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マトリックスという映画を見たことがあります。
夢の世界で、現実が繰り広げられ、眠りに入ることにより、意識が向こう側の世界に行き、その非現実との中で、さも現実が存在するかのように動き回り、どちらが本物の現実か解らなくなるような世界があります。
確かに私達が今住むこの社会も、そういった面から見たら、非現実の世界なのかもしれません。
次元とか、時間とか、元素とか、電子とか、そういった類の世界から今の現実を見たならば、存在しているもの全てがバーチャル的な観念であっても、何の不思議もないのです。
何故ならば、一個の細胞は、1000億個の原子の塊であり、その原子は、陽子や電子や中性子で出来ていて、しかも、スピン運動を繰り返し、要するに、くっついたり離れたりしながら、その電子の数を共有し、現実という物質社会を作り上げているに過ぎないからです。
くっついているときは物質であり、離れているときは、単なる原子に過ぎません。
ものすごいスピードの中でそれは繰り広げられ、細胞一つが、あったりなかったり、そんな現実を繰り返しているのです。
映画で言う、コマとコマの間の、その時間が読み取れないように、あの映画のフィルムを見たとき、一つ一つがコマであり、それが強制的に、明滅する光の中に置かれたとき、動いているように見えるのです。
一つ一つのコマは、単なる現象であり、そこには何のエネルギーも存在していません。
ましてや、コマとコマとの間は、無であり、空(くう)であります。
よって、そこには何も存在していないのです。
私達が今生活しているこの現実も、あの映画のフィルムと同じように、時間との中で、その繋ぎが動き回ることにより、エネルギーが発生し、物質化という社会が出来ていますが、元々この大宇宙は、ほとんど何もないところから始まりました。
小さな音が、この宇宙空間を響き渡り、その共振と共鳴の中で、新しいエネルギーが生まれ、二つ以上の物質が触れ合うことにより、必ず電気は発電されるのです。
発電された、電子的なエネルギーは、いくつも重なり合いながら、新しい質量を持ち始めます。
ただ質量の違いだけで、元素に番号が付けられたに過ぎません。
その付けられた元素に、有機物的な融合の法則の中で、生命は形付けられ、生命以外の物質も、単なる電子や陽子の融合性の中で、質量を変えながら、物質という世界に君臨しているに過ぎないのです。
たかだか電子や陽子や中性子の数が違うだけで、元素が変わっていくように、この大宇宙の中で作られる全てのものは、初めから存在していない、バーチャルの現象の中に置かれているのです。
しかしそれを、有効的に把握し、みんなが同じ思いでそれを認識する方法として、絶対的に必要なことが、情報の共有化なのです。
全ての物質や、全ての命が、この宇宙空間における情報を共有することにより、そのバーチャル的な存在を、現実として、認識することが出来るのです。
もしここに、情報の共有化がなかったとしたならば、自分そのものも、この現実に存在しないものとなってしまいます。
緻密に計算され、電子と情報の関係の中で、そのものを組み立てられ、そして情報を共有しながら、物質社会は作られていったのです。
全てが元素に戻り、そしてまた、新しい存在となることでしょう。
それは、この地球で起こる、当たり前の現象であり、この大宇宙もその法則には変わりはないのです。
ものが燃えたり、ものが腐ったり、目の前にあったものが、消えていきます。
有ったはずのものが、なくなるのです。
かといって、どこかに行ってしまうわけではありません。
物質が気体となり、また液体となり、情報を共有しながら、物質という社会は出来上がり、やがてそれは、また気体へと消えていきます。
繰り返される現実の中で、有機物的な存在と、無機物的な存在、固体的な存在と、気体的な存在、そして、液体的な存在、物質はいつも形を変えることができます。
そして、それは新しい形で組み立てられることになるのです。
地球に起こる全ての現象は、この現実が抱える、元素の存在の中に、それは大きく関与されているのです。
その元素も、電子の塊である以上、いとも簡単に組み立てられることは、理解することに無理はないでしょう。
全てがバーチャルの上に成り立つ現象であり、そして、元素により作り出された、この現実社会は、電子から見たならば、そして陽子や中性子から見たならば、全く物質として存在していない、ある種のエネルギーの渦に過ぎないのです。
この大宇宙はそんな現象の中に存在し、私達はその中で、今日も生きているのです。
日本には、いくつもの地底湖があります。
