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私達人間にとって、一番の不安は、未来がわからないことであります。
もし未来がわかっていたならば、つまらない人生だという人もいるかもしれませんが、そのライフスタイルの全てではなく、危機的なことへの安心感や、不安を回避する方法、また、結果がどうなっているかという疑問を早くに見ることが出来たならば、非常に有効的な生き方が出来るのかもしれません。
人生において未来の選択は、幾通りもの方法があり、どれを選ぶかは自由ですから、未来を知ることで、人生の全てが決まってくることはありません。
あくまで、自由に選択する権利は残っているのです。
しかしここで言う未来の不安とは、自分に起こる様々な現象や、また、環境問題においての危機的な現象や、もちろんその中には天変地異や、大いなる大異変や、また異常気象等における難題も、抱え込んでいることは間違いありません。
人類に降りかかる現象と、また個人が抱え込んでしまう現象との間には、大きな隔たりが存在しないのです。
未来のストーリーがある程度決められた中で、人類は、一方向へと向かい、その方向性の中で起こる様々な出来事が、一つの不安を作っているに過ぎないのです。

そんな中で、少しだけでも未来を先に知ることが出来たならば、自分における様々な現象の中で、回避する方法が見つかってくるのです。
前に述べたように、時間軸が縦軸になったという話をしましたが、今まさにそういった時代がやってきています。
要するに、今の全てを知ることが出来れば、未来に起こる現象のほとんどが、理解される範囲の中で見えてくるのです。
過去+未来=今という定義付けの中で考えたならば、この今の中に、実は、未来を知る全ての材料が存在し、もちろんその中には、自然現象もあり、神々からの警告も存在しています。
人間達が犯した過去の罪が、その結果を出す日がやってきたということになるのです。
異常な開発により、また地球温暖化や、環境破壊、そこに予測できる、太陽の変化や、地球の膨張や、修復により、過去のデータの中に、地震等も予知できる、その教えは存在しているのです。
過去の歴史を全て調べれば、そこに時間とエネルギーの関係と少しだけの予測が、未来の不安と起こりうる現象を回避できる、そういった現実が存在しているのです。
今を知ることが、そして過去を追及することが、未来を見るための絶対的な条件となっているのです。
未来とは、今の積み重ねであり、存在しない現象の一つなのです。
何故ならば、私達は未来に行くことは出来ません。
霊的な現象や、意識的な現象の中でも、未来という時間的観念は、あくまで観念であり、今という時間の延長線上にあるわけだから未来があるのではなく、未来は作られる世界であり、未来的な時間は、常に想像性の中にしか存在しないのです。
未来の自分がああなっているとか、未来の地球がこうなっているとか言う問題は、あくまで今をどう生きるかにより、定義付けられてくるのです。
要するに、未来という絶対的な存在は、そこにはないのです。

未来があるから、という考え方が、今という時間を粗末にし、明日があるからという考え方が、今日を無駄に過ごす結果をもたらしてくるのです。
未来は存在してはいません。
今という時間が、長く伸びていくに過ぎないのです。
そして作り上げられるものは全て、過去という結果になってきます。
要するに、未来は今を表し、今が未来なのです。
そして、この今の時間の積み重ねが未来であるならば、回避する問題は、その答えは、今の中にしかないのです。
天変地異や大災害、人間達に関わらない問題であっても、過去を調べ上げたならば、決して予測は不可能なものではありません。
未来が永遠に続き、その存在を一つの定義付けにおいたならば、今という時間の定義をなくしてしまいます。
要するに、今というのは、瞬間の値であり、そこに持続性が存在するわけではないのです。
あくまで時間は動いています。
常に今という時間が動き続け、未来という方向性が決められているに過ぎないのです。
未来を知ることは、本当に私達にとって大切であり、その本質のために今がありますが、存在しない未来と不安は、実は今の中に存在していることを認識するだけで、未来をいとも簡単に知ることが出来るのです。
今のこの時間の中に、全ての未来が存在し、予測することにより、生き方として定まってくるのです。
誰もが、未来を先に知ることが出来るはずなのです。
推測と予測の中で、そこに現実を照らし合わせ、今をどう生きるかが、未来の全てを確定する、絶対的な条件なのです。

