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何か人に欠点を言われると、とても嫌な気持ちがします。自分が間違っていると気付いても、それを人に言われると腹が立ってしまいます。
自分の中で他人からのメッセージや警告を受け入れる事が出来るならば、それはありがたいと注意として認識出来るのですが、もしそれを受け入れる事が出来なかったならば、単なる悪口としか聞こえないのです。心がもっと強ければ、そこを受け入れ、自分を変えようとします。でも間違いを正そうとするはずなのに悪口と捉えてしまったならば、今を変えたり、正そうとする考え方すら生まれてきません。逆にその人を憎み、嫌ってしまう事すらあるのです。
面と向かって言ってくれる人は、本当はとても大切な人のはずなのです。よく「言われなくなったら終わるよ」という言葉がありますが、その通りかもしれません。心にゆとりがあるならば、注意として受け止め、有り難い意見として自分を変える事が出来るのです。もし理解できない点があったなら、否定するのではなく知的に保留すれば、いつか役に立つ事があるのです。
楽な道を進むよりも、ちょっとだけ険しい道を選ぶ事も、勇気があれば出来るはずです。これからは、悪口と捉えず、注意として捉える事も必要かと思います。
出来るだけ言ってくれる人を大切にしましょう。
自分からは自分が見えません。人という鏡を通して、初めて自分が見えてくるのです。その鏡となる人に、そして間違いを教えてくれた人に、感謝しましょう。そこから逃げないで強くなって下さい。後は勇気だけです。 注意を悪口と捉えてしまう人は、注意しない人を良い人だと勘違いしてしまいます。そして、騙される事もよくあるのです。注意しないで、ニコニコしている人が良い人とは限らないのです。本当は分かっているのです。ただ、諦めたくなかっただけの事です。