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誰もが皆、心温かく人に接したり、また、温かく迎え入れられたりしたならば、とても感じのいいことですが、逆に熱くなりすぎたり、あまり過激になってくると、よく言われる言葉の中に、頭を冷やして冷静に物事を考えなさいと、よく使われる言葉ですが、しかし、温かい心と冷静な世界の中には、相反する意識の問題が存在してきます。
まったく似合っていない服装であっても、髪形がおかしくても、「よく似合っているよ」とか、「きれいにまとまっているね」とか言われたら、とても気持ちのいいものですが、それを信じて町に出たなら、冷静な判断から、通り過ぎる人々は、もしそこを意識したならば、おかしな格好ねというのかもしれません。
要するに、どのように評価してもらうか、人からどう見られるかは、やはり冷たい心のあり方の中に、真実の表現があるのかもしれません。
でもそういった、本当のことを言ってしまったならば、相手からは「なんて冷たい人なの」と思われてしまいます。
本当のことを言っただけなのに、冷たいと言われ、お世辞でごまかしたならば、なんていい人なんだと言われるのが現実です。
このような社会で、私達は今も生き続けているわけですから、正しい判断がされているかどうか、よく人は、鏡といわれますが、その鏡は、真実を映し出す鏡でなければいけないはずなのに、どこかで温かく歪められ、そして、嘘の表現を要求しているのではないでしょうか。
人間関係をうまく、繕いながら続けようとしたならば、誉められた方が、誰だって気持ちいいものですが、本当のことを言ったときに、それをけなされたと思う人がどれだけ多いことでしょうか。
でも私達が知りたいことは、真実であるはずなのに、その真実を知ることが、人を馬鹿にしていることであったり、人を軽蔑しているかのように捉えてしまったならば、何の意味も無いことになってしまいます。
本当のことを言ったのに、それを毒舌といわれることも、よくあります。
確かに、厳しい判断をされたときに、人々の心は真実の表現の中に、自分を守ろうとする、自己警護能力が、その表現に対して、そこから逃れようとし、そして、悪く判断されたと理解した上で、人間関係を壊していくのです。
誰もが知りたい真実が、心の奥底では、それを知りたくないという現実があるのかもしれません。
この社会では、優しい心や、温かい心が、とても人々を豊かにしてくれるように思われますが、逆にそれは、その人の判断を間違えてしまう、非常に間違った考え方なのかもしれません。
だからこそ、「人は見かけによらない」というような、諺が生まれてくるのでしょう。
やはり冷静に物事を考えるときには、「よく頭を冷やして」そう言われます。
確かに、のぼせ上がっていては、正しい答えを見つけることは、非常に難しいのかもしれません。
物事を正しく判断し、正しく行動していくためには、物事を冷静に運ばなければなりません。
この冷たいという言葉の中に、温かいという言葉とはまったく裏腹の、意味を持つかのように思われますが、正しい判断は、それを受け入れる人にとっては、最終的に、とても心温まる、意見として取り入れられるのです。
お世辞に乗ったために、騙されることはあっても、冷静な答えの中には、そういった騙しがないのです。
温かい心で接する人達の中に、それを利用しようとする、悪的な要因があったならば、それを判断するためには、自分が自分の頭を冷やし、冷静な心で、相手を見ることから始めなければいけません。
それは決して、冷たい心と、そう判断されても、それは残酷な心でもないし、相手を陥れる心でもありません。
お互いの判断を、間違えないためにも、一度頭を冷やし、周りを冷静に見てみてはいかがでしょうか?
特に、おだてに弱い日本人は、これからは、冷たい心、冷静的な判断が必要になることは間違いないことでしょう。
 

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