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日本人にとって、特に武家社会の中では、一番重んじられてきた文字が、義というものでした。
この義という言葉の重みを強く感じ、武家社会はうまく統率が取られ、義理の世界を作り上げていったのでしょう。
今私達は、この義という言葉を少しだけ、忘れてしまっているように思われます。
この字から作られる、日本人独特の感性と、日本人が日本人であるからこそ、義をもって制すると、この社会に大きく君臨し、人と人との関係の中に疑いという貧しい心を持たず、信じ合うことが出来るのも、この義という言葉が大きく存在するからだと思います。
偽善者という言葉もありますが、その「ギ」の同じ音の中に、まったく違う意味を持つのも、面白いものです。
義に反する意識の中で、私達は、裏切りという言葉を耳にします。
信じていたからこそ裏切られるのであり、信じていなければ、その言葉は存在することはないのです。
義という言葉を最前に出し、人間社会を作り上げていった武家社会では、非常に大きな統率が取れ、人間関係を完璧に作り上げていったことなのでしょう。
今は自由意識の中で、あまり義理を重んじた、そんな感覚はないのですが、しかし日本人の心から、その義という言葉が消えたわけではないのです。
政治家が会議の中で、そして国会議員が、義の中で論じているならば、それはとても素晴らしいのですが、中々それはうまくいっているものではありません。
義経が、弁慶と共に、そしてその義を一番重んじたのが、弁慶なのかもしれません。
この二人の名前のゆえんからしても、それは日本独特の、とても感性の高い、人間関係を作り上げているのかもしれません。
義をよしと読むなら、善もまたよしなり、吉もまたよしなり、良もまたよしなり、よきにはからえという言葉が、そんなところから生まれたのかもしれません。
基本的には日本人は争いを嫌います。
世界の人々が注目した、日本人の特徴の中に、牧師さんと住職さんと神主さんが一緒に酒を飲む、そんな光景が、日本では当然のように見られますが、世界ではそれは、まれな出来事なのだそうです。
もし世界中の人が、日本語を正しく理解し、日本語をもっと深く学べたならば、世界から戦争はなくなると、そう表現した外国の学者がいますが、その通りかもしれません。
私達が素直に、日本語を理解し、日本人である誇りを持ち、その昔の倭民族としての誇りの中で、義の世界を作り上げていたならば、争いごとなど、起こるはずがないのです。
義の世界は、相手の立場や考え方を尊重し、それを覆すことなく、お互いがそれを認め合う、大変素晴らしい意識だと思われます。
相手を阻害したり、相手の考え方を覆したり、そんなことをしなくても、人間関係はうまく保てるということを、ここに意味しているのです。
義の世界が、もっと深く認識されたならば、何事にも尊敬の念が発生し、自分との照らし合わせの中で、大変友好的な時間がつくられることでしょう。
日本語の中に隠される、日本人独特の意識の中で、もっと深くそれを知ることにより、この社会はうまく流れていくことでしょう。
今までのような、ごまかしと繕いの時代は、もう終わったのです。
新しい時代の中では、一番大切なことは、現実を見失わずに、目の前に起こる現象を素直に見て、それを受け入れる勇気を持つことです。
否定しても、そこからは何も生まれてきません。
認めたからこそ、次の段階へと進めるのです。
前に向かうためには、認めなければいけません。
そして、何をすればいいのか、そこから何が生まれてくるのか、大いなる解決方法を、多くの人々と、情報を共有しながら、考えるべきではないでしょうか?
否定しないで下さい。
覆すことは、理論上いくらでもあることでしょう。
否定を説得するには、それが正しいなら別ですが、そうでない場合は、必ず自分に嘘をつかなければいけません。
この世の中で最も解決することが困難な出来事は、自分につく嘘なのです。
もう、そういう社会は、未来を新しいものにはしません。
自分に対する義の世界も、考えてみてはいかがでしょうか?

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