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大地震や異常気象、また太陽の異変…。
21世紀を迎え、様々な現象が起きています。
自然現象だけでも、理解を超えるほどの大異変を巻き起こすほど大きなものがたくさんありました。
また人間が侵した罪の中に、地球温暖化や、環境の汚染、挙げたらきりがないほど、著しい変化の中で今を迎えています。
大干ばつや大洪水、そして、今年は大雪に見舞われ、北極圏に住む人たちは、大変なときを迎えています。
氷河期に向かおうとしている地球は、その最後のエネルギーである太陽を、そしてその関係の中で、地球の全てが位置付けられ、自然環境はそこから生まれてきますが、そういった考えからすると、やはり、氷河期に向かっていることは間違いないと思われます。
太陽の活動が弱まることと、フレアの爆発は、それらが太陽の全てを意味するわけではありません。
そういった中で急がれるのは、私達が生活できる安全な場所、そして、食料や水の確保となってくるでしょう。

今回起きた原子力事故に伴い、環境は著しく悪化しました。
安全な場所を求めて、これからは、世界中の人々が動き出すことでしょう。
この日本にも、私達が想像する聖地を7箇所作り、その安全な方向へと未来の子ども達を導かなければなりません。
水道水も、いつまでも安全に飲めるとは限りません。
例え浄水器をつけたとしても、そこに起こる現象すべてを回避できるわけではありません。
やはり、安全な聖地を求めていたならば、必ずそこには泉があり、そして、草原と森林がうまく交差しながら、風と光を取り入れ、豊かな大地となることを想像しなければなりません。
今7つの聖地の中の、黒姫山を中心とした、大体の計画は整いましたが、これからまだ、いくつもの課題を残しています。
北海道の聖地も内定が進み、いよいよ動き出しました。
山陽地域においては、大体の目安で、この2月から大きく動き始めます。
このほど、四国において、素晴らしい聖地が候補に挙がりました。
これは大変望ましいことで、大いなる安心に繋がることでしょう。
そのほかに、秋田の鳥海山を中心とした聖地、また九州の阿蘇山を中心とした聖地と、まだまだたくさんの課題は残っていますが、これから、それらは自然的に決まっていくことでしょう。
沖縄の聖地についても、もうすぐ答えは出てきます。
それほどあせる問題ではありませんが、2014年までには7箇所の聖地を設定し、そこでの繁栄を考慮した上で、どうそこに生きるかを考えなければいけません。

先ほど申したように、絶対的な条件は、湧き水があることです。
水を確保しなければ、何も始まりません。
そして、原発事故の影響をなるべく受けず、安全な農作物が作られることが、一番大きな安心に繋がることでしょう。
そのためには、今の私達の意識も、未来に向けて変わっていかなければなりません。
何故ならば、安全な場所聖地には、安心した意識が集い合わなければいけないからです。
欲やエゴの中で人間関係を組み立てていくならば、そういった安心は得ることが出来ません。
そこに住む人々の権利は、自分が作り出す心の豊かさの中に存在します。
誰から教わるわけでもなく、未来をこう変えたい、そして、未来でこう生きたい、二人以上の人が存在する限り、そこには必ずルールが生まれてきます。
みんなが信頼できる、そういう関係の中で、この危機的な環境が回避できるその日まで、未来の子ども達に勇気と安らぎを与えなければなりません。
必ず安全な場所は聖地となり、正しい意識の元に、正しい未来が作られていくことでしょう。

あせることはないのですが、その日のために、今から少しずつ準備しなければなりません。
ほんの小さな農業経験でさえも、大切な教えとなることでしょう。
豊かな心を得るためには、ありのままを受け入れるしかありません。
そのありのままが、いかに私達の心を豊かにするか、それは自然という、この大地がくれる、大いなる意識となることでしょう。
まだまだこの地球は、この大宇宙で最も素晴らしい、そして常に輝き続けている、そういった存在になっています。
決して恐れることはありません。
この地球は、まだまだ素晴らしい能力を持ち続けています。
その自然が持つ能力と、私達の意識が融合するならば、その聖地は必ず、価値のあるものとなるでしょう。

