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日常生活を営む上で役に立つことは、過去の記憶と学びから生まれた能力であり、生きる為に能力が常に使われるものです。
そして、学びの中から記憶していく中で、最も記憶しにくいものが、学問という形になります。
 なぜならば、経験のない中で記憶しようとし、実践が伴わず、必要なのかまたそうでないのかが、その場においては結論付けることが出来ないからです。
私達は、小中高大と教育により、色んな事を学んできましたが、その学びがどれだけ日常生活の中で役に立っているのか、また何の為にそれを学んできたのか、社会生活を営めば営む程、必要でないことが余りにも多いことに気付かされます。

逆に、子どもから大人まで、大学に行かなくても学べる、日常生活における最も、合理的な理論が存在します。
それは、知恵という一言に置き換えられるでしょう。
記憶や学びの中から得た、学術的なものよりも、おじいちゃんやおばあちゃんから教わってきた、身近で最も使い勝手の良い知恵の方が、どれだけ役に立つことでしょうか。
例えば、ヨモギの中の何とかという成分が、何とかという反応により、何とか的な効果が現れるなんて、難しいことを考えなくても、転んですりむいたら、道ばたのヨモギを揉みほぐし傷口につけておけば化膿しにくいよと、簡単に言ったら、転んだらヨモギ、こんな風に憶えた方が、よっぽど楽なはずなのです。
それを難しい学問にして大学で憶えても、そこに含まれる成分の名前を憶えるだけで頭が一杯になってしまいます。

過去の地球において、今よりかなり優れた文明社会が存在していました。
その中で、誰もが分かりやすく、そして容易く理解出来るように、知恵という法則が生まれてきたのです。
かなり難しい学術的な研究を、現実の中の行為と結果において説明していったならば、その過程については、議論する必要はどこにもないことに気付かされます。
 分かりやすく言ったならば、なぜそうなるか、よりも、こうしたらそうなる、の方が、誰もが簡単に記憶出来る知恵という法則なのです。
知恵を法則化して物事を捉えたならば、それは日常生活に密着した形で、何の苦労もせずに憶えられる、唯一の方法なのです。
 なぜそんなに容易く記憶されていくのかというと、知恵というのは、人間が持つ脳の仕組みの中で、学問的に記憶される部分ではなく、図形と同じように本能的に記憶されるスペースの中に、その収納スペースがあるからです。

前に述べたように、本能記憶と観念記憶という脳の中の仕組みがあります。
観念記憶は憶えようとして憶えた記憶であり、本能記憶のように憶えようとしなくても、脳の確認作業の中でそれが自動的に記憶されていく部分が存在します。
知恵もそれと同じように、本能的に記憶されていくスペースの中に上手く滑り込み、日常生活に密着した形で存在しているのです。
これからの社会は、出来るだけ多くの知恵を持っていなければ、危機的な時を乗り越えることは出来ません。
 なぜならば、今、日常生活は社会という環境の中で、上手く仕組まれ、営まれています。
スーパーに行けばどんな食材も手に入るし、薬局に行けばどんな薬も買える、こんな便利な豊かな社会が、今後いつまで続くかは、見当もつかないことなのです。
もしこの社会の仕組みが壊れたら、私達は、多くの知恵を持った人達に頼るしか方法はないのです。
たかだか水一つ取ってみても、どのようにしたらその水は飲めるのか、またどのようにしたらその植物は食べられるのか、昔の人は学校に行かなくても、多くの知恵の中で豊かな生活を楽しんでいたのかもしれません。
今危機的な時を迎え、もう一度知恵の社会を築き上げ、生きる為の法則を理解してみてはいかがでしょうか。

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