忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

慌ただしい毎日を過ごしながら、たまにはゆっくりしたいなと、そんなことを考えることもあります。
1人で車を飛ばし、小高い高原の中に入っていきました。
霧の中を少し走ると、やがて晴れ間が現れ、下の方には雲が、空気はとても澄んでいて、そこで休もうとすると、冷たい風が何故か心地よく、心を癒してくれます。
本来ならば、あたたかい愛に包まれることが、一番望ましいことなのに、なぜか冷たい冷気の方が、心が安心するのです。
静寂という言葉の中に、多分そのような意味があるのかもしれませんが、本当に穏やかな毎日を過ごそうとしたならば、今の社会や人間関係の中では、とても難しい出来事なのです。
人の心を変えることも出来ないし、ましてや、自分の心を変えることも出来ません。
いくら変わりたいと思っても、人間はみな、人には厳しく、自分には甘いのです。
その自分への甘さが、社会を敵に回し、そしてその苦しみから逃れるために、優しさとか愛とか、友達とか恋人とか、確かに一時的には、心が癒され、そして、楽しい時間を過ごすことができます。
愛する人達と一緒に食事をしたり、日常生活を繰り返す中で、友達と電話をしたり、話の内容など、本当はどうでもいいのです。
お互いの確認の中で、愛に満ちた喜びのような錯覚の中で、ただお互いをいたわり合いながら、ある種自分を慰めたに過ぎないのかもしれません。
挫折することが、そして坂道を転がり落ちた方が、楽に生きられる、それが現実なのです。
そして、誰かに管理され、それを見守られていると勘違いし、その優しさを、管理されているとは思わず、社会に流されながら生きているのです。
法律があって、国があって、秩序があって、そんな決まりごとの中で、基本的な自由を失いながら、逆にそれが、とても心地いいのです。
要するに、人間達はほとんど、いい加減な観念の中で、時間を過ごしているに過ぎないのです。
ふと我に返ったとき、そこに何もないことに気がつくことでしょう。
何故ここにいるのか、自分の心は何を求めているのか、何かに怯えたり、逆に怒りがこみ上げてきたり、そこには、自分の存在はあっても、他人の存在は、余り大きなものではないのです。
要するに、身勝手すぎる自分がいて、勝手に相手を批判しているに過ぎないのです。
それは自分の都合が良いか悪いかの、そういう判断の中で、生まれる現象に過ぎないのです。
国も、同じ現象の中に存在し、政治家や官僚達も、それを作り上げられた社会を、守ることから批判が始まり、壊す勇気はなく、その中で、心地よさだけを求めているのです。
置かれている世界はとても都合がよく、欲しいものはほとんどが手に入ります。
愛情も、薄っぺらなものならば、お金で買えるといってもいいのかもしれません。
なんでも手に入る世の中で、もし手に入らないものがあるとするならば、自分という身勝手な意識の、その中に存在する本質的な意識でしょう。
要するに、自分で自分がコントロールできないのです。
自分が自分を捕まえることが出来ないのです。
自分の身勝手さにあきれ返っても、自分の弱さに気付いても、それを常に隠そうとする自分がいて、自分という存在ほど不可思議で、つかみようのない勝手な存在はないのです。
全ての敵は、自分の中にあるのです。
素直な本質的な自分が、いつも小さく、うずくまりながら、それを覆う悪魔のような自分に支配され続けているのです。
本質的な自分を探し、本来のあり方を取り戻し、その記憶を蘇らせることが出来るとするならば、静寂的な意識の中でしか、それを認識することは出来ないでしょう。
あたたかく包まれることではなく、冷たく頭を冷やすことにより、また心を氷のように閉ざすことにより、自分を探すことが出来るのです。
自分探しすることが、社会生活の中で、一番難しい現象なのです。
責任を転嫁し、他人にそれを委ねているかのように思っていますが、実はそうじゃない、全ての犯人は自分で、自分が自分を駄目にしているのです。
それは社会とか、他人ではないのです。
それを認めようとする勇気は、静寂な意識の中に存在するなら、一度心を閉ざし、冷たく、冷えてみてはいかがでしょうか。
きっと、その奥底から、新しい炎が、産声を上げることでしょう。

