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 神社に行くと、必ず水社がありそして柄杓が置いてあり、手を洗ったり口をゆすいだりします。簡単な禊払いが、行われます。
 ここでは、まずみずにより清められ、色々な穢れが払われ、綺麗な形で神様への出会いを受けるのです。なぜ、ここで水により清められるのでしょうか。神と言う字を少し分けて考えると、「か」は「火」であり「み」は「水」を表すとよく言われております。その通りだと思います。火と水により、人は生かされているのです。勾玉を翡翠で造るのも、これもまた「火」と「水」を表します。
 右手・左手も右は「水の手」左手は「火の手」そして両手を合わせ、右手を一節引いて打ち鳴らし、その音を聞き、神は現れる。そして、願いを聞く事になります。こんな風に、水に関する考え方が多種多様にありますが、やはりその能力を持っていると、昔から考えられてきたのでしょう。水を侮る(あなどる)ではない、そんな気がしています。
 私達はこの水により、全てを見透かされているのかもしれません。しかし水の素晴らしさは、裁くだけではありません。それと同時に必ず、清めてくれます。生きる為の穢れや汚れを清めてくれるのは、その水です。穢れを払う事も、水によって行われてしまうのです。水は、みず、要するに自分を表します。「みずから」の「みず」でもあるのです。
 しかし、水はなんて素晴らしいのでしょうか。生きるもの全ての命の源であり、その透明な意識は、全てを包み、大地と宇宙と感応しながら、私達を清めてくれるのです。もっと水に感謝し、水を尊敬し、水を大切にしなければなりません。水により本性が明かされ、全てが清められたならば、それは決して裁きではないのです。未来に向かう、優しさではないでしょうか。
 水に私達人間が、弾き飛ばされないように気を付けたいものです。

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