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テレビ報道の中で、私達は沢山の情報を吸収しながら社会生活を営んでいます。
それらは私達の生活の中に馴染み深く入り込み、コントロールしようとしていることも事実です。
何が真実なのか解らず、ただ騒ぎ立てることだって沢山あるのです。
ここ何年間で、愛は地球を救うという言葉を耳にしてきました。
果たしてそうなのでしょうか?
逆に、愛とは何なのでしょうか?
誰もが皆、人を優しく包んだり、安らぎを与えたり、勇気を与えたり、温もりを感じたり、優しさの中で生きられたらと願っているに違いありません。
要するに人間は、愛の発信源ではなく、愛を受け取る存在となっていることでしょう。
これは全く、愛は地球を救うという言葉を逆さにした状態と考えないと辻褄が合いません。
要するに、何らかの現象により、安らぎと満たされた心がそこで感じるものが、愛ということになります。
そう、救われたのちに私達が受けるものが愛なのです。
愛とは、最終的に人間が感じる到達地点のようなものではないでしょうか。
人間はその愛を受け取りながら毎日を生きていると考えた方が、逆に分かりやすいのではないでしょうか。
愛とは発するものではなく、受け取るものなのです。
全く逆に考えていたのかもしれません。
募金をしたり、ボランティア活動をしたり、人に感動を与えたり、思いやりをもって活動することが、愛だと勘違いしている人もいますが、これは愛ではありません。
あくまで自分でできる精一杯の行為であり、実現化された行動の一つなのです。
そしてそれをやり遂げた時、自分の心の中に安らぎが存在したならば、それが愛なのです。
誰もが皆、人類が平和であることを願っているに違いありません。
でも一度満たされると、それに慣れてしまい、新しい望みを持ち始めます。
人間の欲には限りがなく、次々と変化していくのです。
だからこそ、愛により満たされたならば、言葉を変えると、不安がなく安定した毎日が存在するならば、その願いは叶うこととなりますが、現実の中ではありえない現象です。
人間はなんて愚かなのでしょうか。
目の前にある全てをそのまま受け入れれば、何の不安もないはずなのに、受け入れることが出来なく、そこから逃れようとします。
そこにエゴと欲が絡み合い、自分を傷つけ、暮らしているのです。
それを別の言葉では、悩みといいます。
決して必要な出来事ではないのです。
すでに私達人類は、この地球から、そして植物達から、沢山の愛を受け取っています。
ある時、僕の足元にタンポポの花が咲いていました。
皮肉なことに、僕はそのタンポポを踏んでいたのです。
何をしてしまったのか、タンポポにごめんねと謝ろうとしたとき、タンポポはいいました。
『いいんですよ。
私達植物は、神様から、怒りとか悲しみとか苦しみとか嘆きとか、そんなものは教えられていません。
痛いということも、教えてもらっていません。
もちろん憎むなんてことも教えてもらっていません』
その言葉を聴いた時、人間はなんて愚かなのだろうとしみじみ感じました。
――そうだよな、人類は常に、愛され続けられている受身にあったんだ。
皆さんも認識して下さい。
誰もが皆、地球の愛に支えられ、その愛を受け取り、生き続けているのです。
足し算の科学で生きてきた私達は、何でも多い方がいいという観念があります。
パーセンテージでいっても、出来るだけ100%に近い方がいいと思ってしまいます。
点数社会で生きてきた私達には、仕方ないことなのかもしれませんね。
そんな中でも、エネルギーが高い方がいいとか、波動数値が高い方がいいとか言っている方が多いのも現実ですが、果たしてそれは正しい考えなのでしょうか?
バイオリズムは、28日のサイクルの中で、上がった分だけ下がり、また下がった分だけ上がり、上手くバランスをとっています。
中心を走る、即ち横軸のゼロバランスラインに上手く絡み合いながら、その28日のサイクルの中で、私達の脳や身体に大きく関与してきています。
同じく、月の満ち欠けも、このバイオリズムと同じ周期の中に存在しています。
何故ならば、月のサイクルの中にバイオリズムが存在し、私達は月の満ち欠けにより、生理的現象を含め、生かされているのだと考えられるからです。
足し算の科学からすれば、満月が最高点で、それ以外のものは、例えば月の欠けている部分だけ、欠点として計算されますが、果たしてそんなことが正しい考えなのでしょうか?
高ければいいというその間違った考えを今すぐ捨て、正しい意識の元に集い、新たな方向性を見出す必要があると思います。
点数社会で生きた私達には、学力テストの中では高い点数だけがいいとされますが、例えばスポーツの世界でも、先頭を走ることが素晴らしいとされていますが、私達生命体にとって、そんな点数制度は何の意味もない出来事に過ぎないのです。
ここでもう一度、月について整理してみましょう。
まず、始まりは新月、そして三日後には三日月、また半月から満月へと導かれ、また逆に、新月へと戻っていきます。
この繰り返しの中に起こる現象、全ての月に実は、名前があるのです。
それは何を意味するかというと、その日にとってその月の形がベストであり、そこには欠点など存在しないということなのです。
全ての月の形に意味があり、私達人間を含めた全ての生命体は、その月と深く関わることによって生き続けているのです。
生命体にとって、これ程大切なリズムと現象はないのです。
よって、月の満ち欠けに差別区別がないように、高い点数がいいという考え方は、生命体にとって存在しない科学なのです。
それをあたかも、高いものがいいという表現で、物を販売している方もいらっしゃいますが、これに気付いたならば、直ちにそのような考え方を訂正し、本来ある形、私達生命体にとって都合のいい数値へと導きながら、ことを進める必要があると思われます。
今までのような足し算の科学を推し進めて行ってしまったならば、どんどんどんどん、上へ上へと上がって行き、その反動でいきなりどん底に落ち、逆に元に戻れないという現象を招きます。
上がったり下がったり、程よい状態で、時間と物質は、そして命は、上手く絡み合っているのです。
大宇宙の法則、回転運動も、くるくる回ることによって、それは平面的に捉えたならば上下運動のように見えますが、一つの軸を中心に回り続けているわけで、裏側から見れば、そしてまた下から見れば、そして上から見ても、図形的には上下にラインが動きますが、この大宇宙には、初めから上下は存在しないのです。
人間の観念というのは、厄介なものですね。
やはり、デルファトラの科学を学ぶ必要があるのではないでしょうか。
中国の歴史の中から、日本に邪馬台国が存在したという文献が表れ、この日本でその邪馬台国がどこにあったのか、大きな話題を呼んでいます。
九州説や奈良説など、いくつもの説がありますが、未だにその謎は解けていません。
諏訪湖の昔の言い伝えの中に、
二つの大きな光が宇宙から現れこの地に下りた。
そして、諏訪湖が出来上がった。
というものがあります。
大きなUFOの母船がこの地球に降り立ち、そこが諏訪湖になったのかもしれません。
諏訪湖の底には、その母船が眠っているのかもしれないということです。
そして、その近くに上高地がありますが、地元では、神の降りる地(神降地)と呼ばれています。
確かに、宇宙から地球に降り立つ為には、誘導灯が必要になります。
明神池に満月を映し出し、そこに向かおうとしたならば、大変辻褄が合ってきます。
御伽噺のようですが、夢のある話だと思います。
今、大きな話題になっているのが、地球における高次元化やアセンションですが、卑弥呼は誰なのか、という話題も非常に騒がれています。
デルファトラの歴史書の中に、日星の王、日女王(ひるめおう)には、一人の娘と神からの言葉を伝える巫女達が9人いたと書かれています。
その日星の巫女達が、この日本では卑弥呼と呼ばれているのかもしれません。
確かに日星の巫女、即ち卑弥呼ということになれば、大変辻褄が合ってくるのと同時に、一つの大きな問題が出てきます。
それは、卑弥呼は1人ではなく9人いることになる、ということです。
その歴史書の中では、9人のうちの6人が地球に降りたと書かれています。
そしてそのうちの3人が神となり、メッセージを私達に送り続けています。
そして後の3人が、地上で私達を神の示す正しい方向へと導いてくれることになってはいますが、現実には非常に厳しいものとなっているのです。
何故なら、唯物論の中では、彼らの存在を期待はしても認められないし、しかも探すすべもないのです。
誰が本物の卑弥呼なのか、まだ誰も正式には名乗り出ていないのです。
もし本物の卑弥呼なら、神となった3人の意識と融合し合い、降りてこなかった3人とのコンタクトが取れ、この倭の人々を正しい方向へと導いてくれることでしょう。
俗に言う、チャネラーという人達の中に存在している可能性も、ないとはいえないのです。
もし本物ならば、アカシックレコードといわれる、情報の本体から、何らかの形で正しい情報をキャッチし、伝えてくれることでしょう。
そして、これから起こる危機的な現象に対して、解決方法をもたらしてくれるはずなのです。
この地球においても、かつてムー大陸が存在したように、ラ・ムーの意識は日女王の意識と融合し合い、この日本を含め、十二民族の大いなる大地を守り続けていたはずなのですが、やはり膨れ上がった情報とコントロール不能なエネルギーにより、破壊の方向へと導かれていってしまいました。
今また、同じ過ちが繰り返されようとしています。
今こそ、真実の扉が開かれ、本物の卑弥呼が蘇り、倭人を救わなければならないのです。
必ずいるはずです。
誰もが、その日を待ち望んでいるに違いないのです。
デルファトラ星に起こった悲劇的な出来事の中に、今この地球が抱える問題と極めて似た現象がありました。
やはり科学者達は、自分の欲に目がくらみ、作ってはいけないものを作り出していったのです。
それは大宇宙の法則に従うものではありませんでした。
逆に大宇宙の法則を脅かす、極めて危険な科学となっていったのです。
今地球が抱えている問題も、同じく、最も危険な科学、核分裂を利用したエネルギーの構築、全ての宇宙は核融合の方向へと動いてきたのに、そしてゼロバランス化され安定を図ってきたのに、その安定を破壊し、分裂のエネルギーを、人類は今利用しつつあります。
その分裂のエネルギーが引き金となり、全ての生命維持プログラムが逆方向へと動き出し、分かりやすくいうと、免疫力や自然治癒力、意識や心の乱れが、地球上での生きる法則の全てに悪影響が表れてきます。
人類は人類滅亡のスイッチを自ら押し、滅亡の一途を辿り始めたのです。
かつて、デルファトラ星でも同じ行為が行われました。
分裂と破壊の法則は、安定と融合の法則には戻ることが出来ません。
一度壊れかけたものは、次々とそのエネルギーが増幅され、全てを壊し続けるまで消えることはないのです。
もし仮に、なんらかの方法があるとするならば、デルファトラの科学にしか存在しません。
デルファトラの神々達は、デルファトラに住む優れた科学者達を呼び寄せ、この問題に着手していったのです。
そこで出た結論が、フォーマットウォーター理論、またウォーターフォーマット理論、ゼロバランス安定理論、情報オーバーライト理論、情報融合理論、そしてそれらを全て解決する為に選ばれた物質が、水ということになったのです。
情報を包み込みながら、全ての物質に融合し、それらが抱える分裂の法則を、そしてそのエネルギーを融合へと変化させ、安定へと導くのです。
情報も破壊情報から安定した融合情報へ。そしてそうしようとする水そのものも、自らフォーマットしていくプログラムを持ち、どんなに汚染され、どんなに破壊されても、最終的にゼロバランスに戻るゼロバランスフォーマットウォーターの水が、デルファトラの危機を何度も救ってきたのです。
この地球でもかつて、核分裂のエネルギーが大いに使われ、その事故を処理する為に、これらを海の底深くに沈め、解決してきました。
海洋深層水は、地球に残るデルファトラ最高の科学、フォーマットウォーターそのものとして地球に君臨してきました。
その中に核分裂物質を落とし込むことによって、地球はフォーマットされ、人類は生き続けることができてきたのです。
しかしながら、その海洋深層水、人類が手をつけてはいけない水に、人類は手をつけてしまったのです。
このような危機が起こったとき、今の地球では回避する方法はありません。
今こそデルファトラの科学を使い、このフォーマットウォーターが蘇り、人類が救われることを祈ります。
水という定義付けは、皆さんはどう考えますか?
私達人間が飲めて、触れて、当たり前にコップの中にあって、なんの不安もなく、私達はそれを利用しています。
しかしながら水の分子は、酸素と水素からなっています。
例えば液体と気体そして固体という、ほとんどのものが三つに分けられますが、水といったら単純に液体を表します。
H2O、酸素と水素の化合物は、酸素や水素単体ならば、もちろん気体であり、液体ではありません。
空気より軽く、単分子である以上、液体という認識は出来ません。
水が水である為に、俗に言うクラスターのようなものを持ち、お互いの力を打ち消しながら、地球の重力に従う方向として存在します。
それを私達は単純に水と言います。
単体では、コップの中にとどまることも出来ないし、重さを感じることも出来ないのです。
雲は宙に浮いていますよね?
もちろん気体だから浮いているわけです。
突然気圧の変化の中で雨となり、要するに水となって落ちてきます。
どこからどこまでが気体で、どこからどこまでが水なのか。その境を見つけることすら難しく考えられます。
大気中に最も多く存在する物質に、窒素や酸素がありますが、その次に水が存在するのです。
私達は湿度という言葉でそれを馴染みにしています。
もしこの大気中に水がなければ、鳥のさえずりや虫の音、私達が会話することすら出来ないのです。
水蒸気は非常に大きな力を持ち、私達の社会生活を補ってくれています。
そして植物も動物も、身体の中の70%以上が水で出来ています。
地球そのものも70%が海で覆われているといわれています。
この水と生命の関わりの中で、水の果たす役割は非常に大きなものと考えられます。
水は、大きく分けて、水蒸気、生体水、一般水、海水、と分けることが出来るでしょう。
中でも、一般水と生体水の違いは、あまり理解されていません。
実はここに、水の持つ大きな特性が隠されています。
私達の脳も、ほとんどが水で出来ています。
神経細胞の周りを水が囲み、生体水と微量な電流により、日常生活が営まれています。
情報を的確に伝えることが、水の大きな生命に関する役割の一つなのです。
また、遺伝子と上手く関わることにより、この地球で進化し続ける生命に有効的に働いていることは間違いありません。
私達は水の目で光を情報化し、水の鼻で匂いを情報化し、水の耳で音を情報化し、水の口で味を情報化し、脳の中の水にそれを伝えます。
要するに生命は、水を利用することによって管理が営まれているのです。
だからこそ、植物達でさえも水の情報を利用しながら、地球における様々な情報を処理することが出来るのです。
要するに、水は全てを情報化することが出来る物質なのです。
故に、生命にとって、なくてはならない存在と言えるでしょう。