私達が生きていく上で、いつも、何らかの形で意識が反映し、人間関係を友好的に保とうとしながら、この決められた社会生活の中で、右往左往しながら生きています。
何のために生きるのか、何のために生まれてきたのか、そんな疑問を、時に感じることがあったとしても、それをとことん追求することはあまりしないものです。
浮世に流され、社会の仕組みの中で、小さな出来事に反応し、そして、小さな夢の中で、満足感と絶望と、未来に対する観念の中で、現実の厳しさを知り、今を生き抜いているのです。
人間という生命体は、肉体と、霊体とに、まず大まかに分けられますが、もちろん魂という考え方もありますが、この肉体を維持する上で、例えば肉体を車と考えたならば、霊体がその運転手です。
霊体が、その意識が、非常にまずい状態になったとき、私達は大きなトラブルに遭遇することになるのです。
病気や怪我も、霊的に見たら、これは霊体の不注意に過ぎないのです。

ときにこの、霊体のことを、私達は、気という言葉で表現します。
この気という言葉を、少し深く考えてみると、昔の気(氣)は、中に米という字がありました。
この象形文字から捉えてみると、やはり農耕民族の我々は、ご飯が食べられることにより、気という存在が表れ、活性化していくと考えたのでしょう。
この気という、この意識の中に、毒が盛られたとき、気の毒にね、と言われるような、そういった面から、また病気になったり、ふさぎ込んだりするものなのです。
また逆に、気を楽しませてあげると、気楽だねという言葉になります。
元々私達は、凄い力を持って、この地球に生まれたのかもしれません。
落ち込んでしまったときに、人から、元気になってねと、声をかけられます。
ということは、元々あった気は、素晴らしかったという意味になってきます。
元気が元の気なら、やはり、私達はこの地球に生まれてきたとき、素晴らしい気を持っていたに違いありません。
その素晴らしい気が、毒針にかかり、その素晴らしさを失うことにより、病気になったり、ノイローゼになったりしていくのでしょう。
この気という問題、これを霊的な考え方の中から、うまく融合させ、気楽に生きることが、どれだけ大切なのか、かわいそうにと、気の毒には、似たような言葉であって、とても違う言葉になっています。
何故ならば、発する側と、受け取る側の、対面的な考え方の中で、言葉か選ばれているからなのです。
合気道という、素晴らしい柔術がありますが、この気の持ち方で、私達はあらゆる方向に、変化することが出来ます。
要するに、肉体という車を運転している、気という、そのエネルギー体により、そしてそのプログラムにより、私達は今生きているということなのでしょう。

天の気、雰囲気、そのように、気というものは、自分の中だけにあるわけではありません。
すべての現象の表し方に、気という存在があり、気という言葉を理解しようとしたならば、非常に大きな範囲でそれを理解しなければいけません。
気とは一体何なんだろうと、そういう疑問の面からものを捉えても、新しい発想が生まれてくるのかもしれません。
この全てのエネルギー体の中に、物質をコントロールするプログラムそのものが、気であり、また大気、要するに、すべてが気に覆われているということになります。
私達は、この宇宙空間から、地球に起こる全ての現象を、気という世界で捉え、肉体の中にある気も、またお互いが発する気のエネルギーも、地球というこの星が持つ気のエネルギーも、全てが同一線上で交差しながら、社会生活が営まれているのです。
気という観念を、新しい方向へ導き、そしてそれを融合させることにより、未来は確実に違った方向へと導かれることでしょう。
それは気というエネルギーとプログラムが、同居しながら発せられる、ある種特殊なものといえるでしょう。
特にこの倭民族は、すべてのものに気があると考えてきました。
今の言葉に代えると、それは波動という形で考えてもいいのかもしれません。
要するに、エネルギーを発していることは間違いないのです。
だからこそ、この気の捉え方で、意識は全て変わっていくのです。
気の毒を清算し、健全な気の存在が、私たちの新しい意識を、コントロールしていくことでしょう。

