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よく私達は、無色透明という言葉を使います。
それはまっさらで穢れがなくて、きれいな無垢な状態を表す言葉に使われることが多いです。
しかしながら、無色と透明は同じ方向性を持っていません。
何故なら、無色は何もない、これは真っ白という意味ではないのです。
白には、白という色が存在しています。
決してそれは無色ではありません。
逆にいうなら、全く光のない世界。
もちろん、音もありません。
光のない宇宙空間の中に漂う1枚の、そう、暗闇の中に浮かぶ、その紙が無色ということになるのです。
よって、そこには何もありません。
逆に、透明ってなんでしょう?
透明になると、空気の透明や、水の透明、ガラスの透明、もちろん、水晶の透明、沢山の透明が存在します。
そしてその透明の向こうには、光もあり、音もあり、物語もあり、沢山の生活も存在します。
そう、透明とは、全てが存在する、ということを意味します。
このことから分かるように、無色と透明は、相反する方向を向いた言葉なのです。

私達は常に、この透明の社会で生き続けています。
この透明の社会だからこそ、怖い出来事が存在します。
それは、見られているということ、聞かれているということ、そして、読まれているということです。
逆に、この透明な社会で生きているのなら、もう何も隠す必要はありません。
自分も透明な心になり、人もまた、透明な心になり、全ての命が透明な意識の中に存在するならば、もちろん、隠し事や企みが全て読み取られていたならば、私達はどんな生き方をするでしょうか。
心が読まれ、思惑がバレバレになっていたなら、いっそもっと素直になり、逆に分かり合える方向へとお互いが進むことが出来るのです。
そして、心を気遣い、和みと安らぎの世界に導かれることも可能となるでしょう。

私達は常に、隠し事と企みと、思惑の中で生きています。
それが分かってしまった時、何を感じ、どこに向かい生きていったらいいのか、分からなくなってしまいます。
今の社会は、その企みが、その嘘がばれてしまう、縦軸の時間の中に私達はいます。
だからこそ、情けなく、悲しく思うことが、余りにも多いのです。
読まれているのに気付かないふりをしたり、分かっているのに知らないふりをしたり、気遣いながら、そして慰め合いながら、繕いの社会を作り上げているのです。
そこからは、正しい心や正しい意識が、生まれてくるはずがないのです。
それに慣れ過ぎた私達は、この宇宙が透明であることを忘れ、そこに色を塗り、そしてそれを自分のカラーと信じ、生きているのです。
炎が赤いわけではないし、植物がみな緑なわけでもないのです。
色と思いが、重なり合いながら有効的に利用され、また逆に隠れ蓑ともなるのです。
私達は、保護色を求めてはいけません。
もっと自由に、透明になることを、考えてみてはいかがでしょうか?

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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