品や、それに付随した様な物も含め、それを買い続けたならば、日本の中にあるお金が、沢山海外に出て行ってしまい、日本は貧乏国家になってしまうかもしれません。今そんな危険の中で私達は、より安い物を求め日常生活を営んでいるのですが、これではやはり経済は、行き詰まりを見せてしまう事になります。
今日本人に求められている物は、日本からお金が世界に出て行かない、その為には日本人が作り、日本の材料で作り、そして日本人が買う、これが出来れば日本から海外にお金は出て行きません。少し値段が高くても、日本の物を日本人が買う、今までの日本の成長は、日本で作った物を海外の人が買ってくれた為に、日本の経済が発展し、日本に沢山のお金が集まってきたのですが、今はそれもお伽話の様になってしまっています。
そしてこういった社会現象の中で、大学を卒業しても就職がないとか、給料がとても安いとか、そういった不満が沢山起こっているのではないでしょうか。もう、経済の仕組みは、海外にシフトしてしまったのです。
でも日本というこの素晴らしい国は、決してそんな事で衰えたりする事はありません。日本から海外に輸出する物が、まだまだ沢山あるのです。特に日本の農業は、世界一の技術を持っています。機械化とか、大量生産においてはアメリカには勝つ事はありませんが、品質とか見た目のきれいさといった点では、世界一の技術を持っているのが、日本のフルーツです。
日本は、これからフルーツ王国として、この優れた能力や技術を海外に持ち出さず、日本国内で美味しい果物を作り全世界に輸出する、そんな事が出来たならば、とても豊かになる可能性は多く含んでいるのです。
いよいよ日本は、農業王国として世界に名を轟かせる程の国と成るでしょう。この技術がある限り、又日本の立地条件も、四季がこの様に明快にあり、そして又、寒暖の差や、標高差、こういった環境からとても素晴らしい果物が作られてきます。この技術がある限り、そしてこれを上手く利用する事により、まだまだ発展する可能性があります。
経済の仕組みが、材料を輸入し加工して海外に販売する、そういった事から日本の大地を利用し、日本の特性を生かし、全てを日本で生産した、そういった商品を海外に売り出す、まだまだ日本は、素晴らしい大地を持っているのです。多少汚染されたとしても、それもさほど大きな問題ではなく、そんなに沢山の時間をかけずに、良い方向へと導かれると思います。
そういった、少しでも希望に満ちた現実がある事を忘れてはいけません。
日本は、世界一素晴らしい大地に恵まれているのです。
人はなぜ眠るのでしょうか。そしてどうして夢を見るのでしょうか。他の生命体は、この眠るという行為をしているのでしょうか。
確かに、魚釣りをする人がよく言います。魚の寝ている時間は、釣れないんだそうです。何時頃か聞いてみると、大体夜中の2時前後のように聞いています。果たして植物達は眠るのでしょうか。昼間きれいに咲いていた朝顔が、夕方になったらいつの間にか閉じている、そして又次の日、開いてくる、そんな現象も種類によっては見る事が出来ます。
地球環境の中で全ての生命体は、眠るという行為をしているのかもしれません。進化の過程において、同じ道をたどってきて動物達が生まれた様に、たぶん同じ情報のプログラムが、そこには存在しているのではないでしょうか。
地球上の生命体で、一番よく眠るのが猫だと言われています。なんと、20時間も眠り続けるんだそうです。確かにその様な気もしますが、人間も8時間睡眠が良いとか、7時間位が良いとか言われていますが、確かに眠る事が、とても大切な日常生活の一環でもあるのです。
ハチュウ類でさえも、眠っている姿を目にする事があります。もちろん昆虫達も、眠っている様なそんな印象を受ける事もあります。蛙も鳴き止む、そんな時間が真夜中にあったりします。確かに全ての生命体は、眠るという行為をしているのかもしれません。