いよいよ2012年、危機的なときを迎え、今年1年をどう過ごすかが、非常に大きなテーマとなってきました。
人類が滅亡するかのような考え方も存在していますが、未来のことは誰にもわからないのが現実です。
何事もなかったにせよ、備えておく事は決して無駄なことではありません。
突然その日が来ても、また逆に来なくても、今の考え方を、どう変えていくかの方がよほど大切なことなのです。
そしてまた、人間達も、新しい時代を迎えようとしています。
高次元化というような言葉の中で、人間のあり方が問われていますが、中々人間のように、世代交代のサイクルが長い生命体は、新しい形に生まれ変わることが難しいのが現状です。
少なくとも20年はかかりながら、世代交代しているのが現状ですから、三世代四世代という中で、染色体の数が増えたり、霊的能力が備わったり、また感性が研ぎ澄まされ、感覚が鋭く意識が高まっていく、そんな現象は、何世代もの間に起こる可能性のある出来事であり、急激な変化は、あまり期待できません。
過去の歴史を見ても、人間達は、本来持つ能力を失うことはあったとしても、新しい能力を身に着けることは、非常に困難を要することで、そのような人と出会うことは、中々難しい出来事だと思われます。
そんなに簡単に、人間が進化出来るなら、とっくに新しい人間になっているということなのです。
今回のような、太陽の大異変や、地球環境の大異変の中で、確かに進化の時期を迎えているといっても過言ではありませんが、かつてこの地球で、このような出来事は、何度も起こってきたことは間違いないのです。
あの、恐竜達が絶滅していったように、地球は幾度となく、大変大きな環境の変化の中で新しい時代を迎え、私達人間も、そういった意味から考えたなら、一番この地球で生きやすいように進化し、今があるのかもしれません。
このように、長い歳月をかけ危機的な環境を乗り越えるために、命は新しい時代を築き上げていくのです。

そして、命というプログラムの中で、最も大きな役割を持っているのが、ミトコンドリアです。
最近になって、ミトコンドリアの研究も、多種多様な面からされてきましたが、彼らが何故、全ての生命体の中に存在し、彼らの意図により、エネルギー交代が行われ、生命維持に欠かせない、大いなる役割を持っている、その現実は、否定することは出来ませんが、彼らの意図する未来は、どのような方向に導こうとしているのか、また、彼らは何故そこにいるのか、そして彼らは、自分達の遺伝子を持ち、そして生命全てを管理し、新しい方向へと、もし??人間を含め、全ての生命体を誘導してきたのは、彼ら自身ではなかったのではないでしょうか。
要するに、ミトコンドリアの意識の中に、今の環境がいかに危機的であるかが大きな問題になるのです。
彼らは生きるために、あらゆるテクノロジーを駆使しながら、生命維持プログラムを環境に適合する方向に導くに違いありません。
要するに、今回迎えようとしているような環境の変化の中で、一番進化を求められているのが、ミトコンドリア自身ではないでしょうか。
彼らが進化しなければ、そこに付随する生命体、要するに、私達人間も、ミトコンドリアという、いわばエンジンのような存在に、命の全てを委ね、共存しているに過ぎないのです。
彼らが今後どのように進化するかが、そして我々の能力がそこに伴うかどうかが、要するに、彼らのスピードに人間がついていけるかどうかが、大きな問題となるのです。
少なくとも、3ヶ月で細胞が新しく生まれ変わるように、彼らは、それよりも短い歳月の中で、サイクルし、そして、未来へと継承していっているのです。
人間よりはるかに短いそのプログラムの中で、彼らが進化することは、さほど難しい出来事ではないでしょう。
全ての細胞の中で、新しい次代が発生し、もちろん脳細胞の中でも、同じことが言えるでしょう。
生まれ変わらないといわれた脳細胞も、ミトコンドリアという生命体は、分裂を繰り返しながら、そして新しく生まれ変わりながら、全ての生命の維持に携わっているのです。
彼らの考え方が、どのように進化するか、彼らの生きる方向性が、どのように決定付けられるのかによって、私達の未来は形付けられるのです。
要するに、全ての未来と進化は、ミトコンドリア、彼らに委ねられているのです。
私達がそのスピードについていけるかどうか、それだけのことなのです。

