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 策士策に溺れるという言葉が有ります。
 人を騙そうと巧妙に、あの手この手とアイディアを出していくのですが、その内その自分の考え方に溺れ自分だけが納得して、それを大変素晴らしいとそこから勘違いが始まっていくのです。空回りを始めた考え方は、どこまで行っても正しい答えは出てきません。自分の考え方に酔いしれている内に、自分で自分を洗脳していくのです。
 そして大変素晴らしいと自負しながら、自分が見えなくなっていくのです。その内自分が何を言っているのか、それすら分からなくなっていくのです。勿論その時それを聞いた相手が、どう思うのかは初めから論外なのです。自分だけの考え方を通しそして考えすぎた挙句、相手が出すはずの答えを自分が先に出しているのです。ひょっとしたらそれを聞いた相手は違う答えを出すかもしれないのに、相手は必ずこう思うだろうと、勝手な答えを出している自分からは、相手がもし違う答えを言ったならば、あなたは何故そんな風に考えるのと相手の答えを否定してしまうのです。
 要するに自分の考え方を押し付けているに過ぎないのに、相手が正しい答えを望んでいないと勘違いしているに過ぎないのです。そこから生まれる言葉が、自分が正しいという身勝手な答えとなっていくのです。多くの人と語り合う中で相手の答えを初めから想像し、そして議論しても何の意味もありません。千人いたら、千の考え方があって当たり前と考えた方が良いのかもしれません。
 しかし人間達は、グループを作りたがります。同じ考え方の人を集めようとするのですが、そのグループに入りたいと思っている人はもし考え方が違っていたとしても、その考えに従わなければいけないという、そこにはそういった法則が存在してしまうのです。言っている事については納得できなくても、そこから離れてしまうと自分が有利に成れないとか妨害されるとか、そんな甘えと恐怖がそういった考えの中には存在してしまうのです。
 この世の中を楽に渡っていく為には、悪い集団に入った方が良いのかもしれません。一人だけ正義の味方を演じてみても、それは反って危険な現実を招く事になってしまいます。やはり、赤信号は皆で渡れば怖くないの理論が、そこには存在しているのでしょう。
 赤信号はどんなに人数が多くても、本来は渡ってはいけないはずなのです。それなのに、その仲間から聾桟敷(つんぼさじき)にされたくない、また自分の周りにいる仲間も傷付けられたら大変と丸っきり、長いものに巻かれろ理論の如く、そこを悪い方向へと向かってしまうのです。
 どんなに考えても答えが出てこない時、善悪の見分けがつかなかった時やはり人間は、甘えと現実が交差してしまうのでしょう。正しい答えを探そうとした時、卑しい自分がそこにはいて、大変大きな幸福感を感じる事があります。その内に自分の考えが本当に正しいのか、分からなくなってしまいます。
 絶対正しい事をしているならば、勇気を持って堂々としていれば良いのです。言い訳などする必要はありません。それは全て時間が解決し最終的には、神は必ず正しい者に味方してきます。これからの社会は、そうならなければなりません。
 神もやっと重い腰を上げた今ようやく、正しい者への愛が回り始めた事でしょう。
 今までは正しくても、その意見を言わず自分の身を守るのに精一杯で我慢してきた人も、やはり言うべきではないでしょうか。貴方それは間違っているよと。
 誰かが言わなければいけないのです。その勇気がこれからの人類に、一番必要な答えではないでしょうか。真実は、常に一つです。法則に従い人間の意識も現実の中では、同じ結果をもたらす事になるでしょう。
 正しいものを正しいといえる勇気、悪を容認しないそこをちゃんと言い切るそういった勇気が、これからは必要となる事でしょう。

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