代表的なので言ったならば、群馬県のある地域にある地底湖、また、京都には、その地下に大きな地底湖が眠ると言われています。
日本中少なくとも、大小合わせ50以上の地底湖が存在しています。
そこには多くの水が蓄えられ、危機的なときに利用できるように保たれています。
鍾乳洞があちこちにあるように、あれは石灰岩が溶け出し、できた洞窟に過ぎませんが、岩盤の下に、石灰岩ではなく、非常に固い岩に囲まれ、地底湖は確実に、その存在を表しています。
ある地底湖に意識を投影してみました。
その地底湖の底に、大都市があった形跡が見えるのです。
やはり、オーストラリアのアボリジニ達のように、地底民族は存在していたのでしょう。
人口太陽は、さほど難しい技術ではなく作られてきます。
発電能力は、磁気を使えばいとも簡単に作られます。
明るさと熱源と、そこに空気が存在し、逆に太陽の暴走から備え、安定した環境の中で生活できるのは、地底に限るのです。
一年中温度は安定し、マグマをうまく利用すれば、生活は快適なものとなることでしょう。
多くを望まなければ、そこで豊かな生活が出来るに違いありません。
かつてこの日本でも、そういった太陽の大異変に備え、そのプログラムは、地底湖という形で今に至っています。
この素晴らしい科学を、もう一度蘇らせることが出来るなら、氷河期を乗り越えることなど、さほど難しいことではないのです。
地上だけが人間が住む世界ではありません。
何故ならば、植物達は必ずといっていいほど地底に根を伸ばし、そこで生活の一部を築き上げているからです。
今の私達は、地上と宇宙へと、気は焦りながらも、未来の不安を隠しきれず、今現実の中で、生き続けていますが、地底への記憶は、必ず蘇るはずです。
もうすでに、アボリジニ達は、地底大都市の建設へと動き始めたといわれています。
この日本においても、それは決して不可能なことではありません。
東京都の地下を見ても、見事なまでに張り巡らされた、あの地下鉄の中で、一つの大都市が作られようとしています。
やがて起こる、核戦争が現実のものとなったとき、そこから逃れるすべは、地底という環境の中でしか、有効性を持たないのです。
地底での生活は、いともたやすく営まれることは、さほど難しい技術ではないのです。
今、私達が持っている科学を使えば、それだけで十分可能な方法なのです。
植物達は人工的に栽培され、今、ビルの中で、その現象を見ることが出来ますが、地底も同じ形で、それは存在していくのです。
環境が安定し、気候が安定し、そして、地上のように、台風や大雪に見舞われたり、砂漠化が進んだり、干ばつや大洪水に見舞われることなどないのです。
地底での環境を豊かにしていくならば、そういった気象に左右されることなく、この地球でうまく生きていくことは、それほど難しいことではないでしょう。
しかしそこにおける限界は、高さということになります。
地球の重力に反するように、高くそびえる樹達は、地上でしかその能力を発揮することは出来ません。
生命のプログラムの中で、地上で生活することが基本的には正しいのかもしれませんが、これから迎える危機的な中では、地底という有効性を否定することは出来ません。
その地底の中で、環境を整えることはさほど難しくはない方法として、空気があります。
そして、私達には、もちろん植物もそうですが、絶対的に必要なものは酸素です。
大気中でも、約20%しか存在していませんので、地底の中でそのくらいの酸素を供給することは、たやすく出来ることでしょう。
何故ならば、地球において、酸素というものは最も多く存在する元素の一つなのです。
ただしそれは、酸素との化合物という形で存在しています。
皆さんももうわかるように、あのバミューダ海域の底には、二酸化炭素の大いなる層があります。
ドライアイスが、あの海の底に、莫大な量として存在しているのです。
そこを考えたならば、この地球は、何と豊かな元素の持ち主なのでしょうか。
酸素を供給する方法、また二酸化炭素から酸素を取り出し、燃焼させて二酸化炭素とする、この酸化物を酸素という単体に還元させることは、非常に簡単にできる科学の一つであります。
酸化物に囲まれた、この地球は、そういった面では、どこで生きるのも、そう難しいことではないのです。
後必要なのは光と熱と、食料ということになりますので、それを育て、確保することも、光という、要するに人口太陽が作られれば、それで済むし、また鏡という世界をうまく利用すれば、今の太陽の、質量を調整しながら、うまくそれと付き合うことも、不可能なことはないでしょう。
そういった面から、過去における地底湖が、大都市であったという仮設は、非常に大きな将来への希望となることでしょう。
かつて地球上に起こった全ての文明は、同じ過ちを繰り返しながら、未来を見ることなく滅んでいきました。
