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皆さんが知っている命の樹は、上に行くと枝が2本や3本に分かれ、またその1本を選択すると、その枝も二股に分かれています。
どこまでいっても、必ず枝は分かれ、常に選択することを余儀なくされます。
そして必ず、下の太い根本の所には蛇が絡んでいて、降りることは出来ません。
神話で言われてきた命の樹は、常に迷うことを選択させ、またその迷いから自分の進むべき道を確定させる為のものでもありました。
確かに私達は、常に迷い、そして選択し、未来へと歩んでいることは間違いないと思われます。

ということは逆に、その選択をちょっと変えるだけで、未来はいつでも自分の自由になる、そんな気がします。
朝起きた時、ズボンをいつも右足から通していたのに、今日は左足から通そう、そんなことでも、未来は変わるのです。
よく、朝のお茶は二杯飲んでから出かけなさいという言い伝えがあります。
俗に言う、一杯茶は駄目よという教えですが、なんでこのような言い伝えがあるのか、それも一呼吸置くことにより、未来のタイミングをずらし、安定した意識の元で危険を回避する為の素晴らしい教えなのかもしれません。
要するに、いつだって未来は自由に変えられるということなのでしょう。
人の出会いも、未来を変えることの一つの方法でもあります。
全く知らない赤の他人、友達の友達の友達という関係の中で出会うこともあります。
しかもそこには、一方的な出会いのエネルギーがあり、双方が引き合ったわけではないのです。
必然理論で考えるととても不思議なことですが、一方的に発せられるエネルギーは、それと波長を合わせた時、意識や意思を持ち、強調し合いながら、一つの出会いを現実化させていきます。
それが一方的であったはずなのが、強調の中に双方の理解が深まり、未来を変える程の出来事になっていくのです。
だからこそ、人との出会いは甘く考えてはいけないのです。
その出会いの意味を、深く知ることによって、自分の役割や生きがいを感じることも不可能ではないのです。
逆にその一つの出会いにより、自分を駄目にすることもあります。
そして迷い、傷つき、泣き叫ぶこともあるのです。
誰もが命の樹を少しずつ登りながら、分かれた枝のどちらを進むのか、それは余りにも自由に見えていて、素晴らしく感じるものであっても、もう一人のその人にも命の樹が存在し、そして隣の命の樹と枝が触れ合いそうであっても、あくまで通りすがりの出来事が、現実には多いのです。

みんなが持つ命の樹は、町を作り、それは大きな森ようでもあります。
森の樹達は、緑の葉を沢山つけ、落ち葉は風に吹かれ、他の落ち葉と自由に触れ合うことが出来るのです。
命の樹からの意識の旅立ちは、そのような落ち葉のようなものでもあるのです。
枝を伝いながら、生き続けている訳ではないのです。
意識や思いは落ち葉となり、風に揺られながら遠くまで飛ぶことも出来るのです。
その落ち葉と落ち葉の出会いは、必然的な存在は、けっして考える必要はないのです。
それが偶然であっても、何の意味もありません。
そんなことを議論すること事態が、間違いなのでしょう。
常に自由に、未来を想像して下さい。
新しい出会いは素晴らしいものとなることでしょう。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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