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ニコニコして、お酒を飲んだり、歌を歌ったり、そんな楽しいひと時の時間の中で、私達は喜びを求めながら、現実を見失いながら、楽しむことがよくあります。
余りにも現実は厳しく、そしてそこに情けない自分が居るから、自分を変えることが出来なくて、虚しさが込み上げてきて、時には死にたくなったり、またそんな勇気もなくて、現実から離れた暴走の世界で、お笑い話を聞いたり、テレビでは人の不幸を報道し、その不幸を聞くことが、そして人の悲しみを聞くことが、自分の楽しみになっている人も多くいるのです。
情けないことですが、ほとんどの人がそんな社会で生き続けていることでしょう。
自分より不幸な人を見て、自分を納得させる、作られた世界の楽しい笑い声を聞いて、自分も穏やかになれる、こんな社会が今現実に存在しています。
誰も、怒りを覚えることもなく、当たり前のようにそれを受け入れているのです。
なんて私達は、残酷な意識を持っているのでしょうか。

4歳の男の子が、川に落ちて亡くなりました。
リポーターがその現場で、その一部始終を詳しく報道しています。
それを見ている私達は、人の不幸を楽しみながら、涙を流しながら、何をやっているのでしょうか。
報道機関の大半は、無残な事故や争いごとの情報が多いのです。
また、そういうものでないと、誰もが見ようとしないのです。
本当に情けなくなります。
こうやって私達は、ある種の大いなる悪の力に管理されているのです。
かつて、この日本でも身分制度があったように、自分達より身分の低いものを作ることにより満足させるという、卑劣な考え方が存在してきた、その延長線上に報道番組が作られているような気がします。
これでは、何の意味もないはずなのです。
ここに怒りを覚えず、何の抵抗現象もないなんて、そんな不思議なことがなぜ、日常生活の中で起こっているのでしょうか。
この作られたバーチャルの世界がここに存在し、情けなくもこれが今の現実なのです。

自然界は言いました。
命は全て平等だと。
そして、全ての命を平等と考えることが、大いなる知恵なのだと。
万物の霊長である人間は、全ての命を平等とし、そして、この自然環境を管理し守り続けなければいけません。
人間達の差別や人の不幸を楽しむような人間性では、決してそれは守られることはないのです。
人よりも常に上にいたいと思い、会社の中でも序列があり、平社員と役員の関係があり、なぜ平社員は頭を下げなければいけないのでしょうか?
しかも、他社の偉い方であっても。
こうやって社会は身分制度を作り、不幸な出来事を報道し、ある種の諦めと満足を同居させながら、現実は存在しているのです。
 なぜ私達はこの社会に対して、怒りを覚えないのでしょうか?
もっと、怒ったって、いいんじゃないでしょうか?
そして、そういう現実を、遊ばないようにしていったならば、未来は穏やかで、和みの世界がきっと待っていることでしょう。
悲しみの否定から生まれた喜びは、何の意味もないのです。
もっと素直に、自然と共存し、自然から送られる愛のエネルギーを、素直に受け取ってみてはいかがでしょうか?

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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