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 今まで多くの人が次元について語ってきましたが、その存在そのものが非常に不可思議なものであり、確認する事すら出来ない、そういった多次元があまりにも多いのが現実であります。
 点から始まる次元は、線になり平面になり、そして三次元が出現してきます。ここまでは良いのですが、そこに時間が加わったり、意識が加わったり、神とかそういった高い位の関係における観念から、高次元的な考えが生まれてきました。
 例えば、菩薩様であるならば七次元以上とか、如来様なら九次元以上とか、神々達はもっと高い次元の中に存在していると言われていますが、この地球上においてもちろんこの宇宙全体から見ても、次元という観念を持っているのは私達人間だけに起こる、とっても不可思議な現象なのです。
 今居る現実を、物質社会を、三次元という言い方で全てを捉える事も、かえってこれは危険な考えなのかもしれません。なぜなら、エネルギー依存しながら全ての次元が存在する以上、三次元の存在は絶対的なものであり、ゆるぎない現実のものとして私達の全てを覆い尽くしているのです。
 最近騒がれている様な高次元化は、三次元以上の豊かな意識や優れた観念の中で、その次元を有効的に利用する事を考えているのですが、こういった現象を含め実際に人間以外の生命体にとって、その事について何か多くの意味を持っているとは非常に考えにくいものであります。
 なぜならば、他の生命体は現実を最重要視し、それ以外の事に対して興味を持つ事はないからです。しかし、人間には脳が存在し、見えない世界や、もちろん未来的な観念も含め、三次元以外の多くの多次元を想像し、そしてそれがあたかも存在する様に、しかもそれが三次元以外の場所にある様な観念がありますが、これを理解する上で、物理学や科学を使ってもそれを証明する事は、全く不可能と言えるでしょう。
 あのブラックホールであっても三次元下に起こる現象であり、今はかなりの領域でその理論が公のものとなってきました。しかし次元を討論した時、その存在を明解にする様な物的証拠はどこにもないのです。それどころか逆に否定しようとしたならば、いくらでも否定できる根拠が、あまりにも多い事も現実なのです。
 しかし、こういった現象を、人間というこの地球上で最も不可思議な生命体にとって、未知の領域と、現実を分けて考える事から始まり、多次元の存在に大きく期待感を持っている事も現実なのです。逆に言ったならば、これらの現象は人間だけに与えられた、しかも共有された意識の中で起こりうる観念の中に、こういった科学が存在するのかもしれません。
 要するに次元とは、人間だけに与えられた特殊な観念である、そういった考え方の方が正しい様に思われます。しかし多くの人が次元について語っている現実の中で、確かに私達の心の中には、多くのそういった意識が存在している事は、否定できるものではありません。
 しかしながら私達は今、この三次元の中で、肉体を持ち、その肉体のエネルギーに依存しながら、意識や心が存在する以上、発想する原点においては三次元の存在が不可欠なのです。
 要するに、もしこの観念をもう少し理解できる様に説明するとするならば、全ての次元は三次元内における意識的な現象であり、その未知的な領域に対して私達人間が、多くを想像しそこに夢と期待を注ぎ込んできた、その現実は否定する事は出来ないのです。
 逆に三次元の中に、そういった高次元が存在するという形でそこを置き換えたならば、非常に理解が深まり、ここでの観念は、心の豊かさとか、思いの領域のそのスペースを限りなく広げる、そういったロマンに満ちた現実でもあるのです。
 否定するのではなく、そこを逆にこの様な形で言い換えてあげたならば、もっと理解が深まるのではないでしょうか。人間というのはとても素晴らしい生命体である事、この地球にとって選ばれた命であり、この地球において未知的な現象をも理解出来る、唯一の生命体なのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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