何故、同じ過ちを繰り返すのでしょうか。
一体人間という生き物は、どんな生き方を望み、どこに向かって生きていくのでしょうか。
どんなに優れた文明も、過去の長物となり、あの科学や技術は、未来へと継承されることはありませんでした。
今になってみたら、とてももったいなく、残念な出来事が、余りにも多すぎることに気付きます。
考古学者達は、ピラミッドや、古い遺跡を調べながら、ロマンに満ちていることと思いますが、あの技術やそういった能力は、もし未来に確実に継承されたならば、素晴らしかったに違いありません。
しかし結果は、必ず同じ結末を迎えます。
人間の欲望にはきりがなく、次から次へと、欲をかき続けます。
いい欲ならば、どんなにかいてもかまわないのですが、必ず科学が到達するその地点は、神の領域を越え、破壊の法則へと結びついていってしまうのです。
科学が到達する、その未来は、確実に破壊の方向へと向かってしまうことが、とても残念でなりません。
何故、神の領域を越えてまでも、豊かさや便利さを求めるのでしょうか。
この地球で生きる、全ての生命体は、この地球の環境の中から生まれ、そしてこの環境があるからこそ、豊かな生活が営めるのです。
自然に還ろうと、今多くの人が望んでいます。
大都市に集まり、大騒ぎした時代も、もう終わろうとしています。
そこには何もないからです。
やはり私達は、自然というものを、もう一度深く理解し、本能的には、そこに戻ろうとしています。
しかし、繰り返される過ちの中で、一旦は自然に還ろうとしますが、やがてその中で人間達は、過去の優れた記憶を思い出すのです。
この地球上に起こった五つの文明は、年代を越え現代となっていますが、一番古い文明は、20億年以上前から存在し、この地球で繰り返された出来事は、私達の遺伝子にも書き込まれているのです。
地球における自然現象の中で、もちろん太陽や月との関係の中で、新しい文明が生まれ、そして豊かな生活が営まれました。
最も優れていた文明は、あの6500万年前の、極めて危機的な出来事の、その近辺まで続いていたことは間違いないのです。
今は、化石でしか、過去を振り返ることは出来ません。
優れたオーパーツ達も、過去を知る手がかりではありますが、極めて数が少ないのです。
化石を調べた上で、共有社会が、かなり豊かな時代であったことは間違いありません。
石炭や石油が出来た時代、また、恐竜達が豊かな生活をしていた時代、そこに優れた能力を持った人間達が、共存していたことは間違いないのです。
しかしながら、その証拠が残っていません。
何故ならば、大きさの違いにより、そして地殻変動により、また逆に、あたかもそれを隠すかのように消え去っていた文明が、そこには存在しているからです。
もっと解りやすくいうと、その優れた文明社会は、大いなる過ちを犯し、未来の人々がそこに進まぬよう、すべての科学を破壊し、記憶という世界から、その存在を消していってしまったのです。
しかし、この方法は、余り有効的ではなかったのです。
何故ならば、神々達が作り上げた遺伝子という記憶装置が、いくらそのファイルネームを消したところで、書き込まれた情報を消すことは、完全に不可能な出来事だったからです。
記憶の奥底の中で、突然その記憶は蘇り、新しい発明という言葉で、過ちは繰り返されていたのです。
必ず科学者達は、そのいく通りかの組み合わせの中から、遺伝子の経験に基づき、科学という世界を確立していくのです。
この消せなかった記憶は、どうすることもできません。
よって、必ず過ちは繰り返されることになるのです。
この私達の遺伝子における、この驚異的な情報に関する、有利性を持った出来事は、今の科学をもっても、ましてや過去における優れた文明の中でも、その記憶を消し去ることは出来なかったのです。
よって、今起ころうとしている現象も、過去の経験から見たならば、当たり前の現象であり、この破壊されようとする自然環境を元に戻すことは、これ以上の破壊を繰り返すことにより、それは可能となるのです。
要するに、過去の経験から言うと、全てを終わらせることが、最終目的となります。
今持つ科学兵器や、そういった類のものすべてを、使い切ることから始まるのです。
要するに、全てを破壊しなければ、新しい未来は生まれてこないのです。
今、起こっているこの文明社会は、必ず同じことをするでしょう。
他に方法がないことを、遺伝子の記憶は知っているからです。
一つ残された可能性は、この豊かな地球が、もう一度、命という社会を、作り出すことでしょう。
その可能性は、ものすごく多く秘められているのです。
必ず、歴史は繰り返されます。
何度繰り返しても、結果は同じ事となるでしょう。
