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 生きている時の不安を死んでからも持ち続ける事は、大変不幸な事と言われていますが、死後の世界はその存在は誰もが知らない未知の世界である事も間違いないのです。
 この日本では、魂とか霊体とか肉体とか分けて考えられていますから、肉体の環境における辛さとか霊体の意識における辛さとか分けて考える事がよくあるのですが、なかなかそれは難しい考え方なのかもしれません。
 しかし死んでからも魂の存在があると考えたならば、死後の世界を安定させたいと考えるのは当たり前の事ではないでしょうか。要するに、生きている内は多少の苦労は構わないのですが、死んだら究極に楽をしたいその為に今何をしたら良いのか、そんな教えがあってもそれはそれで良いのではないでしょうか。
 死ぬ事が恐怖だという考え方はそれが一番の恐怖と考えたならば、死後の世界を色んな形で理解する事はとても大切な事ではないでしょうか。
 極楽浄土やはりこの言葉は、死後の世界では大変素晴らしい意味を持っている言葉ではないでしょうか。だからこそ今何をすべきなのか、どういう方向に向かっていけばいいのか、極楽浄土で生きる人達はどの様な人達なのか、仏教に熱心でそこを極めた人達が誰もが行ける世界とは限らないはずです。どうやったらその世界に行けるのでしょうか。そして又極楽の世界とはどんな世界なのでしょうか。苦しみも悩みもそういった意識の乱れは存在しなくて、毎日が平安でそして楽しく過ごせるのかもしれません。
 浦島太郎が行った竜宮城の様な所なのかもしれませんね。確かにあの話を聞いた以上、竜宮城は特に男性にとっては極楽浄土以上のものかもしれません。しかしその後、いきなり年をとってしまったのでは仕方がないのですがもしそれが、永遠に続いたならば生まれ変わってくるなど馬鹿げた事をする訳がありません。
 しかしこの生きている世界にも、極楽浄土以上の楽しみや喜びが存在しています。大変気の合う仲間と有意義な時間を過ごしたり、恋人同士が大変楽しい時間を過ごしたり、そういった環境の中では極楽浄土以上の快楽や娯楽やそれが同時に、そういう楽しみが出来るのも肉体が有るからではないでしょうか。肉体や魂や霊体が同時に楽しめたならば、そんな事がもし可能ならそれは生きている私達が得られる、唯一の法則ではないでしょうか。極楽浄土に生きるのは肉体ではありません。
 肉体を置いてその世界に行っても、快楽的な究極の楽しみは得る事が出来ません。この生きている社会において、肉体と共に過ごした日々の中で得た究極の楽しみが記憶に残り、その記憶を元に霊体が未来を構築したならば、要するに生きている間の全ての嫌な事を忘れ楽しかった、要するに究極に楽しかった事を連鎖的な意識を作り上げるその記憶が極楽という世界を作り上げていくのであって、極楽という世界に行くことによって極楽を得られるという事は違っているのです。
 要するに記憶から発生する出来事であり、楽しい経験のない人に何が楽しいのかそれを、理解する事は難しいからです。やはり美味しいという食べ物を食べたくなって初めて、美味しいという経験や記憶がそこに反映しているのではないでしょうか。極楽浄土の世界で本当にそれを極める為にはやはり、生きている間のそういった経験が非常に大切な事ではないでしょうか。だからこそ、この教えの中で私達は今をいかに大切にするのか、そして命や自然をどう大切にしていくのかそんな事を深く考えた上で、極楽浄土という世界をその世界に行ける自分を楽しんでみてはいかがでしょうか。
 そして記憶の中の素晴らしい出来事が大きく反映し、より素晴らしい浄土の世界が作り上げられたならば、大変素晴らしい出来事ではないでしょうか。

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