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最近良く起こるのですが、みなさんは、立ちくらみしませんか?
何か、話をしている最中にも、ふとしたときに、結構めまいを感じることが多くなりました。
ちょうど、病院で寝込んだとき、急に起きようとして、目の前が暗くなり、ふらついてしまい、頭の中の意識が、朦朧とするような、そんな現象の小さなことが、よく起こるようになりました。
放射能がばら撒かれ、そこから出る放射線が原因なのか考えて見ましたが、確かにそれもあるのかもしれません。
一年間、汚染されたものを食べてきました。
そして汚染された水を飲み、内部被爆はかなり進んでいるものと思われます。
このまま、大量に摂り続けていったならば、そこから出る放射線により、脳の中でなにか余りいい現象ではない、そういっためまいを持つ人たちが増えていくのかもしれません。
話をしている最中に、その現象は起こり、今何を話していたのか、その記憶が途切れてしまうのです。
ふらつくだけならいいんですが、何か地震の揺れを感じて、足がすくむこともあります。
何故このような現象が起こるのか、そこを考えた上で、原発の影響だけならば、もう少し違った意味で、今ここに新たに、もう一つの原因を探ってみると、それは50年前にさかのぼっていきます。
第二次世界大戦が終わり、この日本も、成長の一途を辿り、素晴らしい環境の中で今を迎えました。
飛行機に乗ったり、新幹線で移動したり、時間と距離が、確実に変化を遂げる中、人類は大いなる科学の中で、新しい世界を作り上げてきたのです。
遊園地に行き、初めて赤と青のフィルムの張られためがねをかけました。
そうすると、映像が飛び出してくるのです。
これはあくまで、脳の誤作動を利用した、画期的な遊びといえるでしょうが、そのあと、頭がふらつくのを覚えたものです。
去年はやった映画でも、そういった3D的な映像が多く見られました。
この現象により、二次元空間と三次元空間への区別が、非常に難しくなり、脳はきっと、悲鳴を上げていることでしょう。
また別の遊園地に行って、くるくる回るコーヒーカップに載ったり、ジェットコースターでループのようなものに遭遇した経験の中で、やはり、気を失うほどのめまいを感じたことがあります。
当然、吐き気もしたのですが、こんな経験が、いくつも重ねられ、この素晴らしく進化した地球環境の中で、私達の脳は、かつてないほどの経験をしたことでしょう。
そしてまた、耳には聞こえない、低周波や高周波、電磁波や磁力線、子どもの頃から健康診断で、レントゲンで胸部の写真を撮ってもらいました。
身体には感じなかった、そんな出来事が、脳の中ではどのような現象を起こしているのでしょうか。
ノン果汁のジュースや人口甘味料、そして、科学的に作られた味付けの中で、おいしいのかまずいのか、またその刺激が、脳にどのような影響を与えているのか、こんなことを考えると、今私達を取り巻く環境が、この脳というコンピュータに、どれだけの情報を記憶させ、また、不可思議な経験をさせ、今となっては、その取り返しのつかないほどの、莫大な情報量の中で、ついに脳は、めまいを発しているのかもしれません。
ふらつく意識の中で、ある種の音を聞きました。
なぜか東京タワーのそばの首都高を通ると、カーナビが狂いだすのです。
そんな現象が起こりましたが、何かそこに大きな原因があるのかもしれません。
新しい電波塔が建ちました。
確かに、それは素晴らしい結果をもたらしてくれるのかもしれませんが、私達の脳は、その音を実は聞いているのではないでしょうか。
耳と観念では、何の反応もしない、そういった音が、この頭蓋骨と、脳は捉えているのかもしれません。
逆にそのことを利用し、悪い方向へと物事を導くことができるとするならば、それは決して不可能なことではないといえるでしょう。
食料から環境、そして今回のような放射線事故、これらから発する、ある種特殊な周波数は、私達の脳をどのように変えていってしまったのでしょうか。
めまいだけで済むのならいいのですが、それが脳にどのような影響を与えていっているのか、しかし残念ながら、いくらそれを考えても、防御する方法がないのです。
いまひとつ、その音に対する新しい考え方の研究をしていますが、それはまだ、確定的なものとはいえないのです。
生体水や、脳髄の水が、ある種新しい力を持ったならば、そこをうまく解決することが出来るのかもしれません。
脳がその、新しい周波数の、そういった音を、ある種理解できる方向に、脳を導きながら、脳自身が、新しい時代を迎えようとしているのです。
その鍵は、脳の中にある、水が握っているのです。
瑪瑙化した木です。
今までこの宇宙空間で、一番早いとされてきたものが、光でした。
今宇宙空間の中で、距離を光の速さで表し、何万光年離れているとか、何億光年離れているとか、そんな単位でも使われています。
確かに光は、私達が捕まえることが出来ないほど速いスピードで、放出される光的エネルギーなのでしょう。
秒速約30万km、一秒間に、地球を7回半回ります。
そんなスピードで走る光を、捕まえることも、誘導することも、非常に難しいと思われてきましたが、現在の科学は、それを非常にうまく利用し、光に情報を載せながら、私達の電話回線すらも、また、コンピューターも、そのスピードの中でうまく融合しあいながら、その利用に成功しているのが、光といえるでしょう。
その光の、影を利用しながら、陰と陽であり、また明と暗であり、CDもDVDもみな、光をうまく利用しながら、この地球の科学は大変素晴らしいものとなってきました。
光の捉え方を、このように科学はうまく利用し、今私達に、大いなる恩恵をもたらしてくれています。
この、光的な現象を、科学の面で使う上では、これからも大変素晴らしいものといえるでしょう。
ただしこの光を、あくまで科学的に捉えたときに限りますが、最近多く見られるのが、なになにの光とか、というような、光という言葉を使った、宗教的な考え方の中に光を取り入れてしまった考え方が、非常に多く見受けられます。
光ファイバーのように、そこを通す素材と、そこを通さず反射する素材の中で、光を感じたときに反応する素材との中で、コンピュータやそういった科学は使われていますが、人間の意識や、人間の思いが、光という言葉に変えてしまったならば、非常に大きな矛盾を抱え込むことになります。
光を下ろすなどと、そういった考え方もありますが、確かに光を得ることは素晴らしいことと言えますが、それが個人的であれば、その光は逆に何の意味も持たないことになってしまいます。
この大宇宙における光的観念は、全ての生命体にとって、絶対的な条件が一つあります。
それは、無限であり、平等であり、差別や区別がないことです。
特殊な人が、限られた人に、それを分け与えるなど、あってはならないことなのです。
この平等な光の中に包まれ、全ての命はそこから、たくさんのエネルギーと、また、生きるための法則を学んでいます。
しかしながら、この自然界における光という観念は、明るさや熱を、含みながら、私達に恩恵をもたらしてくれています。
でもこの大宇宙でそれを考えたならば、光という存在は、実は非常に小さな存在であり、夜空を見上げたときに、星が輝いています。
暗闇に対する、光のパーセンテージは、1%にも満たないことが、もうわかっていただけたと思います。
光の中で行われた大いなる間違いは、その1%にも満たない光の中で解決しようとすると、スペース的にもメモリー的にも、それは有効的な方法とはいえません。
確かに、光がなければ、生命はこの地球でうまく生きることはできないのかもしれませんが、光のない深海で、沢山の生命体が生きていることが、最近では発見されています。
光の届かないところに、大いなる命も存在しているのです。
霊的に光を捉えたとき、光という言葉よりも、実は反光という意識の方が、非常に大きな存在なのです。
光は輝きを持っていて、とても美しく、人々を照らしてくれます。
ゴールドがもし、黄金色に輝かなかったら、仮に光がなかったとしたら、この今の存在感は、見出すことはできなかったでしょう。
大きな仏像に金箔を貼り、光と金のコントラストは、とても人々を魅了させたことでしょう。
しかし、大宇宙の意識は、その1%にも満たない光の中に存在しているわけではありません。
逆に、光のないところに、真実のそういった意識が存在し、永遠に変わることなく、その存在は持続性を持ち、私達に安らぎや、心地よさ、大いなる眠りを与えてくれています。
眠りの中で得られた、暗闇における、エネルギーの回復と安らぎは、非常に私達の日常生活に大きく関わっています。
夜があるからこそ、私達は生きられるのです。
暗闇が、悪という存在ではないのです。
それを恐れることはありません。
真実の意識は、暗闇の中に存在します。
光に惑わされないで下さい。
魅了される心は、欲の世界を脱出することは出来ません。
暗闇に意識を委ね、そこから新しい意識を、発生させてください。
光のない世界こそ、私達がこれから、その認識を変えることにより、新しい感覚を、逆に言ったならば、本来そこが、私達の意識の根源であり、原点なのです。
今回この、日本列島は、大変大きな災害に見舞われました。
福島県における、原子力発電所の事故は、かつて人類が経験したことがないほどの、新しい現象をもたらしてくれることでしょう。
その経験の中から、何を求め、どう生きるのかが、今問われているのです。
当然、原子力というエネルギーは、もう二度と人間は使ってはいけません。
何故ならば、この手で触ることのできない、また制御不可能な、高エネルギー体について、私達はそれを理解することなく、使い続けた結果、神に背く大きな罪を背負ったのです。
この罪の中で、今後どう生きていくのか、これは日本だけではなく、世界の大きな問題となることでしょう。
人間が使ってはいけないエネルギーに手を出し、一部の科学者達のエゴの中で、現実が存在し、そして豊かさは、人に夢と希望を与えてきましたが、環境という、この変化についていくことが出来ない私達は、今何をしていいのか、今後どう生きていっていいのか、はたして、この日本は、安全な国なのか、未来における生き方の全てが、問われているのです。
正直言って、神に背いた人間達は、その大いなる罰を受けるべきです。
みんなが望むから、こんな社会になったことは言うまでもありません。
要するに、批判できるのは、国や科学者や政治家ではありません。
何故ならば、全てを私達が望んだからなのです。
要するに、批判すべき行為は、おのれの中に存在し、自分を責めることが、正しい解釈の方向といえるでしょう。
私達一人ひとりが加害者であり、そしてまた、被害者でもあるのです。
しかし、これからの未来を考えた上で、愚痴を言っていても、何の意味もありません。
この日本という国の中で、これから私達は生きていかなければいけません。
2012年12月に、人類が滅亡するなら、何の問題もないことでしょう。
しかし、神はそんなに優しく、人間達を許してはくれません。
大いなる苦しみと悲しみを、とことん味あわせてくれることでしょう。
それは残酷な行為ではなく、私達が気付くためには、必要な行為といえるでしょう。
今まで、何故私達は気づかなかったのでしょうか。
神からの、罰を受けることにより、今度こそ気付かなければいけません。
地球に住む生命体の中で、突出した大ばか者が人間なのです。
何故自分の住む、この地球を壊そうとするのでしょうか。
自然界の法則を無視し、何の得にもならない、結果的に破壊された未来を、いつ誰が想像したことでしょうか。
しかしながら神は、私達に、大いなるチャンスも与えてくれています。
この悪化した環境の中で、その日常生活における適合性と、そして生きようとするその大いなる力は、新しい環境の中で、その適合を見出し、未来へと歩んでいくことでしょう。
この放射能に汚染された大気や大地、そして、食料の中で、今後私達は、生きる限りそれを食べ続けなければいけません。
逆に言ったならば、この地球における生命体の能力は、新しい時代を迎えようとしているのかもしれません。
地球が出来た、40億年も前の環境の中で、今と比べたら、比べ物にならないほどの、悪条件の中で、生命は誕生しました。
濃硫酸の雨が降る中で、生命は誕生してきたのです。
いや、逆に、それを利用しようとし、突拍子もない考えの中で、環境に適合してきたのです。
今の地球を見る限り、当時の地球からは想像もできないほど、多くの生命体と、また、過去の経験を持った、そういった生命体が、この大異変の中で新しいチャンスを手にすることでしょう。
どのくらいの時間がかかるかはわかりません。
少なくとも、三世代目には、この環境に適合し、新しく人類は生まれ変わることでしょう。
その備わった能力と、逆にそれを利用しようとする能力が、この環境をより過ごしやすい方向へと導いていくことでしょう。
全ての生命体は、同じ環境の中で生きています。
人間だけが苦しいのではありません。
真っ先に進化を遂げるのが、微生物といえるでしょう。
要するに、放射能を食べる微生物達が、この環境を変え、そして植物達が、全てを浄化の方向へと導き、大地はその大いなる環境を飲み込みながら、全ての命が平等に生きる方向を模索していくことでしょう。
決して私達は見捨てられたわけではありません。
地球という、この大いなる、自然環境を浄化する、その能力の全ては、この地球のプログラムに、確実に組み込まれていくのです。
環境への適合性は、決して楽な道とはいえませんが、必ず適合し、未来は存在します。
人間としての、この誇りを持った生き方が、もう一度やってくることは間違いないのです。
だからこそ、今私達は変わろうとしています。
新しいエネルギーの元で、全ての命と共存し、未来を構築していかなければいけないのです。
ビックバンから始まった大宇宙は、まだ私達の科学の理解がほんの1%にも満たない中で、現実があるのです。
宇宙に果てがなかったり、あまりにも遠い距離の中で、この莫大な宇宙空間の中に、本当にちっちゃな地球が、私達の住むこの環境が、そこに存在しているのです。
宇宙から見たら、ほんのわずかなスペースに過ぎませんが、地球に住む私達から見たら、ここが全てであり、非常に大きな存在であることも間違いありません。
ブラックホールのことも、超新星のことも、まだまだ未知的な存在であり、宇宙空間における、素粒子や、また太陽の現象すらも、ほとんどが解明されていないのが現実なのです。
太陽系、銀河の端にある、たった一つの恒星の周りに、2万もの子ども達が存在し、そこをぐるぐる回りながら、何の関係をどのように持つかなど、全く理解のない中で、お互いの存在があるのです。
相対性理論は、確かに地球の位置や宇宙における立場の計算式としては、有効的に利用されているとしても、それはあくまで理論の中であり、私達の現実に、さほど大きな影響を与えているとは考えられません。
そんなことより、現実の中で、地球に、そして大地に、足をつけ、天を仰いだとき、地球って素晴らしいな、地球って大きいなと、そして、何の不安もなく、地球が回っているということにも、そして、太陽の周りを一年かけて回っていることも、観念や理論の中では理解できていても、この日本でいうならば、季節があって、昼と夜があって、当然、地球の周りを逆に太陽が回っているというような感覚で、一日を過ごしています。
誰もが地球自身が回っているという感覚よりも、東の空から太陽が昇ってきて、西の空に太陽が沈んでいくと考えることでしょう。
夕焼けがきれいに見えたら、それはそれでよしにして、朝日が昇るのを、特に正月の日は、ご来光という言葉を使い、要するに向こうからやってきたということになってきますが、実は地球が回転し、太陽の光を受ける方向に回り、太陽の光を失う方向に回り、そして一日が繰り返され、そこに月が関与しながら、いろんな関係をもたらし、生きていることなのです。
現実と宇宙空間で行われるその方向性との中で、我々の観念がいかに観念に過ぎないか、理解されたことでしょう。
自分中心に物事を考え、だからこそ、日が昇るという言葉を使うのです。
本来は太陽系である以上、太陽を中心に物事を考えなければいけないのですが、地球に住む我々は常に地球を中心に物事を考えます。
これは当たり前のことです。
地動説を唱えて、刑務所に入れられた人もいます。
地球が回るということは、当時そんなことを言ったならば、犯罪になったのでしょう。
その裁判記録が、ヴァチカンの中に存在し、初めて公開されるという話を聞きました。
どうでもいいことなのですが、観念と現実、そして宇宙空間における現象の違いが、こういった結果をもたらしていることは間違いないのです。
宇宙空間から見たら、地球は大気のど真ん中に浮いています。
卵の中で、黄身が真ん中にあるようなものなのでしょうか。
地球にいたら心配にならないことが、宇宙から地球を見たら、どっちが上なのか下なのか、そして大気のど真ん中に、何故地球は浮いていられるのでしょうか?
そんなことを考えると、本当にこの宇宙の現象が、まだまだ不可思議なことに気付きます。
それなのに、アセンションとか、高次元化とか、何かそういった観念から見たならば、理解することが不可能なほど、未知的な現象のように思われます。
まずは三次元の中に起こる、この宇宙と地球の関係の中で、その理解がなされない中で、新しい意識の世界を築き上げることが何の意味を持つのか、全くわからなくなってしまいます。
太陽と地球と月の関係すら、目の前に起こる現実はわかっていても、宇宙から見たその現実は、立場が全く違うことに、今更気付くのです。
そしてこの大きなエネルギー帯の中で、何故、どうしてといった疑問が数多く残される中で、それを無視した方向に進むことは、答えのない世界から、答えのない世界に行くようなもので、逆に言ったら、言葉遊びに過ぎないのです。
人の意識をもてあそびながら、言葉だけが独り歩きし、現実を見ようとせず、答えのない世界に答えを求めていることに、矛盾を感じることなく、一体何をしているのでしょうか。
大切なことは、今という現実を、もう少しだけ幅広く理解してから、未来の方向性を考えてみてはいかがでしょうか?