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本当に日本人というのは肩書きに弱いものです。
その肩書きが、その人が作り上げた以外の団体の役職であったり、どこそこの大学の卒業であったり、過去の実績と人の作り上げた歯車での中での、また選ばれた選挙の中での肩書きであったり、その人を評価するのに値するものなのかどうか、非常に疑問が残るものであります。
例えば、あの東京大学の1回目の入学試験は、今の小学校4年生から5年生が学んでいる範囲のことと聞いています。
ということになると、当時のその肩書きは、今の小学5年生、そんなことがあるのです。
また、どこそこの会社の社長さんは、自分が作った会社ではなく、ただ親のあとを継いだだけのことも、よくあるのです。
一分野に優れたどこそこの博士が、また教授が、全てに万能なわけでもありません。
それなのにプロフィールに、たくさんの肩書きや実績を載せ、名刺の裏に過去の栄光をたくさん乗せている人がいます。
本当は何の意味もないはずなのに、そんなことから、凄い先生だ、という評価をもらい、楽な形で自分を表現する人が多いのです。
何かの会の会長や理事長であったり、政府の役人であったり、色々ありますが、一から全て作り上げたのではなく、たまたま空いていたポジションに滑り込んだだけの人が、余りにも多いのです。

その肩書きで、肩で風を切り、その肩書きを利用して、悪いことをしている人も非常に多いのです。
大学の教授が、これはとってもいいものですよ、と、農業にも役立ちますよ、と伝えると、多くの人達はそれを信用します。
もし彼が大学の教授でなかったとしたら、そんなにたくさんの人が信用したわけではないのです。
そうやって肩書きで商売をし、お金儲けをしている人が、余りにも多いのです。
ましてや、講演会やセミナーが開かれたとき、肩書きを多く持った人が来れば、それだけで、たくさんの人が集まります。
内容よりも、肩書きに魅力を感じ、そこに集まるのです。
内容がどうだったのか、それは結果として中々わかりにくいことでもあります。
もしそのような方々が、全ての肩書きを捨て、自分の思いを人に伝えようとしたならば、どれほど苦難な道が待っていることでしょうか。
神はいいました。
「お前は肩書きを持つな」
しかしながら全くないと、説得力に欠けてしまいます。
しかし、有効性を持った肩書きは、自分を駄目にする可能性があるので、使うことはやめにしました。

2000人も集まるセミナーで、多くの肩書きを持った人が話をしていました。
内容は、政治に対する、また社会に対する評論理論でした。
確かに評論家はたくさんいます。
しかし、肩書きで人を集め、話の内容は、あれ駄目、これ駄目、ああしろ、こうしろ、そこに内容を組み立てているに過ぎない、責任のない話に過ぎなかったのです。
自分が自分の力で、何かを切り開き、独自の理論を独自に実行する、そして共感を求め、仲間を増やす、そんなやり方をしていないのです。
もし、肩書きがなかったなら、誰も集まらなかったはずなのです。
肩書きとは、その人の価値観をごまかす、もっとも出来の悪い法則なのです。

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