原子力発電所が壊れ、この日本も、エネルギーの見直しが盛んにされるようになりました。
全世界は、最初、石炭にエネルギー依存し、蒸気機関車が走ったり、石炭ストーブが燃やされたり、大変有効的に使われました。
日本にも多くの炭鉱があり、その石炭を支配した人達が、経済を握ったのです。
その後、石炭は石油に代わりました。
石油により、電気が作られ、そして車はガソリンで動き、船舶や列車達も、石油から作られたエネルギーに依存し、全世界は石油という、大いなるエネルギーの中で経済は発展し、その石油から作られた、色々な化学物質は、プラスチックや繊維を初め、非常に大きな社会貢献をしてきたことは間違いありません。
石油から生まれた経済が、これほどまでに人類を豊かにし、そして、その結果、私達は非常に大きな恩恵を受けたことに、今気付いたのですが、しかしその石油も、いつか終わりを告げる日が来ます。
そして、その次のエネルギーを、人類は、原子力に求めました。
プルトニウムやウランを使い、こういった放射性物質を、有効利用することにより、そこから生み出されたエネルギーは、電気という形で、全世界に大きく貢献することとなったのです。
電気のない社会生活における環境は、私達の生活そのものが存在できなくなるほど、大きく関与しています。
電気が止まっただけで、切符一枚買うことも出来ないし、銀行でお金を引き出すことも出来ないのです。
携帯電話やパソコンも、夏なら冷蔵庫の中のものはみんな腐ってしまうし、洗濯機すら回らない、私達の今の生活は、ほとんどといっていいほど、この電気に依存して生活しているのです。
いくら放射線が怖いといっても、電気を発電してもらえなければ、日常生活は成り立ちません。
しかし、電気という物質のこの存在を、違った角度から考えてみたならば、また新しい時代がやってくることでしょう。
最近、フリーエネルギーが大きく騒がれています。
太陽電池や、風力発電、一体電気とは、どのような現象で発電が起こるのでしょうか?
全ての元素は、陽子・電子・中性子で出来ています。
水素は別としても、こういった元素の中に含まれる、電子の移動と、陽子の破壊、こんな余りにも自然な現象の中に、電気の発電方法が存在しているのです。
要するに、それぞれ違った、二種類の物質が触れ合うことにより、必ず電気を起こしているのです。
もっと解りやすくいうと、ブラシで髪の毛を梳かしたり、パンツをはくだけでも、発電はされているのです。
大地を踏みしめて歩くのも、水を流して手を洗うときも、茶碗を洗っているときでさえも、電気は作られているのです。
非常にたやすい状態で電気は作られ、それはどこにでも存在しているのです。
原子力が有効利用される一つの大きな原因に、バッテリーの開発が非常に遅れたという現実があります。
要するに、電気は蓄えておくことが出来ない、という、そういった原則が存在していたのです。
今の科学でも、大量の電気を蓄えることは、非常に不可能といわれていますが、新しいバッテリーの開発の中で、いよいよ電気自動車が走り、エネルギー的な面から見たならば、石油に終わりがやってきたといえるでしょう。
しかしながら、この電気をもう一度、新しい考え方、いやそれよりも、もっと古い考え方でいいのかもしれませんが、その電気を生産する上で、最も多く騒がれてきたのが、水発電であり、それはダムという観念ではなく、水の運動エネルギーを利用した発電方法と認識してください。
また、永久モーターという、磁石と電気を組み合わせることにより、永久に回り続けるモーターは、電極を変え、磁気でいう、同極の反発という、本当に単純な法則の中に、回転運動が発生し、今の私達の科学をもってするならば、永久モーターを作ることなど、さほど難しい技術ではないと思われます。
それをもっと簡単に、磁気と電気の法則がわかったならば、鉄の棒にコイルを巻き、電気を通すだけで、磁石になります。
磁石を回転させるだけで、電気は作られます。
そんなように、磁気と電気の関係を、うまくコントロールできたならば、磁気発電という、クリーンでしかも経費がほとんどかからない、そして永久的な、そういった考えで電気を作ることは、決して難しい技術でもないのです。
全世界は今動こうとしています。
永久モーターと、磁気における電気変換装置は、日常生活の中で、もうすでに使われている技術なのです。
電源コードをつながなくても、そのテーブルの上に、髭剃りや歯ブラシをおくだけで、磁気から変換された電気は、バッテリーに充電されるのです。
その原理を応用すれば、さほど難しくなく、そういった技術もこの地球の中での人間の科学はもう習得しているのです。
新しい未来は、壊れることのない、破壊というプログラムの存在しないエネルギーで、作られなければなりません。
早くその日が来ることを、望みたいものです。

カレンダー
07 2026/08 09
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
オリハルコン
カウンター
ブログ内検索
メールフォーム
バーコード
プロフィール
HN:
デルファンドラ
性別:
非公開
自己紹介:
デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
忍者ブログ [PR]