しかしながら今回起こる現象は、そうとは限りません。
何故ならば、神々達は、新しいプログラムを、光のラインに乗せ、この地球に降り注いできてくれているからです。
早くそのプログラムを受け取ってください。
新しいプログラムは、もう発動されているのです。
平安杉
よく言われている考え方の中で、私達は生まれる前に神々と約束し、生まれたら誰々と会い、そしてそのような生活をするよう、こと細かく計画を立て、神々達にその計画書を提出し、その許可をもらった人達がこの世に生まれてくるという、そういった考え方も存在していました。
確かに、絶対的に否定できるような考えではないのですが、いくつかの疑問が生まれてしまいます。
そして人との出会いの中で、人々は、その必要性の中で、ソウルメイトという言葉を使います。
魂の出会いと考える人達もたくさんいるのです。
確かにそのように、私達の意識は、生まれる前からの情報や記憶を持つことがよくあります。
特に遺伝子は、両親から子へと継承され、情報と記憶は未来の子ども達へと受け継がれていくことも事実であります。
こういった中で、意識的な世界で、神々との約束を語るのではなく、ここではもう少し現実的に、遺伝子学レベルで神々との約束を語ってみたいと思います。
私達の遺伝子の中には、記憶装置と設計図が同居しながら存在し、しかもそこに、エネルギーが関与することにより、組立工場が機能し始め、全ての形を作り上げていきます。
この、遺伝子が持つ驚異的な力は、現在の人間達の考える科学では、到底想像することができず、はるかに超えた科学が存在しています。
遺伝子とエネルギーが、その形を作り出し、物質を融合させながら、そのエネルギーをいとも簡単に操り、そういった中で私達人間も、あの小さな卵子や精子から、今という自分に成長し、そしてここに存在が確定してくるのです。
遺伝子達の考え方や、彼らの方向性、そして生き様が、この地球における全ての生命体を管理し、形作っていることはいうまでもありません。
この遺伝子達が、どうこの地球で生きていくのか、そして遺伝子達同士が、どう触れ合うのか、彼らの情報を交換するシステムは、我々の持つ電子的なネットワークシステムをはるかに超え、自然環境の中で、そのネットワークは、計り知れないほどの莫大な情報を管理し、この地球を含む宇宙環境を、そしてそれらが持つエネルギーの法則さえも、有効に使いながら、現実を作り上げているのです。
もし神々達が本当の力を示すとするならば、設計図と記憶が、物質化という現象の中で組み立てられていく、この莫大な情報量とエネルギーが、そして緻密に計算された方向性が、神々達が作り上げた最大なる芸術作品と、絶賛することが出来るでしょう。
これほどまでに見事に作り上げられた、命のプログラムの中に、遺伝子達は、神々との約束を明快に果たし、その約束通りに進化し、新しい形へと命を生み出していくのです。
繰り返されるプログラムの中に、新しい情報を記憶し、常にこの地球で、この地球に絡む、情報やエネルギーを記憶し、そして継承していくのです。
これほどまでに見事な世界は、人間の科学で計算することは到底無理であり、人間は自分の身体の中にある、遺伝子の能力を超えることは出来ないのです。
何故ならば、遺伝子は人間を作り上げ、人間は遺伝子を作り上げていないからです。
この神々との大いに緻密性に富んだプログラムは、遺伝子達がそれを守ろうとする意識がある以上、この地球は、必ず蘇ることでしょう。
植物が持つ浄化システムや、微生物が持つこの驚異的な環境保全システムは、私達の科学では、全く想像することができないほどの、そういったプログラムを、そして神々との約束の中で果たされる、環境保全プログラムは、今、こういった危機的な中でも、確実に動き、そして、環境を新しい方向へと、改善し続けているのです。
この遺伝子における神々の約束のプログラムは、この大宇宙が、法則に則り動き回り、そしてその法則に従い、エネルギーと物質は、その意図する方向へ管理されながら、形付けられていくのです。
生命体というプログラムは、それらの中で、その全ての環境を理解し、その理解した環境の中で、進化という方向に身を委ね、今という現実を生き抜いていくのです。
この約束を変えてはいけない。
守り抜いたからこそ、この豊かな地球は、彩りを見せてきたのです。
私達人間は、命という、極めて驚異的な能力を持った生命体が、神々との約束の中で果たしてきた現実を、破壊する方向へと動いているのです。
この約束を破ったときの、人間へのしっぺ返しは、計り知れないものがあるでしょう。
その恐怖に、もうすぐ出会うのです。
すでに手遅れになってしまった現実は、もう取り返しのつかない、この社会の中で、それでも人間は、生きていかなければならないのです。