地球に住む全ての生命体は、水が命の源であることを絶対的な条件として存在しています。
当たり前のことですが、水がなければ、命は生きていくことが出来ないのです。
水があることにより、その命は未来へと引き継がれ、そして、移動や拡大や、成長がたやすく出来るのです。
単なる情報とエネルギーを、例えば、コンピューターウィルスのようなものを命と呼ぶことは、なかなか難しいことと思います。
私達が知る、命という存在は、自由に動き回れたり、成長したり、子孫繁栄したり、そんな意識の中で命という存在が生まれていることは言うまでもありません。
要するに、水がなければ、この地球は命にとって、何の意味もない存在となってしまうのです。
あの、火星や月にも、水があったといわれています。
火星に、今の地球のように、水があって空気があった、そんな時代が、実は存在していたことも、今の科学では推測できているのです。

では火星のその表面にある水が、命の根源である水が、なぜ火星から消えてしまったのでしょうか。
そんな想像の中で、今の地球にそれを当てはめてみたときに、確かにこの地球には、まだたくさんの水が存在しています。
こんな目の前にたくさんある水が、消えるはずがない、そう思っていても、現実には、火星を覆っていた水は消えてしまったのです。
宇宙を飛び交う、彗星群たちは、氷の塊とも言われています。
水は宇宙では氷となり、何億年もの間、飛び回り続けているのです。
そんな不可思議な物体であり、また命にとって絶対必要なこの水が、もし地球から消えてしまったならば、私達に未来は存在しなくなってしまいます。
今、そういった危機が、生まれようとしています。

地球における環境の悪化の中で、水を燃やそうとする、極めて危険な科学が存在しています。
水を分解し、水素と酸素に分け、その水素を燃やすことによって水を作るこの行為は、1回や2回繰り返されるぐらいでは大きな変化はもたらされません。
しかし、これを何回も繰り返していくと、やがてこの酸素と水素の関係の中に、大いなるアレルギー反応が発生します。
中性子のひずみと共に、もちろんそれは酸素の中だけで起こる問題ではなく、水素においては、陽子が著しく不安定になり、安定を求める陽子が中性子を作っていく、それが、1つではなく、双子が生まれてくるように、同時に2個作られるような現象が、そんなことが起こりかねないのです。
もうそれは、水という機能を失い、もちろん、私達を含め、生命体はその水を利用することはできません。
アレルギー反応を繰り返すうちに、水は単分子化し、空気よりも軽い存在となってしまうことでしょう。
そして地球の重力にとらわれることなく、大宇宙へと消えていく危険性を持っているのです。
そしてこういった行為が、実は水を燃やす行為からだけではなく、化学物質との異なった関係の中からもそれは生まれ、また太陽のフレアの爆発により、あのオーロラ現象の中に、それを繰り返すと、同じ現象が起こってくるのです。
この地球を覆いつくすほどのオーロラが発生し、それが毎日繰り返されるならば、そのスパークされた光の中に、水のアレルギー反応が繰り返し起これば、そういった危険性は十分に考えられるのです。
それを修復するには、大地における安定した水の存在が不可欠となることでしょう。
今までの地球ならば、このオーロラ現象の繰り返しによって起こる水のアレルギー反応は、地球の磁場により、そしてこの環境の中で、それはたやすく処理されたに違いありませんが、現在のように、環境破壊が著しく進んだ中で、そこに輪をかけるような人間の犯した大いなる罪が、自然現象とその誘発性の中から、かなりの危険性を持ち、こういった行為が、起こるかもしれません。

地球から水が消える…。
そう遠くない日に、それは始まります。
もうすでに、それは始まっているのです。
そういった方が、いいのかもしれません。
人間の科学は常に、人間達がこの地球で住むことを、否定する方向へと進んできました。
その科学により、そこに、覆いかぶさるように始まる、大宇宙の変革の中で、地球の存在が、火星のようになろうとしています。
もう間に合わないのかもしれません。
逆に、それを早く進めようとする意識が、水のアレルギー反応を急がせる方向へと向かわせているのかもしれません。
飲めなくなった水と、水になれなくなった元素達が、この地球にどう関与してくるのかは、理解できるものではありません。
早くに手を打たないといけないはずなのに、その方法すら、わかっていないのが現実なのです。

皆さんは、長野県にある上高地へ行ったことがありますか?
標高1500mという、そんな高いところに、大量の水を湛えた梓川が流れ、河童橋はとても有名で、皆さんが知るところと思います。
もちろんここは、安曇野にある、穂高神社の奥の院ということで、明神池のところに、その奥の院はあります。
マイカーが規制されているため、とてもきれいな空気で、大勢の人で賑わっています。
実はこの上高地、天孫降臨という言葉がありますが、宮崎の高千穂とか、鹿児島の霧島等がよく聞く馴染みの深いところではありますが、もう一つ、この上高地も、言葉の意味からすると、神の降りるところ、要するに、神降地となります。

そんなところから考えてみると、一つ面白い発想が生まれてきます。
大宇宙を旅した私達の先祖は、この地球を目指し、月の光に導かれ、要するに、池に月が映ることにより、それが誘導灯となり、この地球に導かれ、降りることができたのです。
広い土地を擁し、誘導灯となる池が存在し、そして高い山であるという条件と、そういった未確認的な、皆さんがよく知るUFOのようなものが降りるには、条件が見事にそろっています。
そして、やがてそのUFOが、諏訪湖の下に沈み込んだという伝説が残っています。
もちろん2機あり、1機が上社、もう1機が下社となったという、ちょっと面白い話を聞いたことがあります。
そんな夢みたいな話の中にも、宇宙を想像させる、楽しい存在があることは、否定するのではなく、逆にそんなところから物事を考え直してみたら、面白い発想が生まれてきます。
穂高神社に行ってみますと、大きな船が宝物館に祭られ、お船祭といった儀式も存在しています。
その船が、今私達が想像するような船ではなく、大宇宙を飛ぶ船であっても、別におかしな存在ではありません。
元々、この安曇野というところは、安曇族が切り開いたといわれています。
この安曇族はやがて、梓川を下り、犀川へと向かい、やがて信濃川へと、そして、今で言う新潟の海に、要するに日本海へと導かれ、大陸を目指し、波を遡り、九州へと辿り着きます。
こういった逆説を作ってみると、北九州における安曇族と、長野県安曇野における安曇族の、ルーツが見えてきます。
どちらが先か後かということは、さほど大きな問題ではありません。
宇宙船に乗って、この地球にやってきたとするならば、やはり辻褄の合う話となってくることでしょう。

2012年という、この大きな幕開けの中で、これから、大変危機的な時代となることは、想像がついてきます。
多分大宇宙の中で、同じようなことが、何度も繰り返されてきたのかもしれません。
前地球といわれた星を離れ、新しい地球を目指したとき、どんな思いでこの大地を踏みしめたことでしょうか。
今のような、破壊された地球、そんなことをいつ想像したでしょうか。
大きな夢を持ち、この地球に降り立ち、そして平安な時を過ごそうとしたに違いない彼らが、そしてその子孫である私達が、何故こんな荒んだ社会の中で、環境を破壊し、心すら安定をなくし、不安の中にいます。
そしてやがて、信頼関係をなくすような、要するに、嘘で固めたような社会の中、ある種の法則の中で、管理されながら生き続け、本当のことを教えてもらえない、そんな不安の中で、毎日の生活をしているのです。
私達の意識の奥底には、必ず当時の記憶が残っているはずです。
どんな思いでこの地球にやってきたのでしょうか。
そしてこの地球で、何をしようとしてきたのでしょうか。
何万年や何億年前かもしれませんが、夢や希望は、確実に存在していたはずです。
そして、自然と共に生きることを、絶対に望んだことは間違いないことでしょう。
今私達は、その頃の意識に目覚めようとしています。
大都会の生活を、便利さと板ばさみの中で、生活のスタイルも出来上がってきましたが、意識や心は、いつも自然を求め、その豊かな大地の方向へと、向かっていたに違いありません。
今、本質的な本能を目覚めさせ、当時の記憶に戻り、自然との共存と共生を図らなければなりません。
どうか思い出して下さい。
地球に下りてきた、その日のことを。
その感動と喜びを、そしてもう一度、この自然を、修復する方向へと、導きましょう。

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