ではなぜ、私達は眠るのでしょうか。人間にとってそれはどうなのかをその部分を追求してみると、どんなに食事でカロリーを摂っても、生命維持の中では、眠らなければ体の疲れは全く取れないといっていい程、眠る事によってどれ程癒されているのか、眠るという行為は非常に不可思議な現象を作り上げています。
神経も副交感神経に変わり、呼吸も穏やかになり、心臓すらゆっくり動き始めるのです。そして深い眠りと浅い眠りが交互にやってき、夢心地の中で脳を楽しませてくるのですが、その夢すらも、色んな環境や考えや想いにより、色々種類が有る事も今では分かってきています。
この様な行為が毎日繰り返される事が、生きる為の条件の中で必ず必要な出来事なのですが、夜眠る本能的なものと、昼間寝なければいけないという環境的な出来事の中で、世間でよく言われている現象で、昼寝ても夜眠る程疲れが取れないとも言われています。
鼻で呼吸をする人と口で呼吸をする人では、口で呼吸する人の方が寿命が短いというデータが出ているそうですが、夜眠る人と昼間寝なければいけない人では、体力への限界が大きく関わってくるとも言われています。やむお得ず昼間寝なければいけない人の方が、体力の限界がくるのが早いのかもしれません。
果たしてこの眠るという行為と、夜というこういった環境の中にどういったテーマが存在し、そこにどういう関係の中で、私達は夜眠る事になっているのでしょうか。確かにぐっすり眠った時は、気持ちが良く清々しい朝を迎える事は間違いありません。
夜眠っている間に、私達に何が起こっているのでしょうか。眠ってしまった瞬間からその時間が止まり、気が付くとうとうとした時間が記憶の中に留まり、深い眠りの時間は、記憶もその存在も全く感じる事が出来ません。まるでその時間が無かったかの如く、一瞬に過ぎ去っていくのです。
そんな中で私達の脳は、その記憶出来ない時間の中で、どういった行為を行っているのか、時間が存在しない究極の深い眠りの中で、一瞬というそういった時間の存在なのかもしれませんが、そこには逆に地球における私達の観念ではなく、眠っているその中に、宇宙を旅し、何億年もの歳月を過ごしている可能性すら実は考えられるのです。
時間的観念は、私達の中にある一つの法則と一日という時間の中に存在しますが、記憶できないそういった眠りの中でその時間は、もの凄く長いものでもあり一瞬のものでもあるのです。
その記憶の無い時間に私達の身体は、新しい時間への導きとして宇宙からくる沢山のエネルギーを受け取り、そして多くのプログラムも同時に受け取り、新しい時間へのスタートが始まってくるのです。夜眠る行為の中に、太陽の光に阻害されない宇宙から送られる大変素晴らしいプログラムが存在しているのです。
夜でなければ受け取れない、そういったエネルギーと情報の中で私達は生かされているのかもしれません。ただ眠るという単純な出来事の中に、非常に大きな生命維持という必要な時間が、存在している事は間違いないのです。
夜ぐっすり眠る事が、そしてその記憶の無い時間の中に私達は生かされている、その行為がその中にある事を知る必要があると思います。
なぜならば、新しい地球環境の中で新しいプログラムが、そこに発生しているそんな現実が、これから起こるからです。
自然の中に遊びに行き、野山の草やそして海草、私達人間にとって必要な物は全部、自然が与えてくれます。 この日本列島の中で、自然の中の大変大きな恵みに私達は、そこから得られる豊かさや裕福な営みの中で、沢山の得を得ているのです。山に行けば山菜が豊富に有り、野に行けば食べられる草が沢山有ります。そういった草の中や魚の中にも、毒を持っている物が有ります。中でも代表的な物が毒キノコではないでしょうか。キノコ図鑑を見ると、食べられるキノコとそうでないキノコ、要するにあまりにも毒キノコが多いのに驚かされます。 魚では有名なのは河豚(ふぐ)です。でもその河豚は、調理次第で逆に美味しく頂く事が出来ます。毒を持った蛇達も、蠍(さそり)であっても、調理次第で美味しく頂く事が出来るのですが、毒キノコはそうはいきません。天ぷらにしても、煮物にしても、毒キノコを食べると食中毒を起こしてしまいます。
もちろん、それ以外の草花の中でも特に有名なのがトリカブトですが、ここで一つ疑問に思う事があります。どうして彼らは毒を持ったのでしょうか。全ての植物は、毒を作る事はそんなに難しい出来事ではなかったはずなのに、動物達に食べられる様に進化してきました。
逆にメロンの様に、動物に食べてもらう為に甘くなったり、美味しそうな匂いまで出してきます。そのメロンの意図する事は、動物達に食べてもらい、出来るだけ遠くまで自分の子孫である種を運ばせようという目的があるからです。
もしそのメロンに神経があったとするならば、相当痛いのではないでしょうか。そこまでして、子孫繁栄の為に共存という世界を選んだという事は、それによって生かされる動物達にとって、なんと素晴らしい出来事なのでしょうか。
それに比べ、毒を持つそういった生命体は、特にここで疑問に思うのは、なぜ毒キノコはこんなに多いのでしょうか。
なぜ彼らは、こんなに毒を持ってしまったのでしょうか。
確かにキノコから言わせれば、動物達に食べられてもそこには何の利益も生まれてきません。彼らは胞子で子孫繁栄をしています。そして植物の死骸等に寄生し、そこに根をはり栄養分をとり育って生きているのです。確かに、食べられても何の意味もありません。
しかし毒を持って、その毒で一体何をしようとしているのでしょうか。
本能で生きる森の動物達は、毒キノコを食べる事はありません。誤食して食中毒を起こすのは人間だけです。 ある時新聞に、ブルーのきれいな花畑の写真が掲載されました。野原一面トリカブトが、咲き乱れていたのです。どうしてこの様な光景が現れたのかというと、野生の鹿が増え過ぎ、食べられる草は彼らが全部食べてしまい、残されたトリカブトが我が物顔で繁殖したからなのです。
生まれたばかりの赤ちゃん鹿も、このトリカブトを食べる事はありません。やはり他の山菜と間違え、食中毒を起こすのは人間だけなのです。
あの河豚でさえも、海の中の魚達がその河豚を食べ、食中毒を起こしたという話は聞いた事はありません。蜂達も毒針を持っていますが、攻撃をされなければ、むやみやたらに刺したりする事もありません。やはり一番多く刺されるのは人間達なのではないでしょうか。
自然界において、蛇の毒や、蜂の毒、又植物の毒、キノコの毒、この毒の攻撃を受けているのが、ほとんど人間達である事がここで浮き彫りになってきます。
いつ頃から人間達は、食べられる物と毒の物の判断を見失ってしまったのでしょうか。なぜ森の動物達は、誤食しないのでしょうか。こんな事を考えてくると、あまりにも人間達の愚かさが浮き彫りになってきます。
自然の中で生きようとしたならば、こういった事への関心をもっと多く持ち、間違った食べ方をしない様に本能的な気付きが必要なのです。私達がこと毒を見破る事が出来ない、こういった愚かな感性になってしまったその訳は、又彼らが毒を持ち、人間達を攻撃し始める事はいとも簡単なのかもしれません。
確かに毒の成分は、たかだかアミノ酸に過ぎません。その配列の仕方一つで、それはこういった毒になるのです。要するにもし彼らが人間を要らないと、そう認識したならばいつでも毒を持つ事は可能なのです。
貝類が突然毒を持ち、食べられなくなったという事件も起こっています。そんなところから考えてもそれは、非常に簡単な出来事なのではないでしょうか。自然界の中で共存していく為には、彼らとの関係もこれから重要視されてきます。
そして食べられる植物や魚達、そういった彼らとの関係も自然界の法則に則っているならば、これ以上悪い方向には進まないと思います。
食物連鎖、自然淘汰、全てが土に還るという意識の中で、人間の役割は大きいはずです。
失った能力を出来るだけ早く取り戻し、自然の中で生きられたら良いなと思います。