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天武天皇が、633年に、都を長野の山奥に設けようとし、奈良の吉野によく似た、戸隠の隣の谷間(たにあい)の中に、鬼無里村を作られました。
しかしながら、都がここに移ることはなかったのです。
今は地名として、鬼無里村には東京という地域があります。
もちろん、東の京と呼ばれています。
何故、天武天皇が、都をこんな山の中に移そうとしたのか、今となってはそこを知ることは出来ませんが、戸隠村の謎の中に、皆さんがよく知っている、戸隠神社にその謎は隠されていると思われます。
何故ならば、もし、天岩戸開きが、その戸隠村で行われたとするならば、非常に辻褄が合ってくることだからです。
しかしながら、今はそこを探ることは出来ません。
奈良の吉野を旅すると、吉野神宮が静けさの中に、雄大さを持って存在しています。
確かによく似ているのです。
吉野と、鬼無里は、本当によく似ているのです。
唯一つ違っているのは、長野の方が、地形がやや穏やかだということです。
何故天武天皇は、わざわざ鬼無里村を作り上げたのでしょうか。
鬼の無い里とは、なんて穏やかな知名なのでしょうか。
奈良に行って、きれいな地名の中には、飛鳥や明日香がありますが、そこから想像してみても、鬼の無い里を作ることが、当時の権力者にとって、とても素晴らしいことであったに違いないのです。
しかもそれが、戸隠連山の隣であるならば、何か大きな意味を持っているに違いありません。
しかも、京を中心にして考えたならば、西の京が奈良にあり、東の京が長野にあっても、何の不思議もありません。
かえって当たり前すぎるような現象なのかもしれません。

多くの歴史は、未だ謎の中に存在していますが、天武天皇があの7世紀の始まりに、都を長野に移そうとした文献だけは残っているのです。
確かに、奈良時代が、100年足らずで平安時代に変わっていく姿を見ると、飛鳥時代を含め、当時何があったのか、今ではそれを知る由もありませんが、あの栄えに栄えた奈良時代が、平安時代に変わってくることが、とても不思議な出来事の一つなのです。
大繁栄した奈良時代こそ、日本の歴史の中で、最も不思議な時代なのかもしれません。
しかし全国を見て歩くと、そこまではいかないとしても、日本における古墳群は、豪族達の力の大きさをまざまざと見せ付けることになります。
まだ調査発掘はあまりされてはいないのですが、やがてそれは、明らかにされるときがくることでしょう。
確かに、激動の時代であったのかもしれません。
この鬼無里村に行ってみますと、水芭蕉の群生地があり、裾花渓谷はきれいな水を蓄え、山は豊かで、北アルプスを眺望するような、そして周りを深い山に囲まれ、隠れ里のように存在しているのです。
神々達が、この山の中に聖地を求めても、何の不思議も無いことでしょう。
今は、本当に小さな村となっていますが、これほどまでに歴史が深く、またきれいな名前は、存在しないことでしょう。
本当に鬼がいなかったならば、人類は穏やかな生活が出来るに違いありません。
これから望まれることは、そして未来の地球には、鬼など存在しない方がいいのです。
鬼の無い里を全国に作り上げることが出来たならば、私達は和みの世界で生き続けることが出来るでしょう。

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