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 優れた特殊能力を持った人達が、過去にも大勢いらっしゃいました。
 そして人間達をいかに平安へと導くか又、穏やかな毎日を過ごせる様にと、そして不安を取り除いてあげる為にその能力は使われました。そして彼らは開祖と成り、多くの宗教団体を作り沢山の人の心を救って下さった事は、大変素晴らしい出来事だと思います。しかしそういった素晴らしい能力を持たれた開祖達が、皆さん共通の事をおっしゃっています。やがて宗教が要らなくなる日が来る。
 確かにそれは大変勇気のある言葉だと思います。凄い宗教団体を作った彼らがその開祖達が、最後は自分の宗教を捨てろというそんな勇気のある発言が、出来た事に今更ながら感激を覚えます。いつの時代になったらその日が来るのでしょうか。今のこの社会は不安ばかりを追求、し安心出来る材料はどこにも存在しません。会社が倒産したらどうしよう、病気になったらどうしよう、お金が無くなったらどうしよう、戦争が始まったらどうしよう、こんな風に毎日が不安の連続、そして安らぐ所はそういった団体の中で仲間と時間を共有した時だけ、逆に今小さな宗教団体が増えつつあります。
 無くなる日が来ると先人達は言ったのに、今逆に増えているという事は何を意味しているのでしょうか。要らなくなる日の為に今増えているのか、それとも逆の道を進んでいるのか、こんな事を考えてくると何が正しいのか非常に迷ってしまいます。心の不安や生き様の中でその不安をどう解消するのか、それを人間以外の生命体に置き換えた時少しだけ答えが見えてきます。よく吠える犬は気が小さいそんな諺がある様に、あまり多くの事を語れば語る程そこには嘘があるのかもしれません。
 そして森の動物達も集団を作り生活しています。そこにはルールがあってそれを誰もが違反せず、守る事が当たり前というその中で、彼らの集団は要するに群れは安定を図っているのではないでしょうか。群れの中のボスは確かに不安を取り除いているのかもしれません。そして群れを守るという安全を与えてくれているのかもしれません。
 しかし人間の中でのそういう宗教団体はそして開祖は、森の動物達のボスとはどこか違っています。この事を少し掘り下げてみたら答えが見えてくるのです。その昔、宗教を要らないといった彼らは、なぜそう言い残したのかが明快に見えてきます。それは開祖はボスではなく、皆を守ってあげる事も安心を与える事も基本的にはそういった意味を持っていないのです。教えの中で気付かせようとしている、気付いた人が平安な心をそして安心を得る事が出来るのです。人間だけが持つ大変素晴らしい考え方かもしれませんが、もしその周りに敵が居たとしたならば、それについては何の守りも存在していない事もここにはあるのです。
 中々難しい答えの出にくい問題ではありますが、現実的な物質というその環境の中で起こる行為と、非物質という意識の中で起こる事を上手く交差させながら、同一性のものと勘違いさせてしまうものもあるのではないでしょうか。しかしその答えを今、探せる時代ではないのですが、もう一度人間以外の生命体の現実を見たならば、確かにそこには宗教は存在していないのかもしれません。
 誰もがルールを守れば、確かに要らなくなる日が来るのかもしれません。要するに自然界の法則をこの地球における全ての法則を身につけ、そしてそのルールに従い人間達がこの地球の他の生命体との関係の中で、この地球という素晴らしい財産を守り抜こうとした時、そして法則を上手く利用し生き抜いた時何の不安もなく環境も乱れず全ての命の関係が上手く融合出来た時、宗教は確実に要らなくなります。
 ようやくその時期が来たのかもしれません。自然界を乗り越えようとしたから、そこに罰が当たっただけに過ぎません。
 自然界の法則を確実に学んだならば、全ての不安は解消される事でしょう。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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