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以前、ホームページ本文の方で、依存管理の法則と利害関係理論という文章を書きました。
よかったらまた読んでみてください。
依存されると、必ず管理されるといった、不可思議な法則が生まれているのですが、ここではその、依存に対する有効性と、そのことによってたやすく生きる、証明のようなものも考えて見たいと思います。
どっぷり依存してしまった方が、要するに、管理に任された方が、人間は楽に生きられるのです。
宗教に飲み込まれ、そこに心の拠りどころを求めたならば、その人にとって、安らぎと安心は、その中に存在し、決してそれは悪いことではないのです。
逆にそうすることによって、余分なことを考えずに済み、一番楽な生き方が出来てくるのかもしれません。
そういった宗教団体が大きくなっていくのも現実です。
今のように、社会現象がとても不可思議な中に存在し、現実は厳しいもので、生きることがつらくなったとき、何かに依存したいと思うのが、当たり前の現象なのです。

赤ちゃんがオギャーと生まれたとき、人間の場合、母親がいなければ生きていけません。
おっぱいを飲ませてもらったり、優しく抱いてもらったり、要するに生きるためには、親の存在が不可欠なのです。
そして、赤ちゃんは常に、その親に依存しながら、子どもになり、また大人になっていくのです。
依存される側の大人になったとき、自分を依存させてくれる、そういった存在を求めるのは、それは本能的なことかもしれません。
この社会で強く生きようとすればするほど、社会の荒波は厳しく自分に迫ってきます。
その厳しさに立ち向かう勇気がなく、何か逃げようとしたときに、その逃げ場を見つけたとき、安らぎを感じることがあるのでしょう。
依存して豊かな生活が出来るならば、それ以上の幸せはないのかもしれません。
何かにすがり、守られ、一部管理されたとしても、心配事がないだけで、こんな安心できる世界は、他にないと誰もが考えたのです。
逆に、それをビジネスと考え、依存させるセミナーを開いている人たちも沢山いますが、それは決して悪い商売ではないのです。
それによって救われる人がたくさんいるならば、その人たちのお金をどんなにもらっても、それは決して罪なことではないのです。
依存する喜びを、お金で買えるならば、逆にこんな簡単な方法はないのです。
しかし、その依存が、常に継続されていくならば、それは素晴らしいことなのですが、あるとき、お金がなくなったとき、その依存は継続されることなく終わりを迎えるのです。

そのような現実の中の依存ではなく、今回は、自然という環境の中での依存ということを、もう少し考えて見ましょう。
自然という環境の中に、依存という世界を見出すことが出来たとするならば、自然は私達を、管理する側に回ることでしょう。
管理者である自然は、私達に何を要求してくるのでしょうか。
それは多分、いつまでもその日が続くように、それは保全という言葉で言い表すことが一番いいのかもしれません。
環境保全が、人間が依存した自然環境が要求する、絶対的な条件であり、彼らの言い分はその中に存在しているのです。
要するに、依存者であり、管理者であり、またその逆も存在するというのが、この自然というお金の関与しない、依存方法なのです。

私達は常に自然に依存しながら生きなければなりません。
自然は、その依存を、いつまでも存続させるために、最大なる努力を惜しまず、今という世界を作っています。
なのに人間達は、自然に依存して、生かされていることを認識せず、自然への破壊が、未だにそんな日々が続いているのがとても残念なのです。
自然依存する以上、自然界という管理者は、保全を求めています。
人間は、依存を続ける以上、常に保全をしていかなければいけないのです。
早くそれに気付かなければ、取り返しのつかないことになってしまいます。
この地球の中で住める人口は限られています。
この地球で住む人々は、地球に生かされる人々は、地球の自然環境を守る義務を持っています。
それが依存するための、絶対的な